分を守って自分を守る
2005年 08月 25日
人間には持って生まれた「分《ぶ》」または「分限《ぶんげん》」があって、その範囲内でなら欲をかくのも、さぼるのも自由がきいて、しかも、そこそこの成果を得て人生を終えることが出来ます。
この「人間の分」なるものは、多くの人々が考えるような、一個人の責任の問題ではありません。人は一人では生きられず、多くの人々と様々な関係の中に生きているのです。人生は沢山の他の人生と絡み合って制約を受けるのです。
たとえばあなたが幸せになろうとして、分限を越えて努力したとします。良い学校や良い会社に入ろうと努力してその結果を得たら…… 入試や就職にも枠があり、あなたが入れば、他の誰かが落ちなければなりません。そして学校や勤め先が将来の人生に大きな影響を与えるのも事実でしょう。
選択肢の中には、どちらを選ぼうとも結果が同じというものも数多くある一方で、重大な影響を及ぼす選択肢もあります。どうでもいい選択はお好きなように、でも、重大な選択肢は人の意志に反して強引に結果がもたらされるものなのです。
ところが、たとえ僅かでもこの分限を越えようとするなら……邪魔をされるのであればまだ幸せかも知れません。なまじ、この努力を応援する者がいたりすると……制約というのは他に影響を及ぼさぬ為に必要なものなのです。ホンの些細なあなたの努力が、誰かにささやかな影響を及ぼし、そのささやかな影響がもっと大勢に大きな影響を及ぼして、と、ドミノ倒しの様に多大な被害を生じるかも知れません。それは一体誰の責任に帰するのでしょうか?
幸せになるためにもっと力が欲しい……あなたが望んで良いのは、あなたの未知なる分の範囲内です。祈りは、人の持つ分・分限を最大限に活用させる力があります。ですが、あなたがその分限を越えようとしたなら……邪魔が入るか、全く効果がないのが普通なのです。さもなければ、望みは叶わず、代りに多くを失うこととなります。
祈って効果がなければ、あとは焦らぬことです。あなたの焦りは、あなたのすべてをダメにするかも知れないし、あなたの周囲にも悪影響を出すかも知れないのです。そして、望みが叶わぬだけでなく、今持っているものまで失うのはつまらぬ事です。