‘偽善と叫ぶ偽善
2005年 05月 17日
慈善事業にいそしむ人を指して、「偽善者」と罵る人がいる。たしかに、うわべは善良そうに振る舞っていても、内心はどうか知れないし、悪事の隠れ蓑として慈善事業を行っている可能性もあるかも知れない。
しかし、騙す意図が無ければ慈善は慈善だ。――まして、人は善良に生きようと努力してもなお、行き違いや過ちから他人に迷惑を掛けることもある。また、一方に利をもたらすことが他方の不利をもたらすことも世には多いものだ。つまり、動機を無視して、自分の利を正義と呼びかえるなら世の中はたちまち偽善者だらけで善良なる人はいなくなるだろう。まして内心に潜む名誉欲や自己顕示欲の働きや、又は罪悪感への埋め合わせといった心理分析までされてしまえばなおのことだ。
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ところで慈善事業にいそしむ人が偽善者であることは否定できないが……他人をみだりに罵り、貶す人はいかなる人であろうか?…… 建前上は、「悪を正す」などといった理由をこじつけていたとしても、その動機の裏に、己自身の名誉欲や自己顕示欲、罪悪感、そして利害等といった事情が働いていないと言えるのだろうか? すなわち、「悪を正す」という行為自体が偽善でないのか? まして、実にくだらない話だが、他人を誹謗するのは善い行為なのか。
こうしてみると思う。他者を「偽善家」と罵る人は純粋なる悪人ではないかと。本当に義心から行動に移すのなら、証拠を固めて告発するなどすればよい筈だ。
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JR宝塚線の列車脱線事故以来、線路への置き石や自転車放置などといったイタズラが多数報道されている。乗務員へのイヤガラセも多数あるようだ。乗務員に余計なプレッシャーを与えつつ、同時により安全な運行を強いるのは矛盾でしかない。
安全対策を怠ったJRと、無理な運転をした乗務員をかばう意図は無いが……因果律に委ねる……大事故であっても事故、すなわち過失である。それに対して、線路への置き石や自転車放置は事故誘発の危険性を承知で行う「故意」である。
同じ人間であっても、立場によってはより厳しく過失を責められることは仕方がないことだが、だからといって故意に事故を起こそうとすることに対して寛大であってはならないと思う。
私的制裁・リンチは、テロリズムとどう違うというのだろう? どちらも実行者は正義を掲げて不法行為をする。動機がどうであれ手段が悪なら、その主張する正義こそ偽善の極みではないか。