上手な手の抜き方
大阪オフ会の質疑にて
2005年 12月 07日
一口に几帳面な仕事というが、失敗をおそれるあまり、胃を悪くしては何のための人生か分らなくなる。……かくして、大阪オフ会にて、上手な手の抜き方について質問を受けた。
私も一応職業人だ。手の抜き方ならばそれなりに実績(?)もある。また、私自身が受け取る霊査にも、やはり手の抜き方に関するものが多い。とはいえ、木に竹を接ぐのたとえもあり、私に対する霊査が、この質問者に対する答になるとは限らない。 ……一人一人が違う人生を歩んでいるのだから、一人一人に、それぞれの霊査がある。
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最初に、お母様の躾の影響と感じます。(質問者は、むしろ父親の躾が厳しかった、と反論する)……そして霊査として、
『全体を見よ、全体を見れば省けるところが見えてくる。
全部を完璧にこなそうとするから集中力が足りなくなる。まして、人から言われるままに動くから、気ばかり遣って疲れやすい。
(大阪オフ会ではここまでの説明で次の話題に移ってしまった)
言われたことを従順にこなすのは、美徳な様でいて使う側から見れば面倒なことだ。面倒をこらえて指示をしているのに、しくじられれば腹立ちも大きい。かくして努力するほど怒られやすく、実りが薄い仕事となる。だが、言われる前に行い、気がついたらすぐに済ませておく。……出来ることを印象づけておけば、仕事のアラも隠れて見えない。
仕事への取り組み方に疑いを抱かれれば、どれほど努力しても重箱の隅を突くようにしてミスをほじくり出されてしまう。だが、仕事への取り組みに信頼を勝ち取れば、粗雑な仕事でも、「要点を押さえた仕事」と評価されるだろう。
几帳面な仕事が完璧なのではない。要点を押さえた仕事で充分に完璧なのである。…… 全体というのは仕事全体という狭い範囲のことではない。人生すべてにわたる視野のことだ。
嫌な表現ではあるが、仕事が十分出来ても上役から嫌われれば評価されぬものである。逆に仕事がまるで出来なくとも上役・同僚から好かれれば仕事も評価されてしまう。
これは神の正義の不在ではなく、社会、ひいては、人間の評価の歪みである。』
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