強さと伝わりやすさは違う。
これは再三繰り返している言葉。
過ぎたるは及ばざるが如し――「強く願えば叶う」というのは真理というより心理、願望というべきではないか。……なにより、「適宜」を知らぬなら無様だ。と、いうのは個人的視点であり、周囲に目を配るなら迷惑だ。極論に走るのは机上の空論家のなす事、と言うのは果たして言い過ぎか。
そもそも、心霊家……少なくとも実践を疎かにしない心霊家であるなら……霊たちとの協力関係を疎かにすべきでない。で、協力するとは、大声を上げることだろうか?
……なぜ、大声(強く願う)を上げるのか。
霊達よりの返事が無い……少なくともそれを感じ取れなかったからだろうとは思う。だが、返事が聞こえないなら、為すべきことはクドクドと話しかけることであろうか。……質問者は果たして、心静かに耳を傾けているのだろうか、と。
ところで、聞くことが下手な人に、果たして「聞くことの大切さ」が、伝わるだろうか? まあ、いつかは、誰かに伝わるかもしれない。……べつに、冗談でも、嫌味のつもりもない。だが、良く考えてみてもらいたい。
人の話を聞かない人に、いかなる助言が可能であろうか、と。
返事がもらえるまで強く念じ続ける……というのは、それだけを見れば些細な問題である。だが、どうしてそのような選択をしたのか、といことまで思いを巡らせれば、とても大きな問題であることに気付く。
であるから私は、精神統一を大切にする。祈るためではなく、聞くために。
しかし往々、聞く人は騙される。あげく、聞くことを辞める人がいるのはいささか不思議である。信じることの大切さをいかに考えているのだろうか?