呪ってやる!
2005年 06月 29日
「今誰かに殺してもらえれば、強烈な怨霊になれるのに……」……と、いうメールを受け取った。幸い私を呪うメールではない。世間は霊媒を勘違いしているようだが、呪いに敏感なのは霊感が敏感な人だ。
時折テレビ番組などで、「普通の人なら命を奪われたかも知れない」……悪因縁なる話が登場するが、あれは霊媒の強がりである。普通の人なら気がつきもしない場所で、七転八倒するのがありきたりの霊媒の生き様だ。……不憫である。まあ、かつての私も充分不憫だったが、今は相応の敏感さと人並みの鈍感さも合わせて手に入れた。
まあ、自慢話は辞めておく。……かなりアバウトな論理だが、私は思う。人の行為に怒り、我を忘れるのは真の怒りではない。自分に非があるのである。もしも相手に非があるなら、怒って冷静にならなければ勝ち目はない。
まして社会は不完全だ。だが、不完全だからと法を犯せば、社会通念上の悪と見なされる。そして世の中には、不完全な世の仕組みを悪用して生きる者がある。――虎の威を借る狐に腹を立てても、下手に挑めば虎を怒らす。
あいつが悪い、こいつが悪い……不平不満をいくら言ったところで問題は解決しない。解決し無いどころか、名誉毀損や誣告罪で逆に訴えられる材料を相手に提供するだけのことだ。――勝てないから相手を憎み、相手を憎むから自滅の道を辿る。こんな悪循環に誰が乗り出すというのか?
強烈な怨霊なんてナンセンスだ。――そんなものになっても、類は友を呼んで怨霊同志で慰め合うか、功名心に踊るとんまな霊媒を呼び寄せるか、気弱な悪党と深い因縁を結ぶのがオチ。くだらぬ相手と来世も抱き合うつもりか?
愚者と相争うのは愚者だけだ。愚者を悟らすという無謀なことは、愚者か、もしかしたら仏陀やメシア位が思い立つだけだ。その仏陀やメシア等も、2000年ほど前には、それを成せずに帰幽した。……であるから、一般則に照らせば、愚者をさとそうとするのは愚者だけである。
愚者とは、己の叡智の引き立て役に使うのがちょうど良い使い道なのである。
ところで、念のためにフォローするが、そもそも愚者とは、智慧・思慮の未熟なる者をいうのではない。未熟とは未熟であって愚ではない。愚とは己を智者と自惚れるものを指す。……または、自分より劣るものを求めるのが愚者、自分よりも優れたるものを探すのが智者だ。この智愚の違いは、そのまま霊格の高・低に等しい。
兵は兵と戦い、将は軍と戦う――個人相手に争うのは所詮は将の器にあらず、ただの兵卒の行為だ。
その愚者を生んだのが社会であるなら、社会と争う気概を持たなければ勝つはずもない。兵と争う将はすでに負けなのである。