守護霊は口が重い
2006年 03月 13日
以前、札幌で出会った女性霊媒は、「あなたは人の話を聞く役目の人ですね。私もそうでしたが……」といった。彼女にとって霊媒とは、人に語る人ではなく、話を聞く人、であるのだ。と同時に、いわれてなるほどと思った。姉弟子達もなるほど、話を聞くのが上手である。例外なのは我が師一人……もっとも、(相談者の中に)聴くに足る話をする者がいないだけかも知れないが。
まあ、私も周囲からは聞き上手で通っている(ようだ?)が、それは人を見る眼のない連中の意見かも知れない。私は、人の話を聞き流すのが得意……聴いているフリをするのが得意なのだ。正直、聴いていない。もっとも、要点だけはしっかりと聞いているようで、概ねちゃんと相づちを打っているから聞き上手と見なされているらしい。私にしてみれば、これは霊視・霊聴以上の才能ではないかと思う。
自己弁護はこれぐらいにするとして、ようするに延々と人の話を聞くのは苦手なのである。……だから結論はなんだっていうんだ!!! と思ってしまう。
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大体、私の経験で見ると、(一般的に……つまり相談者のも)守護霊は滅多に、守護霊として霊媒に口を開かない。最近、忙しくて通信してはいないが、実に雄弁・文才ある守護霊が何人かいて、その方々の通信をまとめると随分と楽にブログを更新できるのだが、それはあくまで一個人としての通信であって、守護霊としての通信ではない。公的な通信ではないが故に、逆に私もみだりに通信できない想いがある位だ。
それに反して、両親、祖父母、祖々父母位の近縁者の霊魂は、実に安易に通信を寄こす。中には洒落者がいて興味深い話…… というよりも実に楽しい通信をくれるが、概ね、こういう近親者の霊魂は頼み事が多くて困る。
これを整理するとこうなるであろう。
神界(高級霊界)のお勤めをしているような霊魂は、無理や甘えた願いを、たとえば高級霊界に依願する事はあっても、地上にそれを向けることはない。だが、公的な仕事を任せられたことのない様な近親者の霊魂は、神仏等と呼ばれる高級霊が相手にしないような、無理な願い、甘えた願いを聞いてくれる相手を探して、霊媒にしつこくすることがよくあるのだ。
その意味からいうなら、守護霊が通信に困るとしたら、それは語って良い話題を吟味しているからであろう。みなまで言わなくても分かる。返事がもどかしいのは、語って良いことが少ないか、私があまりにせっかちなのか、どちらかである。念のために明記するが、私は進んで嘘をつくことをしない正直さと不都合なことは進んで言わない大人らしさを兼ね備えている。
等と言い訳は程々にして、改めて耳を傾ける。
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『私は、小さい頃から、あなたのことをずっと見守ってきました。今もあなたの側にいます』…… と蚊の鳴くような声で聞こえてきた。こんなひねりのない通信でよろこぶ様なおめでたい奴がいるのだろうか、等と思うのは心霊主義者の驕りであろうか。とはいえ、私が勝手に息巻いているのも事実である。
そもそも守護霊と庇護者の間には共通の欠点があるのが普通である。察するに、私がこれほどせっかちに息巻いてしまうのも、はたまた、某守護霊の反応がこれほど遅いのも実はそこに原因があるのだろう。
それはつまり――何とかしようと焦るのである。だが、何とかしなければいけない状況というのは、当たり前のことではあるが、自分の実力に余ることなのである。実力に余るのに焦ったら果たしてうまく行くのだろうか? 落ち着くことが必要なのは間違いないし、落ち着くだけでは間に合わないかも知れない。
当人は、その時、焦りと努力するのに夢中なのとで、自分の失敗を正しく認識していない。だからどうしても同じ過ちを繰り返して、その対処がどうにもならない。
急かされたら、頭を下げて、「すいませんが不器用な私にはそれを全部は出来ません。せめて、半分なりとも迷惑の無いように仕上げますので、それでご勘弁下さい」といえば、不足は半分に済むだろうに、全部をやろうとして全部をしくじるから、全部不足して、しかもその後片づけで苦しまなければならなくなる。そしてなにより可愛くないのは、出来ないことを出来るといって、出来なかった後に開き直ることなのだ。
なんのことはない。男が女難に苦しむのは、色気ムンムンの女に迫られるときではなく、薄幸の女性が不運を嘆いているときなのである。助けようと男気を出して泥沼に陥る……いけない、肝腎の守護霊の通信だが……
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『周囲の人々善意を信じ、また、悪意から身を避けて、自分らしさを棄てず、自分らしさだけを追わず、助けられ、助けて、人情の中に生きなさい。無理をせずとも生きられます。無理をしたいのは負けず嫌いが生み出す落とし穴だと気がつきましょう。出来ることの範囲で頑張りますといって、笑う人がいればそれは人生の敵、あなたの味方はきっと頷きます。
私がそばにいてもあなたはなかなか気がつきませんが、あなたの廻りに常に味方がいることは、私があなたを守っている証です。感謝はいりませんが、どうか恨み言を言わないでください。……常にあなたと共にいます。』
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もっとも、どんなに素晴らしい守護霊がそばに寄り添っていようとも、自分の気持ちが唯物的であれば、守護霊との隔離は数百キロに相当するだろう。そのくせ、その欠点だけは、距離にかかわらず同じであるなら、なんとも不都合なことである。
『でも、私は信じます。常に共に歩く日々を』
そう、彼女はそれが出来る人だと思う。だが、何の気なしにこのページを見る人は、自分が守護霊と共に生きる日々を信じられる人であろうか。