勘が働かぬ
2006年 01月 18日
なかなか勘の働きが良くならないオフ会参加者を見てもどかしく想っていた。この想い関する助言がないことも、更にもどかしく想えた。 ……応えがないのも答の内。この問題に関しては漠然と触れぬ方がよいとは感じていた。明らかにすることがかえって誤解を招くこともある。
大人しくしていたのは霊的障害も感じていたからだ。無理に引離そうとすると傷が生じる……
ようやくこの件について、まとまった助言を得た。なお、これは特定の個人への回答ではなく一般論としてある。
- 問いかけ方に問題がある――当人は余り意識していないことらしいが、自身が質問するに当って、回答の方法や時期についての注文があると、返事をするのが難しくなる。
霊感が充分に敏感であれば、返事を与えるのにそう無理はないが、霊感が鈍く、心のゆとりのない人に、充分な情報を伝えるのはとても難しい、とても難しいのにさらに条件がつくと、それを守るのは無理が生じる。条件を守らなければ誤解が生じることも思われ、結局、直接当人に答えない方が無難ということもある。
まして、気に入らぬ答を得ると、心中で食って掛かるような人に事前に情報を与えると、あらがって、うまくいくものもうまくいかなくなる恐れがある。
これは基本的にすべての人間に当てはまる。……せっぱ詰ってから、ようやく祈り始めるからだ。
答を求めるなら、時期や方法を指定しないことだ。 - 1と関連するが、やはりせっぱ詰って質問を挙げると、落着きがなくて質問を伝えにくく、答も得難い。答を待つ時に態度に無理が有れば答えようもない。
- 回り道も必要――個人の立場からは足止めや回り道に思えても、足並を揃えなければ前には進めないことがある。
社会は多数の人間の思惑の元で動いているし、複数の人が共通の利害を支えている場合もある。日本的な表現を使うなら、家の因縁は家族全体が担わなければならない問題で、一人勝手に逃出すことは出来ない。
突出すれば負担が増えるし、ジタバタすれば全員共倒れの危険もある。辛くても耐えねばならぬ時がある一方で、その忍耐が自分以外の誰かの事情による事を知りたがらぬ人もいるだろう。 - 霊視してみせられただけなので、こちらは説明が難しい。幽体の状態が防御的で、他者の念を受けにくくなっている…… これの解消は難とも説明しがたい。もっとリラックスする一方で、受信に意識を集中して……と、まあ、精神統一のコツにも通じることではある。
と同時に、受信の練習が伴わなければ精神統一はうまくなるぬのではないか、という疑問も生じるが……『物には順序、環境を整えずに霊界通信を受けると、安易に流れて物事が拗れるばかり』といわれた。
現実問題として、やはり常連は霊的環境が片付いているのを感じていることと思う。