地には平和を!

2005年 01月 13日


地には平和を!

 私はかつて、地球人という自負を持っていた。日本人としてのナショナリズムに陥ることなく、汎地球的な利害で物事を考えようという態度だ。だが、高邁な理想にも関わらず、語学力的な面から見てもその達成度はすこぶる低いが、それはまあご愛敬である。

 今も別に地球人としての自負心を棄てたわけではない。ただ、霊感に目覚めて以後、自分にラベルを貼るのを止めただけだ。つまり、そう、今はラベルが貼られているから地球人なのではなく……あるがままの老神いさおであることを大切にしているということだ。

 だが、地球人という考えの矛盾に気がついてしまった。人は結局、己の理解できる範囲でその世界を考えるが、その範囲は、果たしてどれだけの広がりを持っているのだろう?

 もしも地球が、例えば宇宙の侵略者や、全地球的規模の天災に見舞われようとしているのなら――地球に暮らす人間誰もが地球人として振る舞えることだろう。だが、地上の二つの国が戦争を始めたとしたら、その両国民は果たして地球人として振る舞えるだろうか? 自国のナショナリズムに囚われずに済むのか、または、自己保身に走らずに済むのだろうか????

 遠大な理想を抱くことは必ずしも、その人格の高邁さを示しはしない。多くの人々が世界の平和を願う一方で、利害の反する一個人の破滅を願っていたりもするのだ。世界平和の祈りといえども、実は自己保身の一部であることも多い、我が身を犠牲にすれば皆が幸せに暮らせるとして、どれだけの人が我が身を犠牲に出来るだろうか? いやいや、その問いに言葉で答える必要はない。間違う余地なく世界が平和になるほどには、善意ある人は多くないのだから。

 自称平和主義者はとても多い。戦争論者よりも遙かに多いだろう。だが、果実から木の種類をみるという、聖書の智慧を用いるのならば、世の中は偽善者ばかりであると思えるだろう。……理想と現実のこのギャップこそが、絶望を暗示しているのだ。理想が希望ではなく、ただのファッションとなっている現代。希望が信頼に値しないなら、人々に果たして未来はあるのか? 

 犯罪の低年齢化、児童・生徒の学力低下、日本の未来を担う子供達が堕落しているのだ、今、日本の中堅を担う我らは、一体誰にバトンを渡すのか? 地球的な利害で考え、日本の子供達以外に未来を託すとしても……まともな子供を育てられぬ日本人にいかなる存在価値があるのだろうか?

 日本人は幻想に我を忘れて、未来を棄ててはいないか? ――ただ今の幸せを得るために、明日を安値で売り飛ばしてはいないか? 

 絶望とは希望を失うことだ、そして、希望とは現在の欲望充足ではなく、願望が未来に達成される事を信じることだ――明日の幸せではなく、今の幸せを追い掛けることは、幸福なようでいて実は絶望と同じではないか?

 必要なのは世界平和か? 必要なのは今の幸せか? なすべき事が闘争の放棄、求めるべきは明日の幸せ……迂遠な考えをあざ笑うのは、智者か、愚者か、どちらであろうか? ――そして私は今の幸福よりも、智者であることを選ぶ。それが切ない選択であるとしても。


嫌い……が意味する所

 月とスッポンの違い――世界平和を祈りながら、現実には隣人との争いを止められぬ人が多い。つまり、人の祈りに嘘はなくとも、人の行いは欠陥だらけのまがい物に過ぎないことは明々白々な事といえる。

 霊格の高低は何が基準か――霊媒共は、低級霊とか、高級霊とかいう。だが、何を基準にして低いとか、高いと格別するのか、正しく知る者は少ない。また、善悪についても相対的な見方が出来なくもない。だが相対的な観点を絶対視するのは合理的に見えて実は愚かである。真理とは不偏の事実であり、不偏ではないが故に相対的な価値観は真理と呼び得ないからだ。

 人の多くは、自分に利をもたらす者を善と呼び、利を損なう者を悪と呼ぶ。そうした相対的な基準で好き嫌いを決めたりもする。真理を知らぬ者は、いつまでも相対的視点から、善悪・高低を評価し、好き嫌いで物事に一線を引く。だが、真理に背いて真実が得られるはずもない。

 善悪・高低、実は絶対的・普遍的な視点が存在する。自らを貶める者を悪と呼び、自らを高める者を善と呼ぶ。また、己を慎む者を(説明より)高いと呼び、己を過大評価する者を(説明より)低いと評価するのも普遍的な基準である。

 愚者にも智者にも、人の好き嫌いはあるだろう。だが、相対的な観点で人の好き嫌いをいってもそれは派閥争いにしか成らない。しかし、絶対的な観点での好き嫌いはどうだろうか?

 我欲を謹んで向上の道を進む者と、共に生きられるならばあなたも向上するだろう。しかし、我欲のままに己を貶める生き方をする者と共に生きて、あなたはどこに進むのか? 急な坂道は頂上への近道であるが、楽だからと下り坂を進めば頂上から離れるばかりだ。

 私は嫌う……下り坂を行かんとする者を、そのような者と共に道を歩む気はない。

 そして多くの人々は嫌う――険しく苦しい上り坂を強いる人を。

 だが、私は今の幸せよりも、今の希望を大切にする。快楽よりも生き甲斐を、自尊心の充足よりも神の誉れを……人それぞれに求める者と価値観は違うだろう。私はそれを相対的な見地で区別はしない。ただ、その結果で違いを判断するのだ。


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