チャンスを求めるなら

 近郊の山寺の手水舎前にて、とある霊から声を掛けられる。

 以前も私に掛かったことがある霊で、手水舎の番係の霊。まあぶっちゃけ、あまり位の高い霊ではない。以前、私に掛かったときには、

『ここ(手水)は、手・口を洗うところじゃなくて、心を洗うところだよ。』・・・と、まあ、無駄とは言わないけれど、あまり面白くもないメッセージをくれた霊だ。

 どうやらその後、伝えんとすることを研鑽していたらしく、にっこり微笑んで・・・まあ、あえて描写をするとまるで神々しさの無い、ごっつくて、デコボコした顔立ちの、いわゆる天狗霊で、微笑まれても、凄まれてもあまり大差ない感のある霊である。いや別に、低級霊であるとか、不細工だから悪い霊だとかいうつもりはない。相手が見せようとする姿と、その心根とは別問題という・・・つまり、肉体を持っていた頃の姿で相手の心境を思ってはいけない、といういささか脇道的な話題である。

 で、本題のメッセージに戻ろう。

『願い事は結構。霊場とはそういう場所です。多くの参拝者にも過ちは見受けられません。なるほど罪悪感を重荷としている人は少なくありません。でも、人は迷うものですし、神仏は救いの手を差し伸べるのです。多少の罪悪感は、社寺で恥じるべきものではありません。

『しかし問題なのは別な人の事です。欲に駆られ、自尊心を抑えず、頼るのではなく自らの運命さえ支配しようと目論む、我の強い人々。傲慢な人々。

『でも、実のところ、傲慢さは罪ではありません。むしろ、傲慢さこそが人を強くする秘訣であります。ある程度の傲慢さを持たなければ、人は無駄に迷い、己の力を発揮しきれずに終わるでしょう。

『時として人は傲慢たれ、だが、時として人は謙虚であれ。・・・だが、神仏の前で、なぜ虚勢を張るのでしょう? 

『強がらなければ、折れそうな心の持ち主たち。

『私はただの手水番です。世間でいうところのトイレの掃除係に過ぎません。でも、手水の前を通る人々を見ていて思うのです。・・・自分の手ぐらい、もう少し丁寧に洗えば良さそうなものを・・・心を清められないなら、せめて手を丁寧に清めれば良さそうなものを。と。 そそくさと手に水をかけ、口をすすいで行き過ぎる人々。・・・いえ、決して多くの人がそうだというのではありません。ただ、救いを求めている人ほど、そそくさと手水を済ませ、または、手水を略して神前・仏前に出るのです。

『お説教臭いことを言いたいのではありません、また、かつてお説教臭くいことを言ったのなら私も反省しています。言い回しが古臭かったことも不味かったではありましょう。ただ・・・

『神仏は偉大ですし、我らが諸先輩たる霊たちも懸命に働いているのです。皆様が真摯に祈るなら、それは必ず助けを得ましょう。(結果は伴わなくても意義はありましょう。とも私には聞こえた。) それゆえに思うのです。

『悩める人々よ、なにゆえ、己の思いばかりを強く念じて、己の過ちを振り返らぬのでしょう?

『せめて、聖地では己が我を抑えて、静かに頭を下げ、改めるべきは改めましょう。今までと違う生き方から、新たなチャンスが開けていくはずです。その為にはまず、手と口を清める時から、無駄な力みを水とともに流して、そう、水に流して神仏の前にい出ることです。

『新たな道に眼を向ける事、今の道とは違う道を求めるなら、まずは、今までの自分を心中の奥にしまうことが大切です。今を改めずにどのような未来があるのか、それを悩むから神仏の戸を叩くのですから。


 以下は私語、

『つまりは、手水舎で見れば、その人の行く末が解る・・・』、と、かの霊と私は互いに目を見てニヤリと笑う。

 つまるところ、本殿にたどり着ける・・・心境的に・・・人は、限られているということ。

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