いわゆる因縁の話

04年 07月 01日


 「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉があります。なぜ、風が吹くと桶屋が儲かるのか、その因果関係は決して明瞭・明白なものではありませんが、世の中、思いもかけない連携が存在するもので、全然別個と思われていた複数のものが実は一つの要因で動いていた……等というのはサスペンス物の小説・ドラマの王道でもあります。

 因縁とは、この、風が吹けば桶屋が儲かるの図式化でありまして、風という原因があり、桶屋が儲かるという果(結果)があり、原因と結果の二つだけで表せば、これを「因果」と呼ぶのですが、往々、原因と結果だけでは解決できない第三の要素があり、これを仏教では、「縁」と呼んでいます。

 善良なる人々は、「善因善果」・「悪因悪果」とばかり、勧善懲悪的な話に賛同(というよりあこがれ)して、善い行いをすればよい結果が得られ、悪い行いをすれば悪い結果がもたらされることを、当たり前と思い……いや信じようと致します。

 ところが結果はというと、悪い事をしてものさばる人あり、良い事をして非難される人ありと、事態はなかなか複雑です。この複雑さをもたらしているのが「縁」というわけです。

 

霊的な因縁の難しさ

 一般に「因縁」などというと、もっぱら霊的な原因を考える人が多いのが現実かもしれません。それこそ日本・仏教界からみたら、「庇《ひさし》を貸して母屋を取られる」的な出来事でしょう。心霊的因縁譚は、内容的には笑止な物であってもなにぶん需要があるから容易には打ち消せません。ところが、笑止な話というのはどれほど受けが良くてもやはり語るのに問題のあるものです。

 すなわち、心霊的な因縁譚を語る事は受けは良くても、心霊思想への偏見を育て、心霊思想の将来を汚す働きがあるという事です。これまた因果に従うわけで、大本に悪い因があれば、良い縁を持ち込まない限り、結果が悪いのは目に見えているわけです。

 事例として、一つ前世の因縁話を持ち出すと、私が、あるノイローゼ的な相談者の霊査を取った時、『ガマガエルを殺した因縁』と出て、あきれた事があります。ガマガエルを殺した事でノイローゼになるなら、牛や豚、鶏肉を食う我々は皆、来世でどうなってしまうやら。これは下らぬ行者風情の霊にだまされたかな……と思っていたら、

『食うためや、害があって殺すならいざ知らず、姿が醜いからと言って非力な動物を殺すその心の醜さ。そんな残酷な者に我らは情けをかけない』

 と聞こえて、ハッと気がついたのです。なるほど困っている時には、下手に出ても、普段はどういう人だか分からない。相談の言動を見ても、あれはよい、これはだめ、と批判的な言葉が多いのも気に掛かる。まして、問題解決にはこういうとんがった性格を直す必要もあるし……だめだ、手に負えぬ、と結論したわけです。

 一見、「ガマガエルを殺す」という原因と、「ノイローゼ」という結果は単純には結びつきません。しかし、ちょっとオカルトかぶれをした人なら、追究もなく、「ガマガエルを殺してノイローゼ」という話をおもしろく感じてしまうかもしれません。でも、この原因と結果の間には、当人の残酷さが見え隠れ致します。

  攻撃的な性格が激高した結果、心身に不調をきたしている。
  助けようとした者も攻撃の対象にされるかもしれない危険がある。

 そう考えると、「ガマ殺しの因縁」という一言にはそれなりにおもしろみがありますが、言葉をそのまま受け止めたのでは理解できない難しさが、因縁譚(もしくは霊媒の発言)にはあります。

 

「(主に再婚先の)祖先の因縁」

 私の母の話として、「(主に再婚先の)祖先の因縁」と書いた事を誤解なさっていらっしゃるか違います。

 この祖先の因縁、お墓参りや、供物・仏事などで解決する類のものではありません。要するに、母親が再婚先に対して抱いている様々な不平不満を一括してこう呼び表しただけなのです。

 母にしてみれば、

『私もだいぶ老いたのだから、もう少し、皆が大事にしてくれても良さそうなものだ』等と考えている……その考えが、身体の故障として出ているのだ、と私は感じ、その事はしっかりと母にも伝えてあります。そして、生活の端々で、その問題について自問自答しているようで、気持ちが楽になるのにつれて、相応に症状が軽くなってもきたようです。ですから、直接的には「家族への不平不満」と表現する事も出来たわけですが、それをあえて『祖先の因縁』と表現するのにも相応の理由があります。

 人間の行動は必ずしもその人の心・動機に支配されているわけではありません。環境的、健康的な理由から、やりたくても出来ない事が多々あるし、経済的な理由からやりたくないのにやらざるを得ない事も多々あります。

 母が抱く不平不満も、単に家族の心がけが悪いとはいえず、環境・健康・経済・人間関係のしがらみなどといった、複雑な事情の上に成り立っているのです。すると、努力だけでは解決せず、文句だけでは解消せず、工夫と同時に寛容に受け止めるべき事項も多々あると考えられます。……文句を言っても解決しないよ、喧嘩にならない相手に原因があるのだから……そういう意図が、「祖先の因縁」という一言に含まれています。

 

「女にとって、婚家の因縁って何?」

Q 『祖先の因縁』なんて難しく考えなくても、舅・姑・小姑うんぬんや家の持つ文化・習慣は、嫁にとって結婚生活や己の人生に大きな影響を持ちますから、その延長線上と考えれば、特別疑問視するほどのものでもないかも知れません。しかし、何処まで嫁に影響(責任?)ってあるのでしょうか?

 人の行動は、往々に業《カルマ》に支配される。――と、以前お話し致しました。実際、オフ会などで、昼食を食べる時、そのメニューの選定をあてはめて考え、皆で大いに笑いあったものです。

 たとえば、「マグロ丼付き焼き肉定食」なるメニューがありましたが、焼き肉は白いご飯の方が合っていますね。しかし、ぱっと選ばされると、何となく、マグロ丼も捨てがたい。まして、白いご飯と、マグロ丼付きとの差額が百円ほどなら、お得感もあって、頼みたくなってしまう。

 すると、必然性や食べ合わせ、おいしさ、といった事よりもお買い得感やあれもこれもという欲心に振り回されてメニューを選び、食べて後悔するといった事になります。

 昼食のメニュー選びと比べると、配偶者の選択は相応にじっくり、また様々な面から考慮の上に決定を下すのでしょうが、その実態は、時間をかけて自分や親や相手をだます事と、違いが見いだせましょうか?

 人は往々に業《カルマ》に支配される。そうして選んだ事が原因となって、様々な縁の影響下に結果を生じていくわけです。しかし、こういう流れに、誰に責任があるとか、どこまで義務を背負うべきといった問題を論じるのはナンセンスだと思います。……結局、自分の播いた種は自ら刈り入れなければならず、責任を論じたところで、何かが変わるという見込みも立ちません。

 そもそも、結婚後に嫁ぎ先の悪因縁を背負う事になるとしたら、配偶者はすでに悪因縁の収支は大幅な赤字、責任どころか、義務さえも果たせるかどうか分からぬ状態なのです。浮浪者を捕まえて税金を払えと強いるような事はナンセンス極まりありません。

 ……結婚後の因縁はどこまでが自分の責任・義務か、結婚してしまえば全部が自分のもの、配偶者の解決努力など期待するだけ間が抜けています。(払えるものならあなたに苦労をかけるはずがない)と考えなければいけません。

Q「でも、自分や血縁な祖先の持つ因縁が、類友、はたまた悪循環のように業の深い家やら男やらを選んでしまい、またそれが新たな因縁をしょい込む羽目になるんだとしたら…もう泣きっ面に蜂。」

 情的な要因を排除して考えると、摂理の仕組みはシビアな安定性を持っていると考えられます。――善い人はどんどん善くなり、悪い人はどんどん悪くなる。たまたま悪心を抱くと、簡単に転げて、どんどん悪事にはまりこみ、改心するのは非常に困難。

 しかし、曲がりなりにも転げ落ちる人、悪い人にも救済のチャンスがあるのが世の中です。その主な動機は情であり、情こそが人が転落するのを食い止めもすれば、同時に、好き嫌いを秤にかけて、自分の好む人のために好まぬ人を突き落とすような残酷行為の後押しを致します。

 もう一つ、転落を食い止めるチャンスがありまして、それが心霊主義等でいうところの、「霊性」というものです。たとえば、人の悪心や苦境を助ける事で自分の霊性を高めて行こうと努力する人がいて、そういう人・霊から助けられるというチャンスもあるのです。これも一種の情の働きといえますが、目的意識が明白という点で、情とは区別すべきでしょう。

 さて、ここでいう、「霊性」とは、高度な意念に感応する部位を指します。

 民話の浦島太郎を例に取りましょう。子供達は亀をいじめ、浦島太郎は、亀を哀れみ助けます。そして、この亀を助けたお礼に、乙姫は浦島太郎を竜宮城に招きます。……助けた事で竜宮城に招かれるのですから、この亀がただの亀であるはずがなく、また漁師であるはずの浦島太郎が、本来糧の種であろう亀を逃がしたのか。ここに疑問を抱いてください。……乙姫は何とか、亀を助けようとするが、子供達は霊性未発達で乙姫の心に感応できない。そこに通りかかった浦島太郎は、乙姫の求めに応じて亀を助ける程度の感応力を持っていた。……浦島太郎が、亀を助けようと思い立たせた精神性・感応力、これが霊性です。

 知力や霊感があっても、それを良い方向に生かせるとは限りません。むしろ私利私欲のために使う事も多いでしょう。また、懸命に善良に生きようとしても、良かれと思う事が本当に相手のためによい結果をもたらすとは限りません。善行というのは意図して出来るものではなく、人知を越えた働きの元に行動してこそより良い結果をもたらします。無心に働く時、まさに神の道具として働く時、より良い事が出来る。その良い事を為し得る力を生み出すのが霊性、高度(神)の意念に感応する力なのです。(反対に、最近、子供による殺人・殺人未遂が多いのも霊性の低下と表現する事が出来ます。引き留めようとする霊的な意志に感応できないのです)

 これは前述の、業《カルマ》に振り回されて人生を選ぶ事の反対といえます。業に振り回されたら結果自分が不幸になる選択ばかりとなるでしょうが、霊性に振り回されると、意図せず結果、自分が幸せになる選択が増えていきます。

 実は、私の主催するオフ会が、単に精神統一の練習だけでなく、霊性の働きの実験会である事をお考えになりましたでしょうか? 障害もあるけれど、結果オーライ、楽しいハプニングにも恵まれて、最後は笑って解散できる。

 実施するまでは、ハラハラするぐらいのんきに構えているけれど、あんまりがっちりと計画しないからそこにチャンスを呼び込むゆとりがある。楽しいハプニングというのは、厳密な計画には入り込む余地がないのです。むろん意図して起こせるものでもありません。

 昨年の伊勢旅行でも、台風によって、中日の行程が変更を強いられましたが、結局、機織り体験もできて、充分にくつろげ、危惧した船の揺れもなく、あげく帰り道では順延の花火大会も見学できた。こういう体験は、予定変更に腹を立てず、寄り道を楽しめ人だけが体験できるものなのです。

 するとこうもいえます。霊性とは、思考・推理以外の動機決定要素で、予期せぬ幸運を受け止める力だ、と。

 さて、長々と霊性の解説をしてしまいましたが、古典的な心霊概念では、往々、因縁、業《カルマ》といった、マイナス要因の霊的影響ばかりを取り扱います。が、スピリチュアリズム運動を下敷きに変更を加えた心霊概念では、プラス要因である霊的影響と、マイナス要因とのバランスこそが重視すべきものなのです。

 因縁はくらませないが、因縁ばかりが人間の主人ではないのです。


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