カルマ・頑張ってもダメなら!?
2010年 2月 27日
入浴中に女性の霊から話しかけられた。興味深いが、概要を聞いているうちに心配になってきた。話を曲解する人が出ないか? ……この通信霊に相談したところ、「半年ほど寝かせておけば」というので、忘れても困るし、とりあえずパスワード保護をして公開することとした。
とはいえ、勿体振るほどの内容でもない。俗に言う、口伝に属する話題である。
つまり、当たり前な内容であるのに、気がつかない人は気がつかず、気付く準備の出来ている人にのみ有益な内容なのである。 そして下書き後に気がついた。もとより読み手を選ぶ内容であるから、別に隠すほどの話ではない。というわけで、一時パスワード保護をしたが、一般公開に変更した。
とても叶えたい願いがあるのに、頑張っても上手くいかない。 ……だからもっと頑張る。
さらに頑張って上手く行くならそれで良し。だが上手くいかなければ? ……さらに頑張る?
まあ、口先ばかりの横着者ならば、そういう選択もある。 だが、物事には程々(ほどほど)が有る。のんびりしても、また、焦っても上手くいかないことは決して少なくない。
さて、果たして努力が足りなかったのか。それとも急ぎすぎたのか。または、焦りすぎたのか。 つまりは、1、もっと頑張るべきか、 2、少し落ち着くべきか……さて、どちらだろう?
この二つの見極めがとても大切なのは言うまでもない。なにしろ、同じ目標に正反対の二つの選択肢が有るのだから。 だが念のため。
私は上に例題を掲げたのではなく、ただ単に選択肢の存在を示したのみである。つまり、状況に応じて努力の程度、速度を調節している人であるなら、わざわざ指摘するまでもない話であり、それを例題として受け止め、どちらだろう、等と考えた人であれば、上述の二つの選択、つまり、頑張るか、落ち着くか、という話以前に心に止めて置くべき話がある。……その話こそが本題だ。
もっと頑張るべき……のんびり屋も
落ち着くべき……焦り屋も 共に気付くべきことが有る。
あなたは、理・知以外の何に振り回されて ……いるのか?
さらにいえば、願いの成就に最適な方法を取れないあなたは……果たして何のために努力しているのだろう?
苦しまない生き方が有るとしても、苦しむ人は苦しむ。結局、自分で選んでいるのである。
「イヤ、私は苦しむつもりなどない!!」と、あえて言う人もいるだろうが、知る人ぞ知る……私が問題として指摘しているのは、「苦しまないようにしようと努力して、でも、苦しむのは何故か?」という、いつもの話題なのである。
最もいつもの通り、結論は出さないが。
私がここに結論的な意見を書き留めなくても、気付く人は直して不幸を退け、気づかぬ人は私が結論づけても気付くことはない。
その差は実に、自分の努力で答えを見つけるか、他者の努力、ひいては実力以上の答えを求めるかの違いなのだが……自分の器量・実力を知っているものなら、誤るはずのない選択……端的にいえば、世の中には、得られるはずのないものを追いかける定めの人がいると言うことでもある。 すると、気づいた人には夢との決別が必要であり、気づかぬ人には、さらなる苦しみが未来、いや気づかぬだけで足下にすでに危機があるのだろう。
嫌味のようで申し訳ないが……もう少し付け加える。 いわゆる苦しみには、(成功に至る道の)過程の苦しみと、(至らぬさ故の)結果としての苦しみがある。……あなたの苦しみは、そのどちらであろう?
言うまでもなく、過程の苦しみはいずれ報われ、結果としての苦しみは、改めることなければ消えることのなく、地獄の亡者の苦しみと同種のもので、死後も苦しみが続く。
あなたは何のために苦しむのか……正しい努力の結果として幸せを得るためか、はたまた、姑息・あくどい手段で幸せをつかみそこねるためか?
まあ、悩むのも青春の内か?