外の霊、内の霊


 滅多に霊障を指摘しない私の霊能力を色々と批判される方もいるようだが、言い訳や自己宣伝的な回答に代えて、一つの事例を紹介する。

『改築後に家族の頭がおかしくなり、数百万円の礼金を払い、霊能者に除霊を依頼したが良くならなかった。どうしたらよいか?』という相談を受けた時のことだ。霊視をすると、小さなトラブルがたくさん見つかるが、でも、相談内容ほどの悪さをするような大きな特徴はまるで見つからない。

 しばらく回答に間を於いて気がつき、回答を行ったが、相談者からの反応は「確かに改築前から変な言動が見られた」 ……であった。

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 私は職業霊能者ではない。従って世の中にどれほど多くの悪霊がいようが、または、悪霊が迷信の産物に過ぎなかったとしても、―― 私のサイフにだけは何ら影響がない。従って写真に見慣れぬ光点が写ろうが、白い霧状のものが写り込んでいようがそれを霊のせいにする必要を感じない。

 また、実父・実母、祖父・祖母らの霊を見たと怯える人に除霊を勧める必要も感じない。すたれたとはいえ墓参は日本の風習である。不信心な人々でさえも死者を訪ねてわざわざ墓地に足を運ぶのに、死者が子孫の様子を見に来ることに何の不思議があるのだろう?―― 一目見れば満足して去るし、それでも去らなければ必要なのは除霊ではなく、何らかの災難を教えようとしているのだと思うべきだし、そういう事例を扱ったこともある。

 赤の他人にわざわざしがみついて悪さをする霊がいるとしたら、そいつらは余程ヒマか、寂しいのだろう。だが依存心が強く、自分で歩こうとしない人に下手に情けをかけると大変だ。一生……いや、死後の世界まで含めれば永遠に世話を要求されることになる。まして、そういう連中を心配するよりもっと心配すべき事がある。失うものはあの世ではなくこの世にある。 死者の心掛けよりも生きている人の心掛けに関心を払うべきだ。

 ただ、悩みの原因を霊のせいだと思い、その為に不安な日々を暮らしている人ならば、何らかの「除霊」が必要なことは確かだ。それでも、まずは考えて欲しい。夜道で大男から声を掛けられたら、余程武術の心得でもなければ、大の男も不安に思うだろう。――しかし、大男だって夜道に迷う。

 男女雇用均等法を尊重して、女性にも悪役を担って貰うが、かつてとある独身女性とセクハラ談義をしていたとき、「セクハラを受けないのも、女性として魅力が足りないと指摘されたように感じる。つまりそれもセクハラだ。」と指摘された。―― これは実にやっかいだ。つまりセクハラの疑惑を受けたとき、やたらな言い訳をすればかえって「被害者」を増やしかねないのだから。

 結局、不安や不快感を与えたというだけで、相手の罪とするのであれば、事態は至って不毛な結果を生み出す。少なくとも、それがただの勘違いや行き違いであったとしても、最初からケンカ腰で問題解決に臨めば、本当のトラブルに成長していくことは間違いない。

 だから、この世でもあの世でも、「争い事は特定の人に集まる」という原理が成り立つ。……むろん、付き合いの広さもトラブルに巻き込まれる要因の一つである。

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 ケンカ腰で問題解決に挑めば、勘違いや行き違いすら本当のトラブルに成長していく。まして、霊障に限ってみれば、大抵の人は、勘違いや行き違いを正す手段に手が届かぬ事だろう。そこに霊媒のジレンマが生じる。

 つまり、ケンカ腰になりやすく、問題解決を拗らせる性格の相談者が抱える問題は、相手よりも相談者の側に問題が多いが為に解決が難しい。そして、問題が解決しなければ、問題を拗らせる性格の相談者が、霊媒にとっての問題の種となる。

 何よりも悲惨なのは、往々、他人の非を見つけ損なった人が、自分の過ちを霊障のせいにしたがることだ。……いや、もっと大変なのは(少なくとも三例の扱いをしくじった)、親の言動を霊障のせいにする人たちだ。

 これを称していう、内の悪霊……と。釈迦やイエスが修行中に悪魔の誘惑に出会ったといわれるが、これは外にいる何物かの霊ではなく、心のバランスの一部、すなわち否定的な面の自分なのである。そして、心の一面である以上、内の悪霊は第三者が除霊することは出来ない(おおざっぱに言って……詳細は面倒だ)。

 いもしない霊を除霊して礼金をせしめられるなら、職業霊媒にとってはありがたい顧客だ。だが、無料心霊相談でこれをやったら…… 言い訳のネタはいずれは無くなるし、嘘つきと詰られたら返す言葉もないだろう。さらにいえば、嘘の除霊では問題が解決しない。

 イソップ寓話でいわゆる「狼少年」と呼ばれるものと話と似ている。「狼が来たぞ!!」という嘘は、いずれ使えなくなる。その嘘に同調すると自分もいずれは信用を失う。だから私は、嘘つきに罵られようとも嘘つきに同調しない。

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 私は誰かを信じても、誰かの信者にはならない。どんなに尊敬する人の言葉であろうとも、自分で納得しないものにはいつまでも疑問符を付け、安易に受売りをしない。まして、他人の言葉を受け売って、自分を虚飾するような、虎の威を借る狐にはなりたくない。

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 霊感が開いた直後、私はみだりに交霊して、関わるべきではない多くの霊と妙な因縁を結んでしまった。その状態を脱してしばらく後、ホームページを開いて、関わるべきではない多くの人々と妙な因縁を結んでしまった。……まったく、心霊研究の一番のサンプルが我が身であることは、皮肉としかいいようがない。

 しかし、悪縁は断ちがたしというが、これでもずいぶんと身辺の掃除が進んできたものだ、と思う。


2005年 05月 13日

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