質疑:霊感について
Q「ターミナルケアに関する本を読んだら、病気の親族の死期が気になって仕方がない」
不安……ですね。不安というのは正しい知識を持たぬ事から生じるものです。すなわち、その本が中途半端な知識しか与えてくれぬからあなたが不安になるのです。
なお、死についていうなら、「未来」は当てるものではなく、生み出すものです。確かに人は永遠に生きることは出来ません。そして考え方を変えた所で寿命を延ばすことは出来ません。しかし、たとえ短くとも有意義に生きることも出来るし、たとえ長くとも無駄に生きることも出来るのです。
永く生きようとあくせくする人はストレスから心身をすり減らし、より良く生きようとする人は楽しく長生き出来るのが現実。決して不思議な話ではありませんよね。
Q「霊感が強く、職場のある部屋に誰かいる気配がして、しょっちゅう振り返ってしまうこともあります。」
霊性の大切さに気がついて下さい。霊性とは、理性や知性とは別個の心の働きです。すなわち、理性・知性を纏めて一つの目的に向ける働きをする心の働きなのです。
……振り返っても見えないなら、どうしたら正しく受け止めることが出来るでしょう?
いたずらに振り返るのを止めて、正しく心の目を向けるべきだと思いませんか? 当たり前ではないものを感じ取りながら、なぜ、当たり前の人間のように振り返り続けるのでしょうか。そこに理性や知性の働きがあっても霊性の働きがありません。なにより向上心がありません。振り返って見えなければ、それで安心なのですか?
なぜ振り返ってしまうのか。それは、あなたが真実に関心があるからだとは思いませんか?
Q 「昔、霊感の強い人から私が予知ができるようになるようなことを言われたことはありますが、余りよい感じはしませんでした。」
ならば、良い感じのする何かを求めれば宜しい。その違いが分かりますか? 判るはずです。あなたはとても聡明な方なのですから。でも、遠慮が美徳だと思っている。手に入れやすい大きな望みよりも、手に入れがたい小さな望みを求める方が美徳だと思っている。理性や知性がそれを美徳と呼んでも、霊性は違うことを答えるでしょう。……それは愚かだと。
人には向上心があるのです。なぜ大きな贈り物をもらうことを拒むのでしょう?
なるほど、もらった贈り物に押しつぶされるのは滑稽でしかありません。ならば、いつでも受け止められるように心身を鍛えれば宜しい。少なくとも、何ももらえなくても健全な心身があなたのものとなるはずです。もらわなくとも恨まない。それこそが謙虚というべきです。
Q 「年取ればそれなりに予想できることはありますよね。その程度以上のことは望みたくありません。」
中道・中庸は、古今東西の聖人が薦める正しき道であります。しかし、中途半端と中庸とは違います。役に立たな鋳物を選ぶのは極端な選択といえるのです。
人は智慧に溺れて滅びることもありますが、愚かでも滅びます。……求めるべきは、智慧か、愚かさか、そのどちらか……本当にその二者択一ですか? 第三、第四の選択肢はありませんか? すなわち、あなたはたった二つの選択肢にだけ目を向けて将来を決めようとしているのです。それは……何と呼ぶべきでしょう?
あなたの疑問は、あなたの思い描く選択肢の中だけに答えがあるものでしょうか? 答えが見えない……それは、答えを出せないのではなく、単に残りの選択肢が見えていないだけではありませんか?
それを、「不明」と呼びます。有り体に言えば、「心の目が見えぬ」ということです。未来が見えてもその意味の分からぬのでは困ります。……そして、あなたが悩んでいるのは、眼を開くか否かではなく、見ても判らぬか、見えぬ事にも気がつかない愚者であるかの選択ではありませんか?
眼を開きましょう。人はいつか死ぬのです。死期が見えることを執着とするのではなく、その人が死ぬまでに何をすべきかを見る人になって下さい。
人生の価値は長さで決まりません。その充実度で決まるのです。どうしたらその人の人生が充実するのかを考えられる人になって下さい。
なにしろ、人は死を免れることが出来ないのですから。