地獄・極楽
2005年 05月 14日
若い侍から、「地獄はあるか、無いか」と問われた白隠禅師は、「それで良く武家奉公が出来るな!」と、さんざんに罵倒した。ついに我慢できなくなった侍が刀を抜いたその瞬間、白隠は、「それが地獄だ!」と鋭く言い放った。 ハッとした侍が、「地獄の有無を悟りました」と笑みを浮かべたとき、白隠もにこやかに、「それが極楽だ!」と諭した。
似たような説話に、山岡鉄舟が地獄の有無を僧に尋ねて鼻を捻られ、怒ったときに、「それが地獄だ!」と教えられた…… というものがある。
推測するにこの説法は、白隠オリジナルであるのかどうか、まあ、チャンスがあれば私も試したくなるトンチだ。
しかし、白隠に導かれた若侍も、山岡鉄舟も極楽に行くべき魂だからこそ、悟れたのだろう。なにしろ、昨今のニュース報道などをみるなら、唖然とするような理由で人殺しが行われるのだ。 罵倒し、または鼻を捻って、地獄の存在を教えても、そのまま相手の心境が地獄から戻らず、坊主なんてバッサリ!! となりかねない。いや、地獄へ一方通行なのは教わる側だけではない。「よそ様の過ちをただして差し上げなければ!!」と誹謗中傷、罵詈雑言、挙げ句の果てに目的を見失ってしまう乱暴・幼稚な、お先生様の何と多いことか。
たとえ正義が動機であろうとも、その手段が乱暴野蛮であれば、やはりあなたも地獄の住人なのです。
……等というと、人々はその心境から二つに分かれるだろう。……ますます腹を立てる人と、怒りを忘れようと努力する人と。つまり、地獄極楽は、それを望む人の心中にある。……極楽をもたぬ人は極楽にいけない。そしておそらく、心中に地獄をもたぬ人は(いるのか?)、こんな話題などに関心も持たぬ事だろう。
そう、かくいう私も、人々に極楽を見せられるとは限らない。――だがそれがなんだというのか? 人の幸せは一体誰の責任に帰するのか?……当事者以外の誰に?
私の主張は正論であるか、はたまた偽善、きれい事、虚飾であるのか……いずれにせよ、むき出しの憎悪よりも悪しき行いをしているというのだろうか?
かくして、人はその心境に応じた世界に住み続ける。憎む者は憎しみ渦巻く地獄に。愛する者は愛情溢れる極楽に。そして私は未踏の荒野に……等というと、この文章のすべてが嘘くさく見えてしまうか?
本日、東京オフ会。――和やかな内に閉会の次第。申し込みしつつも参加できなかった方々も含めて、心にしっかりと極楽を持っているなと思いつつ、地獄について思うところを記述し終える。