霊感が強ければ、憑霊は避けられない。
霊感の強い友人たちによく言うのですが・・・(これはもともと左遷問題とは別な人宛です。)
物事に対して、好き嫌いを口にしていると、事態が拗れるものです。
すなわち、嫌いとは弱点を暗示し、庇護者である守護霊、さらにはその上位の産土神、産土神が決定してしまえば、否応もなく祖先の霊たちまで試験官役となって、弱点克服のために嫌なことに立ち向かわされる・・・ということになりがちです。
苦手なことを免れれば、浮かれるのも人情ですが、それが往々、試練の引き金になったりしますが、まあ、他人の目から見れば、目先の苦労で、長い目で見た災難を克服できるなら、意義もあるかとは思います。とはいえ、何も好き好んで不意をつかれる必要はありますまい。
そもそも、守ってくれるはずの守護霊が、「やむを得ず。」と思ったのなら、事態は重大です。責められるばかりで庇うものがいなければ、霊界不信に思うのも仕方がありません。それほどの危険を犯してまでも、守護霊が突き放すなら(どうせ適当なところで手を差し伸べるとしても)、それはリスクに見合う事態なのです。・・・極楽行きを諦める、というか地獄行きを覚悟せよ、と思うべきでしょう。
まあ、別段、怖がらせようという話でもありません。・・・が。
霊感の強い友人から電子メールで質問がきました。 (語法の差は、年齢差です。^^)
「憑依と、神憑りはとどう違うか?」・・・・この二つは、懸かる霊の目的意識に違いがあるだけで、手段は同じです。
あえていえば、低級霊の憑依は努力で克服できますが、(真の)神憑りは抵抗するだけ無駄です。とはいえ、低級霊に憑かれても恥ずかしいだけですが、神憑った仕事の一つもできなければ、人生は寂しいものです。
・・・まあ、霊憑って、苦しくていらっしゃる方には、ある意味、答になっていませんが。
いわゆる高級霊というのは、いざとなればひどく強引な手にでます。が、概ね、「嫌!」と言われれば手を引きます。でも、悪霊・低級霊の手合いは、嫌と言われればむしろチャンスと見ます。 (この差を理解しない人は多いのですが、悪霊・低級霊は手を出してはいけないときに手を出し、いわゆる高級霊は、手を引いてはいけない時に、往々、手を引く、ということです。・・・つまり、霊憑るのを嫌う人は、いざという時に弱いのです。)
つまり、悪霊・低級霊を拒絶する巧い方法なんて無いのです。どんな手管を使おうが、相手はその裏をかきます。私達人間が、如何に強い霊能力を持っていようが、生きている限り、寝なければいけないし、食わなければいけません。すると、霊たちから見れば隙だらけなのが人間なのです。
ではどうするか、どうすべきか。
憑霊を防ぐ方法なんてありません。なにしろ、如何に強い霊能力を持っていようとも、生きている限り、寝なければいけないし、食わなければいけません。世俗はうるさく、身体的な欲求は引きも切りません。それでは、霊たちから見て隙だらけなのです。
ならば、発想を逆転すべきです。
憑霊が防げないなら、せめて、憑依する霊を選ぶ。
・・・昔から、霊感の強い人はそうしてきたのです。
眷属を得るとか、式神を得るとか・・・へりくだって、守護神を得る、・・・・または、だいぶ民主的な表現として、背後霊・背後霊団(支援者)を持つとか。
現代の考え方では、霊たちの助けを得て生きるというのは、おしりの座りが悪く感じるかもしれませんが、実を言えば、当人が意識しているか、いないかの違いに過ぎず、意識しなくても出来る仕事もあれば、出来ない仕事、というか、乗り越えることの出来ない試練もある。そう思えば・・・抵抗が無駄、とは言いません。でも、嫌がるよりもまず、受け入れた先に得られるメリットを確認すべきだと思います。なにしろ、いずれ一人では乗り越えられない試練にぶつかるのですから。
協力した経験のないままに一人では出来ない試練に立ち向かうより、協力した経験を持った上で、一人では出来ない課題に立ち向かうべきだとは思いませんか?