何で抱え込んでしまうのだろう?
何でもかんでも抱え込む癖のある友人からの「何でこうなったんだろう?」という愚痴混じりの問いかけに、思わず霊感のスイッチが入った。守護霊とおぼしき女性の霊が何かを語り出そうとしたその時、わきから武家の気配のある力強く、鋭い声で……
『(子供の頃に)優しいことを褒めるからだ!』
と聞えた。念のために注記するが、霊界通信のおもしろいところは、意念の伝達故に、言葉以外のニュアンスを含んでいることだ。言葉として伝わるのは「優しいことを褒めるからだ」だけであるが、子供の光景が見えることで、ああ、子供の教育に、「優しさ」を伸すことを問題視しているのだな、と見える。とにかくこの表現方法で先を聞いてみることにする。
『強さの伴わぬ優しさなど役には立たぬ。重要な仕事を先に片付けなければ愚図と呼ばれ、仕事を選ばなければ忙しさに苦しむ。すべての動作は、正しく静止できることから始る。止ることの大切さを知らぬものは、いかなる動作もまとまり悪く、だらしなくなるもの。何でもかんでも抱え込み、優しくあろうとして無責任に陥りがちなのは、優しさと思えて、実はだらしないのである。』
『いらぬものは捨て、今使わぬものは仕舞い、使うものは整頓し、もって片付けという。これは家内や、道具や、対人関係だけに限らず、心のありようにも当てはまる。故に、「家の片付かぬのは、心がだらしなきが故」と言われる。』
『そもそも、わきまえ(本来はかなり露骨な侮蔑語)の無い者は、動くことを良しとする。自分の都合よく動く者をさらに良しと見なす。だが、動いて見苦しきは躾の至らなさである。ましてや、戦場の駆引きをはじめとして、家内の治《おさめ》や、人とのつきあいなども、往々、害は敵よりも、身内の余計な手出しがもたらすもの。動かざることを躾《しつけ》ずに、動くことばかり躾《しつけ》るから、いざとなると足手まといにもなる。故に動くことを褒めるは、動かざることを褒めるの次とすべきである。天災の中でも被害の多くは人災から生じる。動かざるべき時に動かぬ事はとても大切な心得である。』
『あわてぬ事を褒め、出来ぬ事に手を出さぬ事を褒め、分を守ることを褒め、集中する様を褒め、心鎮めている様を褒めて、動かぬ事を第一の美徳として子を育てるべきである。なるほど子供は元気な方がよろしい。だが、静かにすべき時に出来ぬ子供は、古来から餓鬼と呼ばれ、品無きと言われる。どれほど才があろうとも品無き子は大成しない。』
『優しくともだらしのない子は、ものの役に立たぬ。見よ、現代は、(いらいらと生きる)神経質な片付け狂いか、(だらだらと暮す)だらしのない者ばかりが多くて、智慧ある片付けの出来る者がいない。だらしのないのも品がないが、せかせかと忙しいのも品がない。つまり世に品がないのである。』
・・・・・・・
……女性の霊がボツリとこぼす。
『手間のかかる親を持つと、子もだらしなくなるのでしょうね。まさか、親は片付けられませんから。親も自分が片付けられないように、子の優しさばかり褒めて、子の毅然としたところを嫌うものです。親を捨てる子は多いですから。』
・・・・・・・
別に、親が意図的にだらしない子を育てているのではないだろう。ただ、いつか棄てられることを恐れて子供に優しさを強いるのか。
そして子供達は、高すぎる理想に押しつぶされて、何も出来なくなる。……それを誰が危惧しただろう?
優しくあることに耐えかねて、優しさを忘れる子供がいる。
人の為すことの何と未熟なことだろう?
2005-09-08
2010/02/20 at 14:47
[...] 「何で抱え込んでしまうのだろう?」 ……について、「自分に思い当たるところがある。三本も掲載されているのは、守護霊から良く読め、とのメッセージなのだろうと思う」という [...]