幸せになれるか?


幸せになれるか?

2006-04-15

 時折、「○○さんは、幸せになれるでしょうか?」という、ご質問をいただきます。本当は、自分が幸せになれるか……という問題のほうが、重大なはずなのですが、自分のことは、いろいろな面で聞きづらいのでしょう。

 このような場合、間接相談はお断りしている旨を書いて、お返事に代えさせていただいているのですが、実は答えは常に一つしかありません。

「幸せにはなれないでしょう」

 これは不幸になるという意味ではありません。そしてなぜ、答えが一つしかありえないのでしょうか……

 漠然とした、質問には漠然とした回答しか生まれません。問題の絞込みが不十分であれば、選択肢は無数に生まれてしまいます。しかし、「幸せになれるだろうか?」という質問には、答えは一つしかありえないのです。

 もしも、質問者が、幸せの正しい意味を知っているなら、その実現に向かって努力するはずです。幸せの実現に障害があるなら、「幸せになれるか?」と質問せずに、「どうしたら障害を乗り越えられるか?」と質問することでしょう。

 つまり、幸せになれるかどうかを悩んでいるというのは、幸せになる方法を知らず、その努力もしていない事を、公言しているようなものなのです。

 「あなたは幸せになる方法を知らない」と、いうと、大半の人が、「いや、そんなことは無い」と否定されますが、では一体どんなことが「幸せ」かというと、大抵は、満足感や充足感を、幸福感と錯覚し、満足・充足することを幸せであると、思い込んでいらっしゃいます。

 これはまた、なんとも不幸なお話と言えましょう。食べ物も、金品も、装飾品も、貴重品も、すべては他の被造物なのです。自分の物ではないものを欲しがり、追いかけ続けるのは永遠の苦悩を抱いているようなものです。

 美食に満足しても、半日もすればお腹が空くのですから。

 たとえば美食を幸せと思うなら、半日ごとに幸・不幸を繰り返し、油断して食べ過ぎて不幸になり、食べ過ぎて胃を壊してまた不幸になるのでしょうか。それでは一体、幸せになる努力をしているのか、不幸になる努力をしているのか、どちらだかわからなくなりますね。

 もちろん、人生、努力をすれば結果を味わいたいものですし、満足・充足を味わうことを私は否定しません。ですが、他にある幸福を追いかけていては、追いかけて、追いかけて、追いかけ続けることに苦しみを抱くようになりかねません。

 人が何を持って、幸福と表現するか……人の数だけ、幸福があるといっても過言ではありませし、「満足感は幸福感ではない!」と説得したところで、空腹に苦しみながら、幸せを噛み締めるのはとても困難でしょう。

 もちろん、法や倫理に触れない限りその人なりの幸福感を追いかけること自体は決して悪いことではありません。しかし、外に幸せを求めては、永遠に追いかけ続けなければならなくなります。

 そして、○○さんは、満足のいく人生を歩めるでしょうか?

 この質問こそ、最も避けたいものなのです。使い切れないほど財産を持ちながらも、物足りなさに悩む人もいれば、貧しくて不満を抱かずに工夫で楽しみ補い生活する人もいるのです。つまり充足感というのは、物質的な豊かさと精神的な豊かさのバランスによって決まります。

 そして、目に見える物質的な豊かさを差し引けば、この質問はそのまま、○○さんの人格・霊格は、どの程度の高さでしょうか……という質問の隠れた回答となってしまいます。質問者の意図するところではないでしょうが、「○○さんは幸せになれますか?」という質問は、実はそのまま、「○○さんの悪口を言ってください」というのに等しい質問なのですね。

 「幸せになれますか?」という疑問は、単純で純粋な疑問なのだから、理屈や裏読みした回答こそ、浅ましい……と思われる方もいらっしゃるでしょう。 一足飛びに回答してよいのならば、まさにその通りです。

 ですから、「幸せになれますか?」というご質問に対して、一番の回答は、

 「幸せとはなんであるのか、よく考えて目標を見出し、その目標に向かって努力なさい。(悪因縁さえなければ……これは一般論では回答できない)努力はいずれ実りますし、努力するほど、その達成感は大きなものですよ」

 となるのですね。

 しかし、せっかくここまでお読みになった人なら、ぜひもう少しお付き合いください。

1、 質問は単純であっても、回答まで単純とは限りません。そして、安易なものはそれなりの価値しかないものです。つまり、幸せを求めるのならば、求めるものに相応の努力を惜しまないでください。

2、この回答が難解に感じられたら、それは、目標までの道のりが困難であるということです。少なくとも幸せな人が、この文章を真剣に読むことは無いはず……覚悟を決めてください。しかし、決して絶望しないでください。あなたはヒントを得たからこそ、ここまで読み進んだのですから。

3、少なくとも、安易な解決法を求めずに、ここまで読み進んだあなたは、幸せになる準備ができているということです。ご自分に自信を持って下さい。安易な答えには相応の価値しかないのです。それはそのまま……価値に見合うだけの努力が要求されているということでもあります。

それでは、皆様、お幸せに……


自己改革……最初の一歩

05年 06月 18日

 どんな見え見えで、簡単な答であっても、自分自身の口でいうことに意義があります。何よりそれは、自分の問題・自分の人生を、人任せにせず、自分ノド力で解決しようという態度表明の第一歩なのです。

不幸の原理を知る

 世の不幸な人を見ていると、往々、わざわざ進んで悪い方へと選択を重ねていくのを目にいたします。「なんだか、危なっかしい運転をしているバス(又は電車)だなぁ~」などと、危険を予知しているのに他人事のように乗り続けて大事故にあったり、「でも辞められないんだよな~~」等とのんきにしていたら悲鳴をあげる羽目になったり、「何か忘れ物をしているような~~」等と油断していたら後で大騒ぎ。

 業《カルマ》というのは、自ずと解消を求めます。

「解っているけど、辞められないんだよな~~」等と口にし、自己改革を自ら否定するかのような態度表明をするから、同じ災難を繰り返してしまうのです。もしも、「これは災難ではなく、私の過ちだ」と気がつくなら運気の流れは変わっていきます。

努力の意義と価値

 結果は努力についてくる――

「そんなことは知っているけれど、努力に見合う結果は得られないじゃないか!」

 多くの人は、自分の努力を過大に評価し、得られる結果を過小に評価します。

 出来るだけ楽をしたい……合理性の追求は知性動物のいわば本能です。ですが、安易な選択は進歩の可能性の否定であり、本能に流されることは進歩の否定……退化への罠なのです。

 だからこそ、「あなたは努力をしなければいけない」……などと思うのも工夫が足りません。

 あなたの努力があなたにもたらすものは、果たして結果だけでしょうか?

 同情や信頼、ひいては連帯感や友情など……目先の欲に囚われて、努力がもたらす様々な副次的な成果を見落としてはいませんか。

 そうなのです。努力に見合う結果は得られぬのです。だが、副次的効果全部を計算に入れると、努力は実に見合うのです。

どうしたら欠点が治るか。

 この話題は迂遠な比喩から始めます。

 たとえば、私は誰かに迷惑を掛けられても謝罪を求めたりはしません。謝罪よりもむしろ絶縁を好むのです。なぜなら、失敗は悪意よりも未熟さがもたらすもの……つまり、未熟故に犯す過ちは一度で終わると思う方が変でしょう。何度も同じような迷惑を掛けられるから……ならば謝罪を受けるよりも、むしろ絶縁した方が後々は楽なのです。

 むろん、野にある善いものを採取するだけでは必要を満たせないことは人類の歴史を遡らなくても解ります……つまり、人を育てる覚悟無くして、豊かな人間関係は望めませんから、みだりに絶縁も選べません。だとしても、被害者の側に立って謝罪の意義を考えると、これはいささか微妙です。加護によるものであれば、謝罪など無くても治るだろうし、未熟さの結果であれば、謝罪を受けても過ちは繰り返されるでしょう……では、誰のために謝罪はあるのか。

 気晴らしのため……その気晴らしを求める被害者もいますが、多くは加害者の気晴らしのために謝罪は存在するのです。

 つまり、謝罪を不要という私は、寛大なのではなく、冷酷なのです。

 さて、怠け癖は人間の本能。そういう見方も出来るでしょうが、霊媒はそれ以外の原因に気がつき……それを口にして嫌われる霊媒在り、口にせずに信用を失う霊媒在り……

 自分の欠点を自覚し、自分を嫌いそうなその時、自分自身と葛藤するだけでは帰って傷が広がります。そういうときには、たとえば、入浴前に自分を省みて、失敗の数だけ、洗面器で冷水を浴びるぐらいの覚悟をなさるべきです。

 自分自身に試練を与え、その報酬に許しを与え、いつまでも失敗を引きずらぬようにする。それを習慣づけることです。

 多くの場合、欠点を直し損ねるのは、自己改革よりも、周囲に頭を下げた方が楽だという心理が働いているからです。…… 謝罪不要といわれて、「嗚呼偽善しゃぶっている相手で良かった」等と思うのは簡単ですが、でも相手の信頼を取り戻せなければ結局多くを失ったままなのですから。

 謝る方が余程楽。その事実に気がつかないから、謝れるときに謝らず、そのくせ、謝っただけでは済まないところで謝って済ませてしまっているのです。

気持ちの切り替え方が難しい

 確かに!! でも、気持ちを切り替えなければ苦しい状態にある時、あなたにはまだチャンスがあるということです。つまり、大切なことを学ばせていただいている最中なのですから。あなたはまだ点から見捨てられてはいないのです。

 帆船時代。船乗りたちは逆風ですら……風上に向かってジグザグに進み、トータルで前進する……推進力に変えてきました。その船乗りたちが一番に恐れたのは無風だったのです。例え、あなたがどんなに努力しても、周囲が全く相手にしてくれなければ、あなたは苦悩を抱えたままじりじりと待ち続けなければいけません。

 操船術の下手なあなたは逆風を災難と嘆き、己を進ませることを諦めてしまいます。錨を降ろし、必死に風向きが変わることを祈る…… でも、逆風は無風よりも有利な状況なのです。何しろそこでは堂々と自己の思うところを表明してもなお、自慢とは受け取られないのですから。自己顕示欲の強い人にしてみれば、順風の時よりもむしろ自己宣伝の好機なのです。


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