心霊主義を学びたい!・・・・・?
2006年 03月 04日
地上・社会の雰囲気は、居住者が生み出します。ゆったりとした社会有り、こせこせとした社会有り、殺伐としている社会有り、活気有り、退屈があり、頽廃もある。想念の世界である霊界は、地上社会よりも遙かに居住者の観念に大きな影響を受けるのです。つまり、霊界の風光は、居住者の観念が生み出します。
多くの人が死後の世界はどういう所であるかに関心を持ちます。そして多くの霊媒がそれに答えようといたします。しかし、 霊界の風光はその居住者の観念が生み出し、その居住者は地上と違って、霊的要素で区分けされるのです。
つまり、競争を好む者は競争と闘争の絶え間ない世界に、誠実に生きる人は調和と友愛の世界に、向上心の無い人は趣味と孤独の庵の中に、奔放で無軌道な人は光明のない世界にそれぞれ集まり、集まることでその風光を生み出します。
いわば灼熱不毛の岩くれの大地有り、嫉妬の生み出す沼地有り、静かで美しい村落もあれば、薄暗い中に赤みがかった霊光が乱舞する荒淫の世界もあります。
……どこに行くのかは、人それぞれ。そうであるなら、死後の世界の光景を知ることにどれほど意義があるのでしょう? 確かに無ではありません。でも、大切なことを忘れてはいませんか?
今、あなたが暮らすべき世界を知りたいのか、それともあなたが触れることの出来ない世界を知りたいのか……それよりも大切なのは、憧れの境涯にたどり着く手段、少なくともその手掛かりではないのか。
当たり前のことでなく、有り得ないことでなく、得るべきものを求めることこそが大切だ。―― 心霊思想は捉え所に乏しいからこそ、心霊思想に接する姿勢は堅実で向上心がなければならない、私はそれを語りたい。
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「心霊主義について、もっと知りたい」というメールも何度も頂いております。ありがたいお話しだとは思いますが、これに答えることもやはり私は自己矛盾に陥ります。――私の心霊主義は、私の境涯の真理でしかないからです。
人はそれぞれ異なる使命、または課題を持って持って地上に舞い降りたのです。つまり、人それぞれに、大切にすべき言葉は異なります。そうであるのに、私の言葉を大切に思ってくれる人々に、私が、私にとって大切な言葉を与えたらどうなるでしょう。その人々は、自分が大切にすべき言葉よりも、私が大切にする言葉を大切にするでしょう。
その結果は、調和ではなく独占、協調ではなく支配、繁栄ではなく孤独です。その行き着く先は……私の知らないことの何もない世界、私の驚くことの何もない世界、私のあこがれるものの何もない世界、私の求めるものの何もない世界……そんな世界は夢幻でしかありません。たとえそれが現実に感じられるとしても、感じるすべてに意味のない、死の世界でしかありません。
未知のものと出会いや驚きのある世界こそが心に活気を与え、変化を与え、向上心を満足させるのです。だから私は聞き返したい。
死後も個性が存続する。――永遠の時間の中に生きているのだとしたら、あなたは今をどう生き、何を求めて、どう行動するだろうか? その中で私たちは何を分かち合い、どう助け合えるであろうか。
その答こそが、あなたの心霊主義であり、あなたの人生にとって大切なことの筈。他人の心霊主義を学ぶというのは、その人の心象風景の一つになる努力でしかありません。
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私の経験は、もしかするとあなたの心霊主義をより洗練したものへと変えて行けるかも知れません。そして、つまらぬ妥協を止めてより良いものを追求するように勇気づけることが出来るかも知れません。一方では、危険性を指摘し、閉塞性を警告して、よりすみやかに良い方へ移るように促せるかも知れません。
……反対に、意図せずあなたを堕落させることもするかも知れません。それだけはなんとしても避けたいのです。
私は、私の心霊主義を持ち、私の心霊主義を語ります。でもそれは私のものであって、あなたのものではありません。あなたは、あなたの心霊主義を持ち、あなたの心霊主義を語るべきです。――私はそのお手伝いをしても、その肩代わりをいたしません。
それこそが私の心霊主義であり、霊媒としてのポリシーであり、私の境涯の在り方でもあります。
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学ぶとは、まねるが語源であるとか。つまり初心の内はまねることが大切でしょう。でも、自由とは、自らに由(依)る…… と書くのです。つまり、他人に由(依)らぬ事が自由であること。真似ている間のあなたは自由ではありません。そして私は他人を不自由に置くことを人生の目的とはいたしません。
あなたは自由を欲するのか、それとも奴隷として主人を求めるのか。……つまりそういうことです。
あなたが不慣れな内は、私を真似るのも良いかも知れません。でも、あなたらしさを自ら見出す努力がないなら、私の真似などは矛盾した努力でしかありません。