難多く、福少ない生き方
2006年 03月 26日
宗教に関する通信を受けた直後、伝えたいことがある、という霊を感じた。知らない相手ではないので耳を傾けてみる。
先ほど、宗教に関する通信を行っていらっしゃいましたが、誠にその通りと感じ入ります。私はここで、精神統一がうまくいかない或者の守護霊として、お時間を頂きたく思います。
まず、いけないと思うことは、最初に理想の自分をもって統一にはいることです。確かに、精神統一の初期には、心を静めるために多少過剰気味に自信を持つことは結構です。しかし、修行が進んでも尚、同じ理想を懐き続けるのは、むしろ進歩を妨げていることを知るべきです。
理想を持ちながらもちっともそれに近づかず、延々と統一を繰返しても飽きるだけです。実現しないのであれば、何故それが実現しないのか、または、自分に適切な理想であるのか、そういったことに疑問を持たなければなりますまい。
生真面目であることは、その守護霊として誇りに思うところですが、(と、頭を下げられてこちらは赤面する)、要領が悪いのは何とも焦れったいところです。
空虚な理想に決別して、真に理想を実現すること……それこそが地上に生れ出ずる意義であるのに、それをなおざりにすることは心霊学徒として不誠実であるばかりではありません。安全・順調な線路から外れているのですから危険が多くて遅れがちの生き方なのです。遅れるというのはチャンスを逃すという意味でもあるのです。
難多く、福少ない生き方をしておいて、私(守護霊)を恨んでくださいますな。しなくても良い心配をさせられて、私が恨み言を言いたいぐらいなのですから。(ハラハラドキドキが伝わってくる)
そう、幸運を求める人は、「幸運」を自家用車的に考えて、自分の元へ一直線に来ることを想像しているようだけれど、観念的には、バスや列車に例えるのが近いと思う。それはあちこちの人を繋げて、余る物を受取り、足りぬ所に運んでくるようにして、人に幸運をもたらす。
だから、必要な時に必要なものを受取るためには、ジタバタせずに物事の流れに身を任せることが必要になる。でないと、乗り遅れて、次の機会を待たねばならなくなる。といって、焦って前のに乗ろうとすると、既に配る相手が決まっているからと断られもする。…… 人の物を欲しがる事がいたく嫌われるのも、こういう仕組みがあればこそだろう。