独立自営への道
2006年 03月 14日
オフ会常連者の守護霊が眼前に現れた。何度も通信している相手である。そして言伝を頼まれた。
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ええぃ。まったくしょうがない奴だ。仕事で酒を飲まねばならぬことはわかるが、用が済んでもまだ飲んでいる。金が問題なのではない。酒を飲めば自分がだらしなくなり、酔っている間は時間が無駄になるのである。そんなことでは独立自営などは出来はしない。そもそも当人は、独立自営など夢のこと、チャンスがあればありがたい程度でしか考えてはおらぬのだろうが、独立の気鋭を持たなければ、人間としてだめになる。
これからだんだん年をとり、頭を使うのが億劫になっていくのに、人の指図を待っていてはますます頭を使わなくなる。ましてや、相手の意図するところを見抜けなければ使われていても愚鈍扱いされてしまうだろう。そして経営者の意図するところを見抜くには、経営者の視点を持たなければならない。それは自社の経営者にとってもありがたいことであり、取引先とのコミュニケーション上も大切なことである。つまり、独立自営の道を選ぶとは、良い部下であるためにも必要なことである。
そしてまた、独立自営への道は、人を使い、人を扱い、何より人を磨くことである。自分を磨くだけでなく、人を磨けるようになってこそ、真の意味での独立自営の道が開ける。人を磨くことなく自営をはじめれば、人を頼って人に悩まされ、人を扱いかねて人に騙されることが多くなる。
社長に成れたら、ラッキー、ハッピー、金と名誉がついてくる・・・などと思うのは倒産するために会社を興すようなものである。独立自営の道とは、人としての完成を目指すものであって、何も背後の霊たちも、金と名誉を与えたくて、自営を目指せというのではない。背後の者たちにとって、物質的な成功というのはいわば二の次なのである。その視点を持たず、背後の意図するところを汲むこともなくいるから、自営の道を進めといわれても、まだ、流されることに安住しているのだ。
これから一家を構えるにしても、今までのように会社の責任だけを果たせばよいと安穏とはしていられない。一家を構えれば、家の責任も生じてくるのだ。その板ばさみでどれほど多くの人が涙ながらに神仏の加護を求めているのか、ぜひ聞かせてやりたいものである。
問題の切り口には向き不向きがあって、どこからきればよいかを見極めるのは難しいものだが、それを同時に二つも切らねばならないときには、もっと難しくなるのである。つまり、ひとつに責任を果たすのも難しいが、二つの責任を同時に果たすのはもっと難しい、その問題解決の要点のつかみ方、その取り組みの姿勢がまだまだ出来ずにいるのである。
ひとつがまだなのに次々と責任を抱えて、助けてくれるものがあるからと油断すると助けも呼べなくなるぞ。