御札の祭り方
06年 01月 10日
Q「家に神棚がなく、しかも南側の窓に向かってお札を飾っておけるような頭より高い位置がないようです。どのようにお札を置いていたらよろしいでしょうか?」
A なぜ、「南側の窓に向かって」と限定されるのか、ちょっと不可解に感じます。一般的には南向きが良いとされて、続いては東向きも良いといわれていますが、神社によっては、または御札の種類によっては方角を指定しているものもあります。主に恵方を指すのでしょうが、詳しくは神宮暦で確認する必要があります。
私はほぼ家の中心に御札を祀っていて、方角的には南南東、これは単に家の長軸が南南東だということです。
さて、背後の意見に耳を傾けてみると、
『南面に祀る事は出来るはずだが?』とのこと。ご確認下さい。(あまり重要とは思いません)少なくとも家の中心(重心)から、一番大きな窓に向けて祀れば充分と思えます。
心霊的な解釈、というか、霊媒としての意見としていうと、家にも個性があり、運勢にも個性があるのに、杓子定規に方角を決めるのは果たしていかがなものか、むしろ、御札の祀る位置は御札に決めさせるのがよいのではないかと思います。…… 誰にでも出来ることではありませんが。
まず両手で御札を持ち、家の壁沿いをなるだけ無心にくまなく歩くのです。そこで立ち止まるところがあれば、御札がそこにいたがっていると解釈して、そこに祀る……一種のコックリさんですね。さらに可能なら、数人でこれを行い、意見をまとめるという手もあります。ただし、この時単純に多数決で決めるのではなく、第一は家主の意見、注いでは霊感の強い人の意見に特に点数を多くするのがよいでしょうが、トイレ、風呂場、台所の入り口付近で立ち止まったのは無視すべきです。
なお、この質問者に限定していえば、その御札にはあまり意義がありません。御札というのは神様の分身のつもりで頂いてくるものですが、では、神様とは何か、という考え方が曖昧だからです。
一般的な日本人の概念では、超常的な存在(でも人間の都合を聞いてくれる)……というご都合主義的・御利益主義的存在と見なされているようですが、心霊主義では、「摂理の具現」、「常識を偶像化したもの」を神として扱います。つまり、朝の来ぬ日はなく、日は東から昇って西に没し、雨は天から地に振り、ものは上から下に落ちてその逆はない……という具合です。ただ、心霊主義者が神に祈るのは、その常識を覆すことではなく、自分の非常識な望みをいかに常識的に実現するか、という複雑な設問への答を求めるためなのです。
たとえば、空気より重い物体は宙に浮きませんが、推進力があれば空力を生かして空を飛ぶことが可能である……という具合に、一見、非常識な要求も、工夫次第で常識に沿った解決策があるものです。それ故に、神、または仏は、智慧の具現にもたとえられます。
つまり、御札という物質にはまったく厄を避ける力はないのです。ただ、神に祈る(つまり問い、そして答を聞く)という、信仰者の行為が厄を避けさせるということです。ただ、精神統一の未熟な人には、祈る際に標的がある方が楽だ、というだけのことです。するとこうもいえます。どんなに良い場所に御札を祀っても、正しく祈らなければ役に立たない。正しく祈るならば場所など関係ないどころか、御札さえもいらない。