分っているけれど変えられない

2005年 04月 13日


某霊より、「分かっているけれど変えられない」――というテーマでメモを取ってくれと通信がはいりました。

分かっているけれど変えられない

己に主体性がない――自分を律することが出来ない人は、主体性を失っているということです。見てご覧なさい。そういう人ほどプライドが高く、声高に自己の権利を主張します。しかし口が先に出るのは身体が動かぬ人の特徴なのです。

敗北寸前だからこそ声を出さずにはいられない――しかし、本当に状況を変えたいなら、口を噤《つぐ》んで努力すべきです。罵声で援助を強いるのではなく、頭を下げて助けを乞うことを学ぶべきです。

 味方を必要とするとき、わざわざ親切な隣人すら敵に回してしまう。不幸な人の多くは、自ら進んで不幸を増やします。

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改善策がなければ、適切な霊信とは思えません。本件に関して廬氏に助言を求めました。

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廬氏より

 人の為せることには限りがある。言訳や八つ当りに力を注げば、解決が疎かになるのはいうまでもない。イヤ、努力する前に敗北の言訳を用意するところが、すべてを物語っている。……敗北癖が身に染みついているのだ。そこから直さなければならない。

 人が生きるにおいて、誇りを持つことは大切なことだ。だが誇りとは誰に向けるべきものか? 真の仏者は、天に恥じぬ生き方をし、人に嘲笑《わら》われることを恐れない。なんとなれば、人は都合の悪いものに敵対し、打ち、嘲笑《わら》い、それが出来なければ黙殺するものだからだ。

 天が人情に対して超然としているかのように、正しき人も人情に流されはしない。人が侮辱を試みるのは、侮る相手ばかりではない。自分が勝てぬ相手も嘲笑《わら》おうとするのだ。顔を引きつらせながら。
 時とすれば、嘲笑《わら》われ、黙殺されることこそが勝利を示すのに、その勝利を投出すために戦うというのか? それでは敗北しかあり得ぬ。

 真の武人は、戦いを選ぶという。選ぶためには敵を知らねばならぬ。

 人が戦うべきは己自身であり、見習うべきは天のあり方(摂理)である。天に恥じぬ生き方こそ人が求めるべきものだ。

 摂理は、天に唾を吐くような者を愚者と扱う、しかし、人は都合の悪いものも嘲笑《わら》うのである。


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