天使の取り分
2005年 09月 26日
誰もが豊かになりたいし、誰もが自分の主張を押し通したい……でも、世界は全人類の(いや全生命の)……共有物なのです。あなたが何かを得れば、大抵の場合、誰かがそれを失っているのです。
「宿命によって、または、神仏や守護霊によって人生が決められているなんて、そんな不自由な生き方は嫌だ!、私は自分で決めた道を歩みたい。」
確かに、確かに。霊媒である私もそう思います。――大抵の場合。
でも、一つを得るということは、誰かが一つを失っているのです。
「それがどうした、努力の結果得たものを、どうして他人に気兼ねしなければならないのだ!! 世の中には自分一人が溜め込んで、他に不自由を掛けている人なんていくらでもいるじゃないか。」
だからこそ……身勝手な人が多いからこそ、世の中には不足ばかりで、窮屈で、肝腎なところがうまく動いていないのです。
宿命にただ従うことが善であるというのではありません。努力で結果を得ようとするのが悪だというのではありません。……ただ、自分の取り分を「天」に預けた人がいて、その預けた分が回りまわって、それを必要とする人を救う資本となっているのです。でも、自分の権利を主張する人ばかりが多いから、困っていても助けを得られない人が出てくる。それも数多く。数多く、数多く。
世の中は譲歩の絶対量が足りなくて、窮屈になっているのです。
寄付やボランティアは、人の知恵の範囲でしか他者を幸せにしません。あなたの謙虚さや必要以上に貪らない気持ちは、それが「天使の取り分(霊達が自由に出来る過剰分)」を生み出して、思いも掛けない幸せを人々にもたらすことが出来るのです。
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他が決めた人生なんて嫌だ!!――確かに人間の智慧に従わされて生きるのは窮屈で詰りませんが、運命が紡ぎ出す「妙」というのは世界観を多きく変えるものです。
たとえば、肉体の死が、精神の死とは別物であるという実感や、五感で感じられる以上の現実があるという実感など……
自分自身の試行錯誤がもたらす驚きと、良き指導者が与えてくれる驚きとは、格が違うのです。それはつまり、知らぬ者と知る者との違いなのですから。良き指導者は、私たちが当たり前に通り過ぎている現実の中にさえも、驚きの種が潜んでいることを教えてくれます。
知らぬ者とはつまり、無駄な人生の歩み方をするものなのです。――日々の中で、驚きが、そして感動が無いと嘆き、学ぶべきものを探す人がいるとすれば、その人にとって本当の損失は、感動の不足ではなく、適切な師を持たぬことの無駄なのです。