理想的な精神統一

2004年 10月 22日


 今まで私もあまり積極的に説明してこなかった、非常に興味深い命題であります。精神統一の問題については、これはもう一生の……というより、永遠の命題でありまして、現段階でこれが究極の……というものは表現し得ませんが、現在の私のベストを尽くしてみます。

  発想手法

 まず第一に考えるべきは、この問題をどう考察していくかということです。つまり発想法には大きく分けて二通り有り、下から積み上げていくか、上から分析していくか、どちらを選ぶかですが、ここは霊媒的に高飛車な態度……すなわち、上から分析を深めていく方法をとることにいたします。

  精神統一の定義

 次の問題は、精神統一とは何か? ということです。下から積み上げていくならば、より理想的な心の追求ということになりますが、上から見た場合は、むしろ、感化を与えやすい心のあり方というべきでしょう。

 以前私は、心霊主義というのは「舗装された崖のようなもの」だ、と表現致しました。急な坂道は頂上への近道、しかし、あまり急な坂、極端に急な坂ならば歩いて昇るわけには参りません。引き上げてもらわざるを得ないのが崖、その崖がさらには舗装されているというのですから念の入った話です。つまりは、どこまでも助けられること、上から引き上げられることを前提にした霊性の向上手段が心霊主義であるということです。

 この説明法はどうも、落ちる事への恐怖ばかりをかき立てたのかも知れません。しかし、引き上げてくれるものとの意識が合わない限り、心霊主義は単なる道徳訓と何ら代りがないのです。

 つまる所、心霊主義的な修行というのは、単に上がりたいと思うものだけの修行ではなく、それを引き上げようとするものとの息を合わせることが大切となります。

 したがって、その極意は、口伝的……最重要な知恵だが、言葉として聞くと実にありふれた説明……に言うなら、「しゃべっているから孤独になる。聞くことが大切なのだ。」となります。

  精神統一の必要性

 人間とは肉体をまとった霊魂だというのが心霊論者(心霊主義やスピリチュアリズムなど、心霊肯定論全般の意見)の主張であります。すると、すべての人に霊感が無ければならぬ事になります。すべての霊魂には他の霊魂、もちろん死者の霊魂とも交霊する能力が備わっているからこそ、死後の世界も成立し得るのですから。

 では、なぜすべての人が霊感を発揮出来ないのか……肉体の影響が強すぎて、霊魂の感覚がかき消されているからなのです。(これを勘違いしている人が多い。霊感を得るために苦行をしても、場合によってはますます身体が鍛えられて霊感が鈍くなることが起こり得る。そもそも滝行などは、霊感を得るためというより無駄な感応を止めるために行うものだ)

 ですから、霊感の強い人には病的な体質のものが多いのはむしろ当たり前ですらあります。そもそも肉体邸な感覚が鈍い方が、霊的な感覚を発揮しやすいのですから、病的・短命な霊媒が多いのはむしろ自然な事といえます。それに気がつかずに神に選ばれた存在であると自負するのはナンセンスであり、一得一失、損得のバランスはしっかり取れていて、ただ、好き嫌いがあるだけのことです。

 逆に霊感を得るのが簡単というのは、要するに死なない程度に身体を弱らせればいいわけで、ただしこのやり方の場合、往々、低級霊ほど憑依されやすいというかなり無意味な努力となります。

 また、いわゆる金縛りといった、身体は寝ているが意識が目覚めている状況は、肉体の影響が比較的少ないという点で、霊感を働かせるのには比較的良い状況です。ただ、往々結果が恐怖しかもたらさないのは、要するに心霊知識の欠如と同時に、積善をおろそかにしていることが重大な要因となります。すなわち、良き霊が尋ねてきてくれなければ、せっかく良い交霊状態になっても意味が無く、意味がない状態で霊と出会えば、恐れることに繋がりかねないわけです。

 死後には死後の精神統一のメリットもありますが、地上での精神統一と比べて、肉体をなだめるという最大の難事が無くているわけですから、死後の精神統一の法がよほど楽なのですが、結局、地上において、精神統一をする意義というと、良い感化を受けやすい精神状態と言うより、むしろ、自身の心を整理する……時間軸・記憶の整理というより平行軸・自身が心と感じている様々な意識の働きを分類・分別することこそが大切になるのだと思われます。

  精神統一の巧拙を決めるもの

 結果だけ見れば、霊媒は精神統一がうまくて当たり前と思われがちです。しかしそれは大きな誤解です。そもそも敏感(むしろ過敏)な人と鈍感な人とではどちらが大人しくしていられるものでしょうか?

 先日、友人と遠出をして、帰りに温泉に立ち寄った時のこと。友人はまあ、サウナなどで気持ちよさそうに精神統一しているのに対して、私は、拾ってしまったお客様の応対に苦労をしていました。単純に心を静めて座っているだけならば、敏感な人ほど苦労するのは当たり前、その意味において、霊媒はむしろ精神統一が苦手だと考えるべきでしょう。精神統一するよりも憑依される方が簡単すぎるのです。(「出廬」中の出口王仁三郎氏の言動を参照。氏は審神するつもりが、寄り代より先に神憑ってしまう)

 さて、もう一つ、精神統一の巧拙を決める要素があります。

 私自身も他の霊媒の指導下に精神統一をする事があります。その経験から言っても、主催する霊媒と、精神統一の容易さとは相関関係があります。要するに、上手な指導者の元でなら容易く精神統一出来るのに対して、下手な指導者の元だとなかなかうまく統一出来ないものなのですね。

 結局のところ、精神統一というのは、個人の修行のように見えて、その実、その人と、その人を指導する霊との共同作業なのです。実はこれ、死者も変わりません。幽界のものならば霊界の指導下に精神統一を行い、霊界のものならば神界(真界)の元の指導下に精神統一を行います。そしてそこでは、自分の境涯以上の叡智に触れる大きなチャンスであるわけです。

 実を言えば、霊媒は精神統一がうまいのではなく、精神統一の誘導がうまい背後霊を持っているのが霊媒なのです。また、時間や場所を決めることが大切というのは、指導してくれる霊との都合を合わせるために必要なんです。

 また、精神統一が苦手という人は、なるほど、自我・名誉欲や権力欲が強い人の場合もありますが、実は霊感が強い、過敏であるという場合もあります。すると問題なのは、精神統一の理論武装よりもむしろ、自身の欲望に見合った積善が大切だったりするのですね。

 仏典から言葉を借りると、「福徳と功徳とは違う。積善して福徳(現世利益)を求めるのは修行にならぬ。」という訳なのです。積善の報酬としては、より深い精神統一にお導き下さい……と願うなら、一度身に付いた才能として何度でもつかえるけれど、現世利益というのは一度使ったらそれでチャラなんです。

  精神統一を見る視点

 精神統一というのは、単にうまい・下手、という一つのパラメーター(変数)だけで考えてはならず、体質的・気質的、また祖霊(血縁的)・指導霊(職能的)な要素など様々なものが絡み合っています。下手であるということはなるほど改善の余地があるわけですが、一つに偏ることで解決はせず、真の解決は、実に、すべてのパラメーターに渡ってまんべんなく向上していくことにあるのですね。

 やぶ蛇的ではありますが、ようは答えよりも、せめて一度でよいから、より良い精神統一を味合わせろ……というのがよほど有益な質問(?)であったりします。むろん、問われるまでもなく、その実現手段を模索しつつあるわけですが。


コメント / トラックバック 1 件

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