憎悪……やり直す切っ掛けになることを祈って
2005年 08月 19日
憎しみに支配されている人は往々気が付かないが、憎しみは相手よりもむしろ自分を苦しめる。その事は、憎む人が相手を傷つけずに入られぬ事を見ればわかるだろう。相手を苦しめるための手段がなければ、人はどれほど焦れ、苦しむか。
相手を苦しめるのは、自分の苦しみを相手に転嫁する努力だ。――果して効果があるかどうかは別として。
他を憎むことは自分の心を憎しみに囲い続けることに等しい。人の心は、愛や歓びで満たすことも出来るのに、憎むことで心を満たし、憎む心の醜さが、愛や歓びを遠ざけるのだから。
憎しみは、一体誰を苦しめるのだろう?
肉体の死と共に憎悪が消えていくのであれば、人の情念は忍耐だけで浄化できるのであろう。だが、人の個性が永遠に存続するのであれば、努力無くして憎悪は消えていかない。……その憎しみはどう消していくのか?
憎悪を向けた相手が自分を愛するとでも思うのか? 自分の苦しみを転嫁して、その苦しみが再び舞戻らぬと信じているのか?…… 人はそれぞれに人生の重荷を背負っている。その重荷の上に苦しみを与えたのだ。復讐には利子が付かぬはずがない。
相手が許しを請えばそれで憎悪が消えていくというのか?……なるほど、それで気は晴れるかも知れない。憎悪という幼稚で野蛮な、対人問題解決法を行使する人が、身の回りから憎悪を消し去ることが出来るだろうか。
相手が許そうとしても、自分の情念をなだめることが出来ないのであれば、問題はなおのこと深刻だ。宇宙の総ての魂が善良であっても、自分一人は憎むことを止められないということなのだから。
魂は進歩を続ける。……愛や歓びを遠ざけて、憎む心ばかりを大切にしていて、一体その魂はどのような進歩を成し遂げるのだろう。
肉体の死と共に憎悪が消えていくのであれば、救いもないが、気が楽だろう。だが、魂が永遠の生を歩むのであれば、憎悪を抱くのは、より多くの苦悩と不安と、不安を消すための闘争が待っていることになる。
2010/02/20 at 14:21
[...] の修正法ばかりでは、どうにもつまらない。たまには長所の伸ばし方を扱いたいものだと思っていた。そして今回、憎悪を論じたのだから、出来たら愛でも論じたいな、と思ったが…… [...]