霊障問題
苦しみに囚われて、ただ解決だけを急ぐと、大切なことを忘れがちです。
理想論ではありますが、前書きに変えて、問題に対する取り組みの方法を解説します。
霊障問題
人は死を免れることができません。現世の生に、どれほど努力と工夫をつぎ込もうと、あなたが死んだ瞬間に、その成果とは縁を切られてしまいます。「人は死ねばどうなるのか」その問いを心に抱くことはとても大切です。
人生にはヒントが満ちているのに、疑問をもたなければ、そのヒントに気が付くこともなく、さらには、答えに気が付くはずもないのですから。ですから思います。心霊的な問題に心痛めるあなたは、人生の真の意味を知る上で、なんと幸せな境遇にあるのだろうと。
多くの人は死の直前まで、死後の世界がどのよな物であるか、真剣に考えることもありません。「トンネルを抜けたら、大きな川が流れて、川を渡った先の、お花畑の上を飛んでいけば、霊界にたどり着く」その程度の知識がせいぜいなのです。狭い日本にだって、雪国もあれば南国もあるというのに。一つの光景だけで、一つの世界を表しきるものでしょうか。
そして、霊障に苦しんだ人はぜひ考えてみてください。霊界に入るのがそんなに簡単であるなら、一体あなたを苦しめるその霊は、どうして霊界に行かずにあなたのそばにいるのでしょうか。
一つの事実ですべてを説明することは出来ないのです。人生には、知識の限界を知り、柔軟な対応力を維持することが何より大切です。そして、一つの事件に巻き込まれた時、自身の知識や心得が、現実に即しているかを試されます。
だからこそ、私は思うのです。今、霊障に苦しむ人は、大変かもしれないけれど幸せだと。死の直前に慌てる必要がないのですから。
来世を癒す
病気に 掛かったとき、単に病気の治療に治す事に熱中するばかりではなく、日常的な健康の留意点を学べたなら、今現在の病気を治すだけでなく、未来に掛かるであろう病気も治すことが出来ます。
同様に、霊障の経験を人生に生かすならば、死後の生活から、来世までを治すことが出来ます。
心霊相談において、そこまでの指導は時間的な制約もありますので、メールで個人的に指導することは出来ませんが、そのノウハウは逐次、文書化したいと思っています。
霊障の矛盾
霊障の解消法は別項で扱いますが、ぜひ考えていただきたいことがあります。
今あなたが悪霊、低級霊に苦しめられているとして、暴力がまかり通り、助けてくれる先を苦労して探さなければならないとしたら、霊界とは、なんと治安が悪い世界だとは思いませんか?
運良く、霊能者と出会い、悪い霊を追っ払ってもらったとしても、あなたはいずれ、肉体を失い、霊界に生活の場を移さなければならなくなります。その時、悪霊に襲われたとしたら、あなたはどうやって身を守ればよいのでしょうか?
霊界にも治安を守る霊がいるなら、どうして今のあなたを助けてはくれないのでしょうか?
死後に備えて、除霊法を学ぼうにも、霊感がなければ、目が見えない人が格闘技を習うようなものです。塩もお札も(効果があるとして)どうやって、霊界に持っていけるというのでしょう。
そもそも、塩やお札に除霊の力があるなら、それがあなたを苦しめない保証があるのでしょうか?
もしも、この世に霊障が存在するなら、あなたは死んだ後に、あの世で平和な暮らしが出来るのでしょうか?
霊障問題――半面の理
05年 01月 29日
「霊障」について悩む人は多い。……この不運は、悪霊、低級霊の祟り・障りではないか? 不信が不信を呼んで、実際に祟りや障りがなくとも、不信が不運を招いたりするから始末が悪い。特に、自分の霊感に自覚・自信を持たぬ/持てぬ人々にとって、「霊障」というキーワードに対する関心度は高い。
また、自称霊媒の主催する心霊サイトなどには、大抵、「霊障識別法」とか、「霊障の解決法」といったアイテムが並ぶ。だが私の知る限り、その手の情報のほとんどすべてが 半面の理でしかない。つまり見方を変えれば反対の見解も出るのに、事実の一面だけに注目したもので、ようするに偏見である。……むろん、人の数だけ、価値判断基準はあるだろうが、半面、いや一面の理でしかないから……見えない部分、見てない部分に重大な落とし穴があったりもする。
低級霊の感化はなるほど害が大きい。狂気に取憑かれるとか、妄想に支配されるとか、端的には不運に陥るなどというのは、つまり人の精神性が悪霊・低級霊の感化を受けた結果といえる。だが、創造的なインスピレーションを得たとか、悟ったとか、幸運に恵まれる、というのはどうだろうか? 実に、高級霊の感化を受けた結果といって良いのだ。
つまり、人々は善悪高低、様々な霊から感化を受けている。それを単純に、霊……死者の個性から受ける影響のすべてを悪いと決めつけてしまえば、良い影響も受けることができない。そして、霊障の有無に不安を抱く人々は、つい、簡便な除霊法を求めたりするものだが、これは果たして善霊・高級霊に影響を与えずに済むものだろうか? つまり、低級霊を追い出すが、自分だけは高級霊の助けを得たいという発想で見捨てられはしないだろうか? ――それこそが、簡便な除霊法、霊障の解決法を危険視する所以である。
つまり、善悪双方の影響を受けていながら善霊に気がつかず、悪霊の悪霊たる所以も知らずに、結果からようやく悪影響を受けたと気がつくような無分別さこそが、人々の思い悩む霊障の実体なのだ。
そもそも、低級霊・悪霊から感化を受けるとは何事か。物事の価値も分からずにくだらぬ事に流され、また、善悪の分別もないということではないか。つまり、霊障というのは、低級霊の感化が、高級霊の感化を上回っている状態なのだ。それを低級霊を追い出すことで解決したと考えるのは、ナンセンスである。いずれ別の低級霊が入り込んで感化を受けるだけだ。まして、力押しをすれば恨みを買う。生きている今は霊媒の助けを借りてその低級霊を追い出し続けても、死後に復讐されないと確信できようか? そもそもみだりに除霊する霊媒は、あの世に多くの敵を持つもので、そこに霊媒の死に際の善し悪しがあるが、相談者もその影響を受けぬとは限らない。
自然で、かつ無理のない霊障解決法は、自分自身への高級霊の感化力を強めることだ。そうすることで、自分自身に感化を及ぼそうとする低級霊も一緒に向上し、いずれ強力な盟友となることもある……というより、そういう努力こそが霊能力の向上法なのである。つまり、霊能力の実際は、味方=背後霊団の強さ(これだけならば一面の理)であり、同時に敵の少なさ(これもまた一面の理)なのである。更にいえば、自身の背後霊団だけでなく、いざという時に助け合える友好的な霊団の多さも大切だ(これもまた一面の理)。一人の強さで得る勝利は狭い局面に限られる。大局的な勝利を得るには強さよりも誠実さが大切なのである。
・・・・・・・
とある武術家が、女性アナウンサーから、簡便な護身法を問われてこう答えた。
「敵を倒す事よりも、危ない所に近づかないことです。なまじ、護身術などを学ぶと危険を侮ります」
簡便な護身術など、簡便な方法で封じ込めるものだ。まして、霊視・霊聴能力もなしに除霊・浄霊を行おうとするのは、武術の試合に目隠しをして参加するようなものである。そんなハンディーを持っていては対等な力量を持っていても勝てはしまい。……いや、それ以前に、相手に有利な条件で対決しようと思うその心はすでに慢心にあふれかえっている。つまり、負けは眼に見えているのだ。
これなどは、愚かといえば愚かであるが、やはり半面の理しか気がついていないのだ、と思える。
自分に感化を与えているのは、善悪/高低双方の霊である。そして、低級霊の感化力が強いからといって、低級霊を追い出そうとする事が果たして有益であろうか? 闘争の隙をついて別な霊に取憑かれはしないか(除霊は、害を減らすだけで利を増やしていない事を心に留めて欲しい)……むしろ、高級霊の感化力を向上させることのほうが有益ではあるまいか? (もしもそれが出来るのであれば、害を減らして利を増やすことにも通じる)
我が師はこういう……霊障は、自分の霊格を上げようと努力しないと絶対に解決しない。
逃げることを考えて立ち向かうことを忘れる。または、戦うことに気を取られて味方を失う。――損を減らしても利が増えないのでは結局、負けを先延ばしするだけのことだ。だから私は思う、霊障解決よりも、高級霊との絆を強めることが大切であると。下ばかりを見ていてはその事の大切さに気がつかない。
敵をやっつけて、自己の評価を下げるのでは、踏んだり蹴ったりだ。だが、勝利に酔ってその欠陥に気がつかない人の何と多いことか。それもまた半面の理――内の敵に負けて真の勝利はない。
ご自身で霊感の自覚がある方の障害は、次項『感応障害』で扱っています。
霊障・霊障害の矛盾
最終更新日 2002年02月17日
心霊知識の無い人は、霊というと、即座に悪いものをイメージし、慌てて事態を拗らせるのが普通です。しかし、肉体の無い人を霊と呼ぶのです。人に良い人もいれば悪い人もいるように、霊にも良い霊もいれば悪い霊もいます。
さて、あなたが、多くの霊に囲まれているとします。そこで、「迷惑だから出ていって!」と怒鳴ったらどうなるかを考えてみましょう。あなたの権利を尊重して出て行くのは、良識と思い遣りのある魂だけで、あなたを利用しようとしていたり、非常識な相手や、独り善がりな相手は出ていく事がありません。また、短気な相手なら怒って開き直るかもしれません。
霊を恐れて、ただ追い出す事ばかりを考えていたら、悪い霊ばかりが残る事になりかねないのです。
善悪のバランス
災難は、悪意よりも未熟さ、不運よりも要領の悪さによってもたらされます。悪意ある者がいなくなっても、未熟な者がいるだけで災難に巻き込まれます。しかし、未熟なだけで人を責める事は出来ません。
『神社やお寺で御祓い・祈祷を受けたが霊障が解消しない……』
災難をもたらすのは必ずしも悪霊とは限りません。悪霊がいなくなっただけでは、事態は好転しないのです。
誤解
霊障は、前述のように対人関係のトラブルの延長線上にあります。そして対人関係のトラブル解消に一番大切なのは、誤解を解くことと言えましょう。だからこそ、霊能者が必要なのです。
お札《ふだ》に、塩、しめ縄……
相手に有無を言わさぬ力押しでは、恨みが増すのも無理はありません。
『うらめしやぁ~~』・誤解二
一般的にいって人が深い関係を結ぶのは他人よりも身内が多いはずです。同様に、祖先の霊や守護の霊達よりも、たまたま、あなたに関心を抱く悪霊の方が多いというのは非常に例外的と言えましょう。
つまり、世にある霊現象の多くは、危険を知らせる祖先の霊が起こすものが大半なのです。ただし、そういう知識が欠落している人々にとって、悪霊も祖先の霊も皆同じに見えるでしょう。
祖先の霊を霊障害と誤解している場合、事故が避けられれば良し、避けられなくても黙って去っていくだけで、このような場合に除霊などまったく無意味なのは、言うまでもありません。
憑霊
憑霊は、悪霊や低級霊がいるから起るのではありません。皆様を守っている霊よりも低級霊が強くなる事で憑霊が起るのです。この低級霊と守護霊とのパワーバランスが狂うのには、様々な状況が想定できます。
1,皆様の心が、守護霊を遠ざけ、低級霊を呼ぶ場合。(悪心を持つこと)
2,皆様の行為が守護霊を遠ざけ、結果として低級霊が働きかけ易くした場合。(悪事を働く事)
3,因縁により守護霊の加護以上に、強い悪霊を呼んでしまった場合。(悪因縁)
そして、原因を掴んでこそ、解決するのです。
誰の問題かを忘れない
その苦しみは誰のものでもなく、あなた自身の試練なのですから、当人が投げ出したり、不運を歎くばかりなら、真剣に手助けする者がいなくなります。もちろん、泣いて災難が増える事があっても、減る事はありません。
そして、実際のところ……霊障の解消、特に除霊というのは、拗れた人間関係の仲裁の様なものです。関係者双方に喜ばれるような解決が理想ですが、非常に困難で難しいのは確かです。しかし、ご相談者の方の言い分を丸のみし、他方を攻撃するような真似を私はしたくありませんし、そんな要求をされる方のご相談はお断りいたします。
あなたの後ろに霊が見える
最終更新日 2002年04月27日
ここでは、「突然、第三者から、『あなたには霊がついている』と言われて不安になった」というような、自分では認識出来ない問題にお悩みの方が対象です。
(一時、心霊詐欺グループがらみの事件で多数の相談が寄せられました。)
不安の原因
まず今抱えている不安の原因について、良く考えて見てください。霊がついていることが事実であるかどうかよりも、自分は何を為すべきなのか分からないことが、大きな不安の原因になっているはずです。 不安を生み出すのは心霊知識の無さなのです。
仮に私から、そんな霊がついていないことを請け負えば、あなたは心の平安を取り戻す事が出来ます。ですが、そんな平安は一時のことにすぎません。少なくとも、霊を恐れる=死後の個性存続を信じる人にとって心霊の問題は人生において無視出来ません。なぜなら人は死を免れることは出来ないからです。
知識として・心霊詐欺
町角で、「私には見えるのだが、あなたには霊がついている、お払いをしないと命が危ないが、私には除霊の力がない……」と話し掛けて脅えさせ、「霊能者を紹介しよう」と案内し、道中聞き出した身の上などを、様々な手口でこっそりと霊能者役に伝えて、当て物をし、礼金をせしめるという手口の詐欺が、一時期、小田急線沿線を舞台に起こりました。
一ヶ月に三件以上も同じような相談が来たのですが、インターネットの普及率と、私のホームページの一日のアクセス量を考えると、相当に多くの被害者が出たことと思います。被害者の多くは、警察に被害届けを出したのですが、犯罪の立件は難しいといわれ、その後どうなったかは知りません。
もう一つの問題
屋根にはしごがかけてあるとして、片付け忘れたのか、それとも誰かが屋根に登っているのか……その判断もせずに、はしごを片付けたら、大きな問題が生じてしまいます。無縁な人の為すことに、関りたくもありませんが、「除霊能力も無い未熟な霊媒が、何を余計なことを言うのだ……」というのが私の正直な意見です。
善悪は、有無ではなくバランスが問題なのです。すべての人には、一人や二人、事故や病でなくなった人の祖先がいるものですし、一時的な感情で、低級霊や悪霊を呼び寄せることもあるのです。
問題は、守護の霊や高級祖霊たち、または、その人の心のあり様が、災難を防ぎ、またはそれを切っ掛けに幸せを掴んで行けるかどうかであって、悪い霊ではないのです。実際、不安になったというメールは何通も受け取っていますが、「言われた通りになったのだけど、今後どうしたら良いのか……」というメールは一通も受け取っていません。
まして、悪い霊しか見えない霊媒というのは、その霊格・才能に問題があるもので、「(見てくれが)悪い霊は取り除く」と考える、粗暴さが大きな間違いです。それは「頬に傷を持っていれば犯罪者と見なす」というぐらいに乱暴な話しではありませんか。
加害者? 被害者?
山道で、血だらけの人と出会ったとします。独りではなるほど心細いでしょうが、良く考えて見てください。この人は返り血を浴びた加害者なのか、それとも誰かに傷付けられた被害者なのか、どちらでしょうか。
加害者ならばただちに逃げるべきです。それは卑怯でもなんでもありません。しかし、被害者を放置して逃げるのは、卑怯、非情としか言えません。
霊感のある人から、「血だらけの霊があなたについている」と言われたとして、それが一体、加害者なのか、被害者なのかが大切です。形相が恐ろしげだからといって、あなたに危害を加えるとは限らないのです。
まして、冷静に考えてください。あなたが誰かに追い掛けられるとして、 血だらけの怪我人や、身体に障害のある人と、屈強そうな人、または、非情に知的で狡猾な人と、一体どちらが恐ろしいでしょうか。
血を流し、または、体の一部が欠損して見える霊が見えるという事は、何かを為さねばならないとしても、恐れることには当たらないはずです。少なくとも祓い、追い出すというのはなんと非情なことでしょうか。
怪談話でも、幽霊は決まって恐ろしげな形相ですが、苦しみの形相と、憎しみの形相は似ていて異なるものです。苦しみの形相まで、怨霊であるかのように扱うのは、過ちです。
結果は善悪のバランス次第。
現代日本において、周囲に警官の姿が見えないとしても、それだけで、治安に不安を感じる事はありませんね。むしろ、大勢警察官が立っていたら、なにか事件が起ったのかと、逆に不安になることでしょう。そして、町角で、人相の悪い人を見かけても、社会の治安に対して信頼を抱いてれば、大きな不安を感じはしません。
同様に考えてみてください。たとえばあなたの背後に、悪い霊がついていたとしても、それを上回る善い霊がついていれば何を不安に思う事がありましょうか。恐れるべきは、悪い霊がついていることよりも、良い霊から見放されることなのです。
また、地上生活で考えても見てください。人相が悪いからといって殴り掛かれば、裁かれるのはどちらでしょうか?
助けを求めて来た怪我人を手当てもせずに追い出したら、非難されるのは怪我人でしょうか、あなたでしょうか?
手に負えないことは仕方がありませんが、あなたに助けを求めた人に対して、親切にすることがなければ、そんな姿を見た人(善霊)たちは、あなたの苦境を助けると思いますか?
まして怪我人を冷淡に扱ったら、あなたの周囲の人は、あなたの苦境を助けるどころか、自業自得とばかりに、煽り立てないとも限りません。
霊相手の問題は、どうすれば良いか分からない……分からないからこそ、不安でしょうし、不安からは逃れたいのが人情です。ですが、少なくとも逃げることで得られるものは何もありません。そして人はいずれ死に至る……死後、あなたが血だらけの霊に取り囲まれたら、一体、誰に助けを求めればよいのでしょうか?
神様? 仏様? 天使にご先祖様? それとも神職、僧侶、霊能者ですか?
そんな相手が頼れるものなら、その血だらけの霊たちは、なぜあなたの元に現れたのでしょうか?
答えは簡単です。日本の首相や米国の大統領の名前を知っていても、彼らと会話出来る人はごく限られているのと同様なのです。専門家に縁が無ければ、手近な相手で妥協せざるをえないのです。
不幸中の幸い
「あなたの背後に悪い霊がいる」そう言われて、不安に駈られ悩まれたことは、なるほど災難といえましょうが、死んでから、悪い霊に分類されずに済んだと考えるならば、何という幸運でしょうか。災いは、幸運を掴むための助走にも使えるのです。その意味で不幸になるかどうかは、霊の存在よりも、あなたの心がけによるのです。
何が出来るか
では一体何が出来るか、それが真の問題ですね。ですが、事情は人それぞれですから、一般論で解説することは危険ですらあります。第一、救いを求めるにしても、専門家を頼れば良さそうなものなのに、一体なぜ、あなたを選ぶのでしょうか。
短期的には、手近な相手……つまり、事故で死んだなら現場の側にいて、一番霊感が強そうな人を選びます。しかし、この様な理由なら、駄目ならすぐに別の相手を探すものです。
長い目で見れば、頼るべき相手、頼れる相手にすがります。生前、世話をした相手とか、反対に生前親切にしてくれた相手、または血縁者も頼れるでしょう。
また、霊能者の卵は、一番に狙われます。ある程度、修行した人ならば、迷いの心情を抱いた霊を決してそばに近づけないからです。一旦、同情したが最後、人生のすべてをおろそかにしても足りないほど、迷いの霊の後始末に追われてしまうのです。
この様な条件に問題を当てはめなければなりません。
手近……というのが理由なら、単に、守護霊に祈り、霊界でよろしくお手配してくれるように祈るだけで事足ります。すべての人に必ずついている守護霊は、本来かなりの高級霊で、必要な時には素晴らしい力を発揮してくれます。その力を人生に生かさないのはなんとももったいない話しです。
(守護霊の力の生かし方について、メールで質問、ご相談されても回答はいたしません)
血縁者の場合、単に霊界に送るだけでは、問題が解決しないものです。いわゆる因縁というのは、非情に複雑であると同時に、様々な要因が織り成しているからです。たとえば、血圧の高い家系の人なら、脳の障害を持つ因縁の霊がついているでしょうが、同時に、その家系は強い塩味を好む……といった現実的な問題も抱えていることでしょう。
強い味付けを好むのも、味覚音痴なのか、霊的因縁なのか、またはその双方なのか……いずれにせよ、お祓いでは上辺の解決でしかありません。(本当に力のある職業霊能者(拝み屋)なら、この様な場合味覚の好みまで変わるものですが……代償無しにそんな事を期待するのは怠惰です。)
霊感が強いという理由なら、同情するよりも自分の身を守れるようになることが先決です。自分の頭のハエも追えない状態で、霊的な問題を扱えば共倒れになりかねません。
身内の霊感
最終更新日 2002年04月27日
身内の者に突然霊感が開いた……霊感を持った知人にしっかりとした霊能者がいればともかく、とても不安なことと思います。周囲の者たちにしてみれば、本当に霊を感じているのか、それとも気が狂ったのではないか……疑心暗鬼がさらに不安をかき立てます。
しかし、何よりも自身に降りかかった異常時に、困惑しているのは当の本人なのです。 そして、周囲の理解を強く求めていることでしょう。よく考えてみてください、人にとって一番辛いのは何か……周囲の理解が得られないことほど辛い物はないはずです。
現象はともかく、また、当人が耳にしている、または目撃している霊なる者が、錯覚であるにせよ、本物で在るにせよ、そしてまた、霊現象が低級霊のイタズラであるにせよ、高級霊の導きであるにせよ(その場合、突然ということはまず在りませんが)、現象に懐疑的であっても、当人を信じる姿勢を示して欲しいと思います。
困苦にぶつかったとき、人の真価が問われます。霊感が正しいかどうかに囚われて、あなた自身が人間として、情けない行動をとらぬことです。
金縛り現象
最終更新日 2002年04月27日
霊障を恐れる方は、不運の一切合財、全部を霊の影響と考えがちですが、よくよくの悪霊であってもそこまで手間隙を掛けて人を不運に陥れる事はまずありません。大抵のばあいは、ちょっとした切っ掛けが元で、被害者が勝手にこじらせ、雪ダルマ式に問題を膨らませていくものなのです。
この場合の切っ掛けとは必ずしも、悪霊・怨念、低級霊の類とは限りません。あなたに危機を知らせに来たご先祖が、誤解されて霊障と騒がれる場合も多いのです。
少なくとも霊障には、霊的な原因のほかに、被害者がこじらせたという直接的な問題が存在します。
金縛り
金縛り現象を純粋な霊現象と誤解している人が多いのですが、身体が休眠状態でありながら、意識がはっきりしているときに起こると、その生理的メカニズムは医学によって解明されています。霊が金縛り現象の引き金になっている場合もあるでしょうが、わざわざ、人を押さえつけて金縛り状態にしている事はまずありません。
ストレスを感じていると悪夢を見やすく、そして眠りが浅くなりがちで、そのような時には金縛り体験をしがちです。そして、一度金縛りを体験すると、睡眠に恐怖を感じて更に眠りが浅く、疲れ易くなり、ますます金縛りに合いやすい状態に陥ります。このような悪循環から、金縛りを心霊現象と思いがちです。
また昔から、お経や真言を唱えると身体が自由になると言い伝えられていて、実際に試してみると、本当に自由になるために金縛りを悪霊のせいと思いがちです。しかし、これはお経や真言を唱える事で、気持ちを静めている内に身体が目覚めるからなのです。
つまり呪文でなくても、数を勘定しているだけで、身体の自由は取り戻せる事になります。金縛りを霊現象と誤解して、自分にはまるで対策が無いかのように思いこむからますます金縛りに苦しむのであって、気持ちを静めれば問題は自然と解決に向かいます。
しかし、心霊的立場、特に心霊主義的立場から、金縛り現象には注意すべき点があります。いったいこのストレスが何処から生じるのか、そしてどうして解消できないのかということです。それは霊障というよりも心、魂の弱さと説明できます。
人生のいかなる問題も心のあり方一つで乗り越える事が出来ます。逆にいえば心を鍛えねばどんなに簡単な問題もあなたを苦しめる事になるということです。
・・・・・・・
実を言えば、金縛りに苦しんでいる人の背後を霊視すると、間違いなく低級霊、少なくとも黒いモヤ状の物が見えます。そして除霊を行なうと、快癒が早い事も事実です。
その理由はばかばかしい話ですが、金縛りに悩み、苦しむ心が、低級霊を呼び込み、低級霊の影響を受ける事で、恐怖感が増し、それが安眠を妨害して金縛りにあいやすくなり、また低級霊を呼んでしまうという悪循環をもたらすからなのです。
人間には霊的な免疫機能があります。このような低級霊は気持ちを変えるだけで消えてなくなります。
・・・・・・・
2001年5月2日 補足
除霊を受けて長年の金縛りが治ったという方から、金縛り現象は医学で解明されたわけではないと、反論をいただきましたので、もう少し詳しく説明を試みます。
例えば、家族なり、同僚なりが、コンピュータを使用しているとして、どうやって邪魔をするかを考えてみましょう。この時、あなたが相手の両腕を押さえ込んだら、相手も力任せに反抗するでしょうから、腕づくで使えないようにするためには、非常な努力が必要となるでしょう。
しかし、電源プラグを抜くなり、キーボードやマウスのコネクターを引き抜いてしまえば、難なく使用不可能にできます。この時、相手がプラグを抜いたことに気がついていたなら、黙ってプラグを差し込み直すでしょうが、抜かれたことに気がつかなければ故障か、と大騒ぎすることでしょう。
私が金縛りは生理的に説明がつくというのは、この例でいうなら、あなたを誰かが押さえ込んでいるからコンピュータが使えないのではないよ……と言うことなのです。そういう事例は、まず全くないと言ってよいでしょう。使えないとしたら、プラグが抜けているか、コンピュータの故障を疑うべきで、このプラグ抜けが故意のいたずらであるとしたら、それは霊障に相当しますが、霊障であることよりも、使用方法や使用環境が悪いことが多いですよ……と言うことなのです。
まして、直接押さえ込んで身体を動かないようにさせることが出来る霊が憑依しているなら、除霊するまで、動けないと考える方が自然でしょう。どうして、わざわざ自由時間を与えるのでしょう?
実際、私が受けた相談事例のうち、除霊が必要だった事例はそう多くありません。例えば、地方から就職して、新しい仕事にも新しい町にも慣れずに金縛りに会うようになった方もいらっしゃいます。この時は、「霊障ではない、ストレスだ」と私が助言した、その日からぴたりと金縛りが止まったそうです。
また、この金縛り状態下で、恐怖感からジタバタすると金縛りに合っている時間が非常に長く感じるものですが、ゆっくりと呼吸の数を勘定したり、真言でも、お経でも、または、自分の覚えている詩の一節でも心の中で唱えていれば、案外早く、身体が自由になることに気がつくものです。これは、生理的なメカニズムの解明から導き出される解決法と合致します。
つまり、金縛りに合いやすい。または、起こしやすい体質の原因には、それこそ霊的な理由があるかもしれませんが、とりあえず金縛りに合っているときは、生理現象と割り切るほうが良いのです。反対に霊障と思い込んで、ノイローゼになったり、交際が破談した……などという事例も有ります。こういうことから、心理学者や精神科医たちが職業霊能者を敵視するのです。心霊は害の方が多いというわけです。
しかし、ではその医学的な異常はどこから来るか……という所に、病気だけではなく、霊障が潜んでいる場合も有りますし、その病気や霊障の原因がどこにあるか……という所に因縁が潜んでいる事もあります。また似たような例で、、一般に霊現象とされているラップ音や、物理霊媒による、様々な交霊実験にも、観測可能な何らかの働きが介在している事が多い物です。すべてを超常現象で片付けてしまったら、信仰と何ら代わり無くなってしまうのです。
また、心霊相談を受ける立場としても、障害を治しても因縁がそのままなら、別な障害が出るもので、金縛りというのは私にとって単なる表面的な結果や自覚症状にすぎません。そして自覚症状だけを取り除けば真の障害は魂の奥底で火種をくすぶり続け、思わぬ結果をもたらす事もあります。
ですから、私は除霊をなるべく行わず、除霊をしなくても障害が起きないような、魂の鍛練を指導します。霊障害の原因を取り除かないというのは、それこそ、指先に刺が刺さっても抜くだけで消毒しないようなものですから、別な悪影響が起きなければ幸いと思います。
・・・・・・・
霊障には、霊が直接関与する障害はほとんどありません。大抵は間接関与ですから、つけ込まれぬように注意するだけで大抵は防げます。まずは冷静になることが大切なのです。
不幸は祟りか?
最近、不幸であるが、何かの祟りではあるまいか……という相談事例をご紹介します。
仕事がうまく行かない、祟りではないか。
この不景気な時にあっても、業績を伸ばす人もいますが、普通に考えれば仕事がうまく行かないのはむしろ当たり前のことです。そして、不景気なのは霊障害のせいではなく、 霊的な加護の強い人がこの様な時期ですら業績を伸ばすといえるのです。
世間一般では、霊障害ばかりを問題にしますが、私などは反対に、加護なく生きている人の方が不幸に思えます。そして、加護を受けるというのは一口に言うのは優しく、簡単安易に得られるものではありません。
不幸が続く、祟りではないか。(まとめて)
たとえば、身内がばたばたと死んでいくとしたら、大変な事が起こっているようですが、年齢を聞いたらみな、平均寿命以上に生きていた……なんていうこともあります。そもそも不幸の定義が明らかにする必要があります。
また、子供(兄弟)全員が、「皆、結婚してもすぐ離婚する」とか、「皆、学校を中退している」などというのは。一見大変な不幸に思えますが、実は「皆、幸せな結婚をしている」、「皆、高学歴だ」というのと原因が同じであるといったら驚かれるでしょうか。
判りやすい学歴の問題を例にとって解説いたしましょう。ようはその家庭が、どれだけ子弟の教育に高い希望を持っているかということなのです。反対に学歴の有無に寛容な家なら、子供が中退を望んでも強く引き止めはしないでしょう。わがままにしか子供を育てられなければ、果たしてその子は良好な家庭を築けるだろうか……親が子供に与える資産は必ずしも物質的なものだけでなく、ノウハウや忍耐力という、精神的な資産も大切なのです。
不幸の定義
人は、安易に不幸という表現を用いますが、それは、事実を受け止めた人が不幸に思うという事であって、つまり事実の良悪ではなく、好き嫌いをいうだけの事です。
極端な話、有名になる事を喜ぶ人もいればそれを嫌う人もいるだろうし、酒を勧められたら、喜ぶ人もいれば、下戸だからと災難に思う人もいるでしょう。当人が不幸だと思っていても、別な人なら喜ぶような事であるかもしれません。
まして、ある時点ではそれが不幸に思えても、結局それが幸運であった事も世の中には多々見られる事です。たとえば、せっかくの海外旅行に飛行機に乗り遅れてしまった。ところがその飛行機が墜落したから、乗っていたら私も死んでいたであろう……などというのがそれに当たります。
また、どんなに努力しても、手段や方法、目的などが間違っていたら、良い結果は得られません。また、手段や目的が正しくても、途中であきらめたらやはり結果は得られません。
たとえ相手に悪意が無くても、未熟なだけであなたを災難に巻き込むし、チャンスに恵まれても不運よりも要領が悪ければやはり良い結果が得られません。
災難というのは、悪意よりも未熟さ、不運よりも要領の悪さによって生じるものです。
結局のところ、一口に不幸といっても、その原因はまちまちです。そして当人が思うほど、不幸であるのかどうか……、つまり、「私は不幸である」というのは説明になっているようで、事実の説明にこれほど不適切な言葉はありません。……ただ、当人がワガママなだけかも知れないのですから。
事例: 不幸が続いた
最終更新日 2002年04月28日
「不幸が続き心配していたら、身内が亡くなる夢と食べ物のお供えを求める霊の夢を見た。 」
この様な場合、実は、不幸が続く事と、夢に現れた霊と、2つに考えてみるべきです。
1、不幸が続く
たとえば「平凡な人生」なとどいいますが、その平凡な人生に一体どれだけの雑事が付きまとうのでしょうか。まして、その平凡な人生ですら、一瞬の不注意で全てを失いかねないのです。
果たして、あなたは幸せに生きるべき努力をきちんとなさっているのでしょうか。
どんなに努力しても、手段や方法、目的などが間違っていたら、良い結果は得られません。また、手段や目的が正しくても、途中であきらめたらやはり結果は得られないのです。
因果応報、善因善果、悪因悪果。要するに善き事の種を蒔かずに、良い結果が得られるはずも無いのです。そして、進んで善き種子を蒔いている人なら、不幸に出逢って種の蒔き方の不足を思い知っても、祟りを心配する人はいません。
2、霊の夢を見た
「幽霊の正体見たり、枯尾花」と言いますが、不安な時には、ススキを見ても幽霊に思えるものです。
さらに言えば、今時は、聞けば答えてもらえると思い、無礼で無頓着な質問を平気でしたり、「言ってくれなければ分からない」等と、いう言い訳がまかり通っていますが、質問によっては無言である事が最善の答えである事も多々あることです。
たとえば会社や学校で何かが無くなったとき、証拠も無く、「あなたが盗んだのでしょう!!」と問い詰められたら、一体あなたはどう答えれば良いでしょうか。気が弱ければ即座に「やっていない!」と答えるかもしれませんが、非は証拠もなしに人を疑う相手にあります。それに、その人が自分で盗んであなたのせいにしているのかもしれないのです。
こういう時にじたばたすれば、ますます疑われかねませんし、努力すべきは失せ物を探し、または手がかりや証拠を探す事のはずです。
さて、あなたが自分の不幸の原因を、霊の祟りと疑いを抱けば、その事であなたの守護霊や祖先の霊は、大変に貶められる事になります。犯人と疑われないまでも、守るべき者が一体何をしていたのだ……と(霊界内での)世間体が悪くもありましょう。だからといって、言い訳をするのも変なものです。
いくらあなたに好意を持っている相手でも、あなたが疑い、非難すれば、相手にも悪意が生じるものです。それは他の誰かが悪いのではなく、あなたが悪いわけです。
結局、「霊の祟りでは……」という無礼な疑いには、守護霊も祖霊も返答を拒絶するしかありません。そして、無言である事を返事であると察する事が出来るなら良いのですが、それでも答えを求めたり、答えのない事に不安を抱いたらどうなるでしょうか……実は、それが、いわゆる「隙がある」状態なのです。
もう一つ別な方向から解説します。
世の中にはなるほど乱暴な人がいるものですが、大抵の場合、暴力沙汰にはそれなりの理由があるものです。もしもあなたがこうむった被害が、夢の中で求められた供物に見合う程度であるなら真実かもしれませんが、お線香やまんじゅう程度の供物が欲しい程度で、いちいち人が不幸になるというなら、そんな馬鹿げた事がまかり通る、その理不尽さこそを嘆くべきだと思います。
結局、罪なき守護霊や祖先の霊を疑い、辱めるような事をするから、つまらぬ者に騙されたり、他愛の無い子供のおねだりに振り回されたりするのです。
ただし、戸をこじ開けて無理に押し入る者なら、不法侵入で訴えることが出来ますが、自ら招き入れてしまった者を追い出せば、非は家主にあります。同様に、夢に出たのが不幸とは無関係な霊であろうと、それは守護霊の働きを疑った結果に招き込んだことですから、きちんとお供えしてお帰り願うべきでしょう。
まとめ
災難は、悪意よりも未熟さ、不運よりも要領の悪さが招きます。
あなたが不幸の原因を反省する気持ちがあるにもかかわらず、ささやかな供物を求める霊を夢見たのだとしたら、その不幸の原因が祟りとは考えられません。