強く想うな。
すっかり更新が止まっていたので、唐突に思われるかもしれないが、当サイトは心霊研究のサイトで、人生相談はついでの話である。が、良い人生が送れなくて、何の心霊研究か・・・。人生に活かせてこそ、生きている最中の心霊研究であろう。でなければ、あの世のことを学ぶのは死んでからで良い。
・・・というか、特殊な事例の霊界通信を丸飲みしたりはまだ良い方で、自分の妄想を真理と信じている人も少なくない。とはいえ、何分あの世のこと故、何を持って真実とするか、手がかりに乏しいとは大勢の信じるところである。
まあ、欲さえかかなければ、それなりに腑に落ちるものだが、判る人は解る一方、判らない人にはとことん判らないところが難である。
さて本題。
死後の世界とは、想念の世界であるという。それはつまり、死後の自分の姿は思うがまま・・・若く見せることも自由自在であるという。服装なども同様である。むろん、家の壁なども通り抜け・・・あれ、床は踏み抜かないのか? そう。対象を動かすことは出来なくても、自分が対象と共に動くことは出来る。
道具類も想念で作る。・・・道具がなくても困らないのが霊界であるが、絵画や彫刻、または建築は、自己表現の手段であって、困る困らないで価値は決まらぬから・・・
話題をこの世に戻す。
強く想えば、その想いは世の中に作用すると思っている人は少なくない。『努力すれば』、『頑張れば、』それでもダメなら、『もっと努力すれば』、『もっと頑張れば、』。
でも、いくら強く想ったとしてもそれが一人の想いであればどうか。大多数の想いが集まってできる社会の中で、それがどれだけの力であるというのだろう?
強く想う人は、あなただけじゃない。
まあ硬くて強い想念は建材には使えるかもしれない。
さて、死後の世界とは想念の世界である。例えば光り放つ巨大な彫刻を作るにしても、材料集めや資金集めに走りまわる必要の世界である。・・・そういう世界であれば、価値有るのは、資材か、それとも美の宿るその造形か? どちらであろう。
強い想いは二束三文。
柔軟で巧みな想いこそ、人々から賞賛されるに値し、人々の助けを得てこそ、実現に向けての大きな力が生じる。
強さは必ずしも価値ではなく、むしろ成長阻害要因。
必要に応じて柔軟に振る舞える人が、一見弱く見えても、徐々に成長して実現に至ると、私は観ずる。
だから私は「考えることをやめよ」、「思うことをやめよ」、なにより「無理強いはやめよ」と勧め、柔軟であることを美徳として、一歩見を引く人を称える。
どうも、心霊に関心をもつ人には、その優しさ故か、自分の非を重大視する方が多いと感じる。 妙にコンプレックスが強くて、自分の欠点を常に探している。 他者に小さな傷を与えるよりも、自分の大怪我を選ぶような人が、である。
その想いは巧みなものだろうか?
・・・なぜ強く想うのか、考えもせず、ただひたすら想い続けていないか。子供の頃からずーっと。
昔、子供の頃に見上げた街を、大人になってから再び訪れて、その小ささに驚くことがある。子供の頃に見る世界はすべてが大きくて、多くの物に手が届かない。でもそれは、今のあなたが小さくて届かないのではなく、その時分のあなたが小さかった、ということに気がついているだろうか?
オテンバな女の子だって、年頃になれば慎みを身に付けるし、乱暴な男の子だって、大人になれば分を弁える。
そうやって人は成長していくのに、往々、その想いだけは成長できずにいる人がいる。
想念の世界なら、建材にでも使えそうな想念が、この世の中ではただの成長阻害要因である。