霊媒信任のジレンマ
2005年 05月 16日
オフ会常連の某氏の祖先は、全く私を相手にしないで、他の霊媒を通じて某氏と連絡を取ろうとする。ところが某氏は、世代があまりに隔離している某霊媒の言をしっかりと受け止められない。
この状況下で私がする事と言えば、エヘラエヘラするだけだ。――当然だろう? 霊媒というのは、霊と人との媒介である。双方から信任されなければその任には相応しくないのだ。
私にとって滑稽なことに、昭和初期・戦前(つまり敗戦前)の文化に浸った霊、又は人は、大抵私を傲慢扱いする。まあ、戦後生れにも傲慢扱いするが、そういう方々は眼中にない。眼中にないから傲慢扱いされるのだが、戦前の方々の視点はそれとは別だ。私は相手の言うことを聞かないのである。
何が障壁になっているのか?……「祖先を尊敬せよ」と言われても、「出来るはずがない」と、私は相手にしないのである。
愛する、尊敬する、好む、憎む、嫌う……これらは認識後の心の働きである。つまり、愛すべきものを見出さずに愛することは出来ないし、尊敬すべきものを見出さずに尊敬は出来ない。好むものがなければ好めないし、憎む者がなければ憎めない。嫌うべきものが無ければ嫌うことも出来ない。……どうして彼・彼女らは、このような命令に私たちが従うと思うのだろう?
愛させたければ愛すべきものを見せればいい。尊敬させたければ尊敬すべきを見せればいい。――私たちが拒絶するのは、相手が理解を示さないからだ。そして、相手が私を拒絶するのは、私が拒絶をするからだ。
……何のことはない。内容に断絶があるのではなく、大前提からして断絶があるのだ。
腹を割って話してみる。正直、内容には無理がある。だが、それが何であるというのか? 無理を無理と決めつけては成長がないではないか。互いに無理を押し付け合い、そこから出来ること、助け合って出来ることを一つずつ見つけていく。それが協調という行為ではないか。
私は聞き、チャンスがあれば伝えると約束し、そして伝えていない。その間に、祖先の霊達は、無理な言い分であったかと反省さえしている。互いにお互いの言い分を聞こうという歩み寄り。……血は水より濃いのだと思う。
私はいたずらにそれを引き裂こうとは思わない。
2010/02/15 at 14:35
[...] 先日、(霊媒信任の)ジレンマにおいて、祖霊とのコミュニケーションを話題にした。……それを読み返すと支離滅裂な感が多分にあるが、それはさておき、本件について問い合わせが [...]