夢・希望・願望


夢や、希望、願望が実らないという相談についてです。

この問題についてのご相談は、なるべくご遠慮ください。私としては見ず知らずの人の夢を壊す、嫌われ役を自ら買って出たいとは思っていないのです。


 漠然とした相談

 時折、「自分の希望のままに、物事が運ばない……」という、不可思議な相談を受けます。

 私には、この質問の論理がどうにも理解できません。物事が成るには、正しい方法と、適切な努力が必要なのであって、本来なら物事が上手く運ぶ方が不思議なのです。まして、力が及ばなければ、物事が上手く運べなくて、むしろ当たり前ではありませんか。

 ですから、この問題への回答は実に単純明解なものしか、思いつきません。

 「あなたの努力が適切ではないか、努力が足りないか、いずれかでしょう」

 いえ、もっと重大な問題があるようです。

 

 実力

 悩み事というのは、自分の実力を超えているからこそ生じます。では、夢が実現できないということは、一体何を意味するでしょうか?

 質問の筋道をきちんと説明できない人は、努力家ではなく、夢想家であるということです。努力もせず、筋道も間違っていたら、あなたの理想が実現するのは、とても難しいことでしょう。

 苦しんでいる人は、大抵は自ら問題を生み出しているものです。そしてじたばたと、苦しみにもがき苦しむ人は注意しなければなりません。苦しいのならばなおのこと、じたばたとすることに無駄な労力を使ってどうなることでしょう。

 

 時期・チャンス

 懸命に努力しても、何の結果も得られないこともあります。努力だけでは足りないのか……その問題に取り組んだのが、心霊である……そういう解釈もあります。つまり、心霊というのは努力を型に成すための研究でもあるのです。

 努力を型に成すには、タイミングも大切ですし、待つことも大切です。たとえば春に播くべき種を、冬に播いたら……小春日和に発芽した若芽は、真冬日に凍りつき、枯れてしまうことでしょう。

 死者の言葉に耳を貸した、心霊は「摂理」にいたります。出来るものは出来るし、出来ないものはやはり出来ないのです。しかし、摂理に敬意を払わない者は、出来ないものをやろうと努力し、挫折します。

 努力は大切ですが、目的を見失っては成らないのです。努力のための努力は、自己満足に過ぎません。目的のための努力こそが、あなたを成功と幸せに導くのです。

 

 夢の代価

 慎み深く暮らしていても、事故に巻きこまれることもあるのに、ただ無事でいられるというだけでも、一体どれだけの幸運が必要なのでしょうか。なのに不運を嘆く人のなんと多いことでしょう。

 夢は、一体誰のためのものなのでしょうか?

 不運を嘆くあなたは、自分の夢が実現できないのではなく、夢の代価を払えずにいるのです。この差は似て非なるものです。

 

 摂理

 蒔かぬ種は刈り入れられないのが摂理です。つまり夢が成らないことも、自らが原因を作っているのです。

 

 努力

 質問: 人生に努力は、必要でしょうか……

 私の立場は非常に明快で、ただ摂理があるだけのことです。

 物事には代価が必要であり、安易に得られる物は、それなりの価値しかありません。 つまり

……欲しければ働け、嫌なら諦めろ

……それだけの話です。

 努力が美徳であるというのは、努力するだけ利益が上がる農耕文化の思想に過ぎません。運の比重の大きな狩猟文花では、地道な努力よりもむしろ、より多くの分け前を得るための自己主張などを重視します。 そして、現代日本も、努力よりもむしろ自己表現が重要に成りつつあります。

 そして、私も努力をすることが大切だとは思いませんが、自己表現も下手なら、努力もしないのでは一体どこに取柄があるのでしょうか。そして、「自分の希望のままに、物事が運ばない……」という質問は、摂理の面から一体どのような解釈ができるのでしょうか。

 このような質問をする人には、想像もつかないことでしょうが、私の回答は、『今のところはまだその程度で済んでいますが、いずれもっと大きな悲劇と逃れることが出来ない困苦に見舞われることでしょう』というものです。

 無理に働く必要はないと思いますが、自分が欲しいだけのものを稼ぐ努力がなく、そして夢や願望を捨て去れなければ、自分自身の怠惰と欲望の板ばさみで苦しむことになります。そして、年老いてから努力するのは何よりも切ないことですよ。

 そして、若いうちに運や縁を育てておかなければ、年老いて、苦しみに直面しもあなたの苦しみに親身になってくれる人は現れないからです。

 

 楽しみ

 人生は、ぜひ、楽しまれるべきです。ですが、その前に、人には自らを削って楽しむ人と、自らを太らして楽しむ人に大別できることを覚えていてください。苦労を後回しにすれば、いずれ帳尻が合います。怠惰の生み出す苦しみは他人には解消出来ないものなのです。

 そして、何より幸せなのは、生み出す喜びを極めることです。人が苦労と思うことを喜び楽しみながら出来るという事……これはどんなに羨んでも、努力しても会得できるものではありません。

 また、浪費というのは、なんと心地よいことでしょう。しかし物や金がなくなれば、とたんに人は心寂しさを覚えます。働くのは面倒だ……ですが、形あるものを作り、残していくことはなんと安心感が生まれるものでしょうか。

 浪費と言う、目先の甘さに囚われて、知らずに不安の種を播き、面倒という、目先の苦さに囚われて、安心の種を播き忘れたら、楽しみの果てにただ不安が残ります。

 結局のところ、人には、自分の未来を取り崩して今の楽しみを追いかける人と、楽しみながら未来を生み出していく人がいるのです。

 

 怠惰の理由

 なぜ、人は怠惰に陥るのでしょうか。私が見る限り、夢を実現できない人は、夢よりも、努力よりも、言い訳を大切にしている人のようです。

 本当の夢を抱いているなら、何をさておいても、努力するはずなのです。それも、自分では努力とは思わず、傍目に見えるような苦しみも知らずに、ただ一心に夢に向かって進んでいます。

 夢が実現しないと嘆いている人に触れるのは、私にとって苦痛以外の何者でもありません。その心の中に言い訳と不満と妬みしか、見えないからです。

 延々と理屈を並べで、でも実現のための行動に移らない……当人は否定しますが、傍目から見たら、そういうのを「言い訳」と呼ぶのです。そして、言い訳であることを自認しないから、永遠と無駄な思考を続けるのです。

 しかし、先が見える努力というのは、動き出すまでは辛くても、いつしか没頭して苦しみを忘れますが、先が見えないというのは、黙って座っているだけでも辛いものです。


2006-04-15

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