迷い


狎れという迷い

2005年 10月 12日

 貰えると嬉しい!――確かに、確かに。だが、貰ってばかりだとだんだん有難味《ありがたみ》が失せてくる。…… 不遇の中にあって心の豊かさを保つのは難しいが、大切にされすぎて狎《》れを出さないのも難しい。

そもそも礼を欠くというのは相手に狎れているのではなく、自分に狎れているのだ。……別にこういう態度でも私は嫌われたりしないさ! と。

そしてまた人生に狎れている……昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日があると。

人は自分を基準に物事を推し量るが、他人の価値も時間の価値も正しく計れないのは、つまり自分の価値を正しく計っていないと言うことでもある。……その迷いはとてもとても深い。


迷える人の因

2005年 10月 27日

 努力とは結果を得るための手段――目的なき努力はいったいどこへ人を導くのか?

迷える人は、迷っているが故にさらに迷う……立ち止まり、行いを改めることを知らぬが故に。

ならば、今現在だけを見れば、「迷える人」も、その因縁……過去を遡ってみれば、目的なき努力、不毛な努力を重ねてきた人だ。それはつまり、いつから迷って、それに気がつかず、さらに迷いを深めてきたのだろうか!?

いつから迷っているのだろう?……それさえも分らぬのに、人は迷いから抜け出ることが出来るのか?

人の業は深い。……過ちを犯してから、過ちに気がつくまでに長い時間が掛るから。

どれほど多くの罪を正さねばならぬのだろうか、人は。


過ちから過ちを学ぶ

2005年 10月 29日

 過ちの結果に学んだことが、「為すな」であるとしたら、その人は輪廻の奴隷だ。人は「為す」ために生れてきたのに、生れてきても「為さぬ」なら、何度生れ変わっても同じ課題を与えられるのだから。

生の意義を知らぬ者が人生を誤る。


当たり前の鉄則

2006年 03月 06日

 迷ったときには原点に立ち戻ってみる。……初心に戻ることで、当時のインスピレーションが蘇るようにと。

迷ったときには腹を立ててはいけない。――いらだちは迷いを深くするから。

・・・・

 登り切れば、後は降るばかりだ……人生はそんな単純な原理では動いていない。一つの頂を制覇すれば、その時から次の挑戦が始まる。次はどこを登るべきか。

魂は常に変化する。向上するか、堕落するか……頂上を極めて安堵し、寛いでいる霊が堕落に向かうのである。

日本は、経済大国となり、今や豊かな暮らしが当たり前になっている。飽食の社会にあって、なおも不満を抱くのは野心家ではなく、精神的な餓えという病苦を抱えた餓鬼ばかり。そして、次の目標を求めることなく、豊かさを甘受しつつ堕落していく人々。

魂は変化せずにはいられない。――向上するか、堕落するか、だ。

迷ったら先ず立ち止まる。迷いを深くしないために。そして、どこに向かう気でいたのかを思い起こす。それから道を探すのだ。


誰のせいか?

2006年 11月 07日

 安易な方法を探すには、それなりの理由がある。……気持ちが焦るには焦る理由がある。
……人生が巧く行っているなら、焦る必要もない。焦る必要がなければ、安易な方法を求める必要もない。

行き詰まり、遅れているから焦るのだ。――急いでいるから手軽な方法を求めるのである。

悠長な方法に目を向けるヒマなどない。たとえそれが本来の道であろうとも……たとえ遅れた理由が、遊びに夢中だったからだとしても。

だが、焦ると油断が生じ、油断すれば魔に狙われる。……ここでいう魔とは、仏教用語の「天魔」や、心霊用語の「悪霊・低級霊」の場合もあるだろうが、おそらく一番危険なのは、悪徳商法の被害だろう。

そもそもその遅れは、誰の責任において解決すべき問題であるのか。……因果律。原因があって結果が生じるのである。原因を変えることなく結果だけ変えようとするのには無理があり、無理があれば油断が生じる。

安易な方法を探すのにはそれなりの理由があろう。気持ちが焦るのにもそれなりの理由があろう。だが、その挽回の為にあなたは正しい努力をしているだろうか?

急ぐが故に焦り、近道のつもりで遠回りしていないか? いや、行き先の定かでない脇道に迷い込んでいないか?

気がついているだろうか? 道を間違えたら、もと来た道を戻る苦労のあることを。

若いのだからやり直せばいい……確かにそういう答えもある。だが、安易な道を選ぶにいたる事情に、果たしてやり直させるゆとりがあるのか?

・・・・・・・

 苦労するために苦労していないか? ……霊の祟りよりも自分の愚かさこそが恐ろしいものだ。何となれば、霊は除霊できるが、自分の卑しさはどう捌けるのか? 捨ててもなお離れられない自分の業……無責任に捨てようとしてかえって苦悩を増やしはしないか。……まるで、苦労を増やすために努力してきたかのような人生を歩みながら、いざとなれば逃げる算段を持つというのは、何とも太平楽というべきか。

・・・・・・・

 捜し物が見つからぬ時、答が無いのではなく、一番あって欲しくないところにある。……人生は霊性向上の修行の場、である。つまり、解答は巧妙にセットされている。

友人が引っ越し先を探している。……二人して片目をつぶって探してはいないか? 互いに触れたくない事情がある。

あるはずがないと思うから視野が狭まる。あるけれど、仕方がないと思えればもっと視野が広がるのに。

見つからないのは誰のせいか?


行き詰まる

2007年 7月 18日

 袋小路に迷い込む。――行き詰まった挙げ句に、他に地理(道)を尋ねて渋々と後戻りする。

どうせ後戻りするなら、助言の通りに大道まで戻ればよいのに、途中で山っ気が萌してまた別の枝道に入り込む。――近道をするつもりで。

  なぜ疑わないのだろう? ――また行き詰まると。

  なぜ改めないのだろう? ――枝道を選ぶ姑息さを。

挙げ句にまた、後戻りしなければならない不合理さ。一時の利よりも、人生の長さで考える利を大切にすべきだ。

勝手に道を選んで行き詰まる。――道を聞いても従わない。――経験から学ばずに、また勝手に道を選んで行き詰まる。

地理を尋ねて、地理だけを聴く。――地理の何たるかを学ばぬまま。

道に迷うから、地理を聴かねばならぬのである。――道に迷うことよりも、自ら道を探り得ないことこそが問題であるのに。それに気がつかないから、勝手に枝道にそれてまた迷う。

なぜ迷うのか? なぜ迷うことに躊躇しないのか? なぜ繰り返し迷うことを疑問に思わないのか? なぜ道を聞いても迷うのか?

繰り返す迷いに誰が真剣に向合ってくれるのだろう?

もう既に、道に迷うことよりも、躊躇無く迷うことこそが問題ではないのか。

・・・・・・・

人は往々、自分が思うよりも立派な性質を備えている。だが、自分の良さに気がつかぬ人ほど、姑息に生きて長所を隠す。するとまるで、長所を持たずに、卑怯に生きているかのような人ばかりが世間に見られることになる。

・・・・・・・

 それがどうせ、当たり前な自分であるなら、

隠すよりも、それらしく、

あるべきように生きれば、それが一番、自分に出来る立派な生き方なのに、

一番恥ずかしい在り方を、進んで選んで胸張って、カッコがよいとみっともなく生きている。

自分らしさを知らぬからこそ道に迷うし、自分らしさを知らぬからこそ、過剰演出で演出して顰蹙を買う。

 なぜ格好悪いと思うのだろう。背伸びしない自然な姿勢を?

  神の与えたもうたものを、わざわざ隠して、人の造りしものを、わざわざ飾るというのか?


いいわけ

2007年 9月 21日

「失敗したらどうしよう!?」――と、考える癖が付いて、なかなか最初の一歩が踏出せない。

後戻りできないのに、考えても仕方がないのに。……前に進まなければ行けないのに。明るく考えなくてはいけないのに。――そう判っているのに、判っているのに足が前に進まない。

動けずに、でもジタバタしていると、周囲からは「いまさら考えたって仕方がないでしょ!」と、叱咤される。その言葉が益々、私の重荷になるというのに。

背負う重荷の辛さに泣くか、開き直って呶鳴りまくるか――その選択の中で再び迷う。……迷いの中で目的を見失い、ただ、自分の心の平穏を取戻すことだけを考え始める。

……そして、そして、そして。

 そして、また何も出来ない。……

 少しの自責と、取戻した落ちつきの中で、ハタと自覚する。

『まるで私は、自分から手を挙げておいて、結局、抛り出している卑怯者みたいではないか!!』――慌てて周囲に言訳をして、ますます周囲の信用を失う。

……小細工。

 自分の不安を打消すためだけに、あれこれをして大局を顧みない。

努力して失敗すること、 または、やらぬ言訳を繰返すこと。

『失敗したらどうしよう?』――心配しているようでいて、失敗の種子を播いている。自分の欠点に気が付かぬまま。

……

 誰にでも失敗はある。誰もが失敗の経験を持っているがゆえに、人生経験を重ねる毎に、おおむね人は失敗に寛容になるものだ。……神経質で、大人気ない人もいるだろうが。

同時に、おおむね人は、小細工、言訳、そして嘘が、得るものよりも失うものが多いことを学ぶがゆえに、人生経験を重ねる毎に、小細工、言訳、嘘の類を、軽蔑するようになるのである。

人々が、人生経験を重ねる毎に捨去っていくやり方に、いつまでもしがみついていることが、自身の人間関係をどれほど貧しくしていくことか。

今日の言訳は受入れられるかも知れない。明日の言訳は咎められないかも知れない。だが、明後日はどうか?――より良い言訳を用意する者もいる。その一方で幼稚な言訳にウンザリしている人々も多いことをあなたは気が付いているか?

いや、そういう性格に到ったなりの事情があることも理解する。理解するが、言訳を繰返すことは、進んで嘘をつくこととどう違うというのか?

それが病や性質であるというなら、「信じがたい人」という不定型な評価から、「信じられない人」という確定的な評価に変るだけではないか。

  失敗よりも言訳の方が樂――当人にとってはそうかも知れない。

  だが、周囲の評価は一体どちらが有利であるのか?


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