一言でいえば「関わるな!」
2006年 02月 16日
人間には相性もある……などという建前はなしとしても、やはり「人間としてどうかな?」と疑問を感じるような人と、敢えて友好を結びたいとは思わない。というのはまだ上品すぎるかも知れない。我が霊媒としての師は、ずばりと言い切った。
「そんなのと関わるな!」
処世術的に表現するなら、霊格、すくなくとも人格というものを一つの目安にしない人とは関わるべきでないというのだ。目指すものが違う人と関わるのは時間の無駄なのである。
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私も人の子、嫌な相手は多々ある。それを恥じる以前にまず、「関わりたくないな」と思う。だが、他人のあり方に踏み入る事はしない。
霊界通信では地上のことを良く学校になぞらえるが、むしろ、市民向けのプールにたとえるほうが想像しやすいかもしれない。真剣に水泳の練習をする人にしてみれば、ビーチボールや浮き輪で遊ぶ人たちが邪魔にも感じられるだろう。だが、その辟易とする気分は、競技用プールに出入りできるようになったとき、立場が逆転する。上級選手から邪魔者視されるのである。―― 突っ張りつづけるのもひとつの生き方かもしれない。だが、自分が進むべき一連の道筋が見えれば、無駄に突っ張って、無用の敵を作ることもナンセンスに思える。少なくとも私は、この短い地上生活において、悪縁は少しでも減らし、良縁は少しでも育んでいきたい。
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霊的にいうなら、魂に曇りが生じるような付き合いは、守護霊や高級祖霊との絆を阻害し、悪霊や低級霊につけいる隙を与えることになる。
言い争ってイライラしたり、批判が昂じて誹謗中傷に走ったり、せっかくの「神霊」談話がいつしか駄弁に陥ったり……
木の種類を見るのに、その実を見よ、とは聖書の言葉らしいが、同じ心霊的趣味であっても、議論の行き着く先を見れば、それはそのまま死後の行く末なのである。
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きれい事を言えばいいというのではない。良知こそが大切なのだ。他人を批判・非難するための知恵ではなく、自分をより良く生かすための知恵が必要なのだ。
……そういう会話が世に貧しいことが、私の心を飢えさせる。