強く生きる
袋小路
私は心霊相談を通じて、論理の袋小路に入って、苦しんでいる人を大勢見てきました。……そして、人間の視野がとても狭い事を実感します。ならばこそ、自分の小ささを素直に受け止め、後は神仏なり、天なり(または各自の信仰対象)にまかせ、出来る事を出来る範囲で努力するべきだと思います。
案ずるよりも生むがやすし。
念仏にせよ、座禅にせよ、いえ、仕事でも掃除でも草むしりでもスポーツでも一心に行う。一心に行う事を「三昧《ざんまい》」と呼びますが、「三昧《ざんまい》」は、変に思い悩むよりも賢い選択だと思います。悩んでもどうにもならない事を、悩み続けていては他が疎かになってしまいます。それでは一つの困苦が大きな不幸の切っ掛けになってしまいます。
たしかに、吹っ切る……迷いを捨てる事の難しさはあります。それも歳を重ねるほど、迷いを棄て難くなるのでしょう。だからこそ、迷いはすばやく捨て去る事です。
信仰心
不幸にして人の心を救うべき宗教が、人を食い物にしているのを昨今は良く目にします。しかし、思い悩んでも解決しない事をいつまでも思い悩んでも、他の事が疎かになるだけです。 まして、人は孤独です。分かり合った気がしても、肉体という殻に閉じこもった魂同士は、どうしても分かり合えない一線を持ち続けます。
またどれほど物質的な財産を集め、持とうが死は突然訪れ、財物で死を免れる事は出来ません。物質的な豊かさなくして、幸福がないとしても、物質的な豊かさは幸せを保証したりはしません。人は弱いものなのです。そして、弱さを持つ事は決して恥じるべき事ではありません。
むしろ虚勢を張り、仮面の下で安心をしている方がよほど危険なのです。苦労人には容易に他人の弱さが見抜けるのですから、隠しているつもりになっていると逆に相手に手玉に取られてしまいます。
信仰は心を補完するものなのです。そして、宗教が悲劇を生み出すのは、被害者の心が弱い為ではなく、被害者が神仏に利を求める所にあります。
心の安らぎを求めるだけなら信仰は神仏と信者の一対一の対話となり、宗教家の存在は単なる介添え役に過ぎませんが、利を求める者にとって信仰は、宗教家こそが信仰対象となってしまうのです。神仏は決して金もうけの方法や健康になる方法などを語り掛けてはくれないからです。
くれぐれもお間違いの無いように。
豊かさは祈りからではなく努力から生まれるのです。そして安らかさは努力からではなく、祈りから生まれます。豊かさの求め方と、安らぎの求め方をお間違えなきように。御利益を求める信仰ではなく、心安らげる信仰をお持ちになってください。
失敗を恐れずに
人生を全うする上で一番大切なのは、人生の目的を知る事です。目的を知らずに、目的が果たせるはずがありません。そして、誕生は偶然ではなく必然であり、人生は霊性向上の修行の場というのが心霊主義の考え方です。
霊性向上の為に生まれてきたのですから、当然、過ちも無く生きる事は不可能というよりも、無駄以外の何物でもありません。過ちはなるべく少ない方が良いし、行動しなければ失敗も無いでしょうが、失敗は最良の教師ですし、行動を慎めば霊性向上の機会もまた失われてしまうのです。
また、信じる事が無ければ騙される事も無く、愛する事が無ければ裏切られる事もありません。しかし、愚者は経験から学び、知者は本から学ぶといいますが、人を信じ、人を愛し、苦楽を共にすればこそ、他人の体験を自らの智慧にする事も出来るのです。
一人の努力はしょせん、一人の努力にすぎません。そこから学び取れるものはしょせん一人分に過ぎないのです。しかし、人の経験を自らの知識に出来るのなら、転生数回分の修行が一度の転生で出来る事になります。騙された事、裏切られた事を後悔しないでください。
あなたが思うよりもはるかにこの世は霊界よりも住みにくく、あなたが思うよりもはるかに、この不自由な世界に生まれてきたことには意義があります。あなたが死後、遣り残したことを片付けに地上に舞い降りなければならないと知った時、きっと地上で死刑の宣告を受けるよりも苦しいと思い起こすことでしょう。
自分を苛めないで
臆病で、姑息で、愚かであったとしても、その事を罵ろうが、泣き喚こうが、やはり自分自身である事には変わりありません。たとえ足りない所や、弱い所があったとしても、それを知恵や努力や、周囲の者たちと助け合って人生を全うするべきです。
誰の人生でもなく、自分の人生なのです。自分を辱め、貶め、そして敵に回したからといって人生の道のりがなだらかになる事はありません。自分とは争わず、きちんと折り合いをつけるべきです。
同じ苦労をするのでも、自分と仲良く苦労すべきです。くれぐれも人生の困苦の中で自分自身に足を引かれる事の無いようにすべきです。
一番長い付き合いの知人で最大の利害共有者である自分自身を味方にしなくては、たとえどれほど力のある霊能者や宗教家に出会ったとしても、あなたが救われる事などありはしないのです。
幸せになってください
本来、悪意は他者を傷つけず、悪意を抱いた本人を傷つけるものなのです。なのに他者からの悪意を受けて傷つくのは、人の善意を求めるからなのです。人は自らの利益にそって行動します。自らの利益は自ら守る努力をしなければ誰があなたを守るというのでしょう。優しさだけでは生きていけないのです。
人と接する時は、感情ではなく魂を感じてください。
共に困苦に乗り越えようとする魂、喜びを分かち合おうとする魂。言葉でなく、その心を感じ取ってください。分かり合う事、労り合う事。相手の言葉尻を追いかけて、傷ついたりしないように。優しさは無制限に与えられる物ではありません。
人々の魂を救うのは天に任せて、あなたは自分に出来る事を、出来る範囲で行えばいいのです。
人の分まで苦しみを背負っても、自分の人生がおろそかになれば、あなたは人生の落伍者となります。ですから、もっともっと幸せになってください。親切は、余った分を無駄にせぬように……と人々に施すものなのです。
2006-04-15