自己陶酔が生み出す「たわごと」
2006年 02月 15日
半可知なる言葉をしみじみと感じている。私の周囲にも、とかく自慢話が好きな人が数人いるが、彼らの話は聞くに堪えない。数年前、その中の一人がいう事を、思わず吹き出してしまい、それをいまだに根にもたれて意地悪される始末だ。彼は職場の責任者に不仲の理由を問われて、「絶対にいわない」と断言したため、責任者もそれとなく理由を察したということだった。…… まともな理由なら堂々とそれを指摘できるはずである。
自慢が好きな人は、勉強家の一面も持っている。自慢話のネタを収集するのに余念がないのだが、目的がそもそも「他人に自慢すること」に合って、「理解」にないから、自身が適切に理解しないまま他人に話す。そこに多量の間違いが含まれるのである。
さらにいえば、他者に話すことに自己陶酔して、だんだんと、知らないことも話すし、憶測も話しだす……普段ならば他人に「知らない」と言い、また、自分の知らざる事をいろいろと質問できても、自分が何かをとくとくと語りだすと、知らないことがまるでなくなってしまうのである。
彼は決してうそつきではない。普段の彼は正直なのだと私は知ってはいる。だが、彼の舌が回りだすと、真実以外のものも大量に排出されるのが現実なのである。それは決して故意や悪意から来るものではない、単なる自己陶酔が生み出した出任せ……つまり、たわごとに過ぎないのだ。
酔った上でのたわごとも聞くに値しないが、しらふがたわごとを言わぬわけではない。人を酔わすのは必ずしも酒や数種の薬物だけでなく、自分に陶酔する人の言動も相当に怪しいものである。…… このことは自称霊媒にも当てはまることはよくよくあることだし、私自身も非常に注意深く自己観察する点でもある。
と同時に私の恐れることは、地上でこのような悪縁を結んでしまう自分のめぐり合わせだ。要するに、これが地上の問題だけならば、あとはせいぜい50年ほどの辛抱ですむ、だが、私の霊格なりの問題であるなら、死後もこういうでたらめに付き合わされるのかも知れないのだからうんざりする。さらには、私の霊感に、こういうでたらめな霊が憑かるとしたら、自分だけでなく相談者にまで迷惑を及ぼしかねない。私はそれを恐れるのだ。
そう、自慢話が好きな人は、死後も自慢話をしようとするだろう。だが、この世でも好きで自慢話に付き合う人はそうはいないし、有り難がる人も、ただ、その空虚さやでたらめさに気が付くまでの話に過ぎないのである。ましてや、実力以上に知者に見せようとする人のオーラは鈍く、醜い。地上の人の目はごまかせても、死者たちから見れば醜い姿をさらすことになるのである。それでは死後は孤独に陥るのは火を見るよりも明らかだ。…… しゃべりたがり屋が話し相手を失ったらどうなるか? こういう自業自得的孤独霊が、霊媒初心者に執着する様は復讐の念に駆られる怨霊と大差が無い。怨霊であれば謝罪で解決するかもしれないが、己の欲望を充足しようとする霊が相手だと穏便な解決方法が無い。
だからある意味、地上の自慢したがり屋から嫌われることは有益かもしれない。死後にわざわざたずねてくる心配もないだろうし、相手が自慢に現を抜かしている間に、自分の霊格をあげておけば、神仏の助けでもない限り訪ねてもこれぬだろう…… こういううんざりとする気分は、この世に捨てていかねば心霊家として恥ずかしいことにもなる。