環境は大同小異。後はテクニックだ。
2006年 04月 02日
車で悪路を走るとする。突然ハンドルを取られて車はあらぬ方向に……その原因は果たして、路面の悪さか、操作ミスか、車の故障か、誰かの謀略か。――私自身、霊感をもち、また、霊障に苦しんだ経験もあるから、霊障が無いというつもりは無い。だが人の苦悩の原因を、霊障に求めるのはどうかと思う。
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上述、「車で悪路を走る」を比喩としてそれを説明するなら、霊的環境がつまりは道路である。少なくとも道が合っての車であるから、全ての原因は路面に求めることも出来る。ここでわざわざ、「悪路」と限定したのは、世間一般に心霊知識が普及していなくて迷信が多いことを表わしている。
悪路であるから、操作ミスや故障を誘発しやすくはあるだろう。……だが、道が悪いのは誰もがほぼ、同じ条件である。たとえ心霊知識があろうとも、その心霊知識がいかに磨かれたかを考えるなら、つまり悪因縁が多すぎた結果、必然的に身に付いたと考えれば、人の備えた条件に個人差がありそうでいながら実は大して差がないことに気がつく。
すると、本当に差が出るのは、操作ミスの有無、故障の有無、では無かろうか。そう気がついたが故に私は、それ以上に心霊知識を掘り下げるよりもむしろ、人としての上手な生き方に改めて研究心を向けることになった。…… むろんその過程はあまりに幼稚であると自認している。(どのレベルかはここでは問題ではない)が、ある意味古典的な智識を再認識して直ちに、もう一段別な視点があることに気がついた。
実はこれ、心霊相談を通じて深まった理解とも関係がある。……私の見るところ、「悩み多き人」とは、つまり切り替えが下手な人なのだ。
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操作ミスや故障の有無は、むろん重要な要素ではあるが、それ以上に重要な要素は、 異常の把握能力なのだ。つまり、操作ミスや故障も、やはり誰にでもあり得ることなのである。ただ、進み方の早い人は、操作ミスをすかさず是正し、また、故障が小さなうちに素早く修理するために被害を最小にしているが故に、他よりも早く進めるのである。
つまり、悪路の運転において、道の悪さからハンドルが取られる……等ということを問題にするのは、悪路の運転技能を持たぬものがいうことなのだ。
悪路(人生は険しく)でなおかつ車(身体)は故障が避けられない。
操作ミスや故障の有無という要因も、人の備えた条件に個人差がありそうでいながら実は大して差がないのである。
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すると結局――様々な障害要素があっても、最後は(人生の)運転テクニックの問題に至る―― ということになる。
だから私は、心霊思想・心霊知識を人類の必修過程となるべきと信じているが、大人が生涯を掛ける程の価値がない事を感じ取っている。 ……それが私の一番の苦痛なのである。もっと冷静・淡泊――つまり、慌てず、着実に進む研究家がもっと増えてくれれば私の負担も減るのだろうに。