夫婦の絆は死後どうなるか?
かつて、「夫婦は死後、別々に住まなければいけないというのは本当か?」という質問を受けました。私が言い出した事であるなら説明も出来ますが、この質問の動機が分からず大分面食らったものです。
地上の結婚は死でご破算
霊界(ここでは中級以上)とは、誠意だけが民法としての機能を持った世界です。あえて民法と称したのは、互いの誠意だけでは解決出来ない現実も無視する事は出来ないからです。なお、ついでに申し上げますと、下級霊界とは力だけが法であり、上級霊界は摂理のみが法として働き、どちらも議論の余地、約束・契約の余地がありません。
さて、中級霊界に話を戻すと、地上の約束・契約はさして重要視されることはありません。そもそも、地上というのは精神に対する制約が非常に強い場所であり、様々な束縛から、心に反した約束を強いられがちな世界だからです。
たとえば暴力で脅かしたり、経済上の理由から無理強いされたような契約は、地上では相応に意味があっても、死後の世界では逆に精神的暴力行為の証拠ともなり得ます。要する日常での約束や契約の履行を死後に要求すると、かえって自分の立場を危うくする事もあるのです。
で、本題に戻りますが、地上での「永遠の愛」の誓いなども死後の世界では一応、ご破算と考えるべきです。その履行はあてになりません。不誠実な相手ならば力ずくで契約を破棄するでしょうし、生前の因縁から解放されて百年の恋が冷める事もあります。なにより、地上では有限の時間しか生きられないのに、永遠について約束するなど笑止な話です。実行能力の伴わない契約に実態はあり得ません。
しかし、契約は無効であるとしても、お互いにその契約を守る事まで否定するものではありません。つまり、一方が守る気のない約束は、死後は無効となりますが、双方が守る気のある約束は死後も有効である事は地上以上に確実です。なにしろ、地上的な偏見や、なにより経済的・物質的な制約などが全くない世界なのですから。つまり、恋愛小説に出てくるような、親を助けるために嫁に行くとか、生活苦から別れなければいけないといった事情は起こりえないのです。
また、配偶者と死別後、生活上の理由から再婚した人を事例に考えて見てください。もしもご破算にしなければ、死後の世界は夫婦関係の訴訟だらけになってしまいます。まして、恋愛問題は感情的な要因がとても強いのですから、もう大変な騒ぎとなるでしょう。
さらにいえば、すべての人に当て嵌まるとはいえませんが、地上の結婚生活は互いの魂を磨き合うために組まれた相手という通信もあります。つまり、互いに傷つけ合うが、でも恋愛感情があるから別れられない……「互いに好きあっているが、同時に互いを苦しめ合う」という、痛々しい関係もあるのです。
こういう関係が永遠に続くなら、死とは永遠の苦しみに他ありません。
というわけで、死とは夫婦の絆の精算を意味します。死によって絆は断たれ、その後は当事者の誠実さで再編される事となるのです。
……まあ、これだけ文章を連ねて、あえてまとめを用意するのは説明不足の言い訳ですが、要するに、地上の約束・契約などは摂理に反する事が往々にあり、それ故に有意義と認められないのだという事を踏まえてください。
死後、別々に住まねばならない?
端的にいえば、私は霊界で夫婦仲睦まじく暮らすカップルを幾人も知っています。また、あるレベル以上の霊魂は、必ず男女一対で姿を現します。その他、霊界通信を事例としても、ワアド著、浅野和三郎・粕川章子共訳の「幽界行脚」などにも、死後の夫婦生活の記述があります。
自身で受けた通信でも、死後、生前の結婚は精算されるとしても、だからといってすべての夫婦がそのまま離別するわけではなく、改めて結婚する事も聞いています。
……従いまして、死後、夫婦が必ず別居しなければならないという事実を私は知りません。
さて、上述、「夫婦は死後、別々に住まなければいけない」という話ですが、「霊界通信 小桜姫物語に出ているではないか、霊媒は勉強していないな」と、捨て台詞され、私は肩をすくめて当時の議論は終焉を迎えました。
しかし……死後、他の世話を受けずに暮らせるようになる前に夫婦生活を再開したがるというのは、地上的感覚でいうなら生活能力のない二人が結婚するような滑稽さがあります。生活力が身に付くまで待てないとしたら、その恋は、何とも衝動的な危うさがあるのでしょうか?
僅か百年程度の地上の生ならば、一年の忍耐は人生の1パーセントにあたります。それが待てぬほど大きいのか、どうかはともかく、限られた時間を有意義に使いたいという想いは私も同情を寄せる所です……というより、私自身も同情を寄せて頂きたく思わなくありません。
が、永遠の仲の数年間は……待てぬほどの時間でしょうか? 生活力を身につける以前に配偶者の人生に責任を持てるのか? 待てぬというのはあまりに無責任に思えます。……つまり、死後の世界の義務教育期間中ぐらいは、別居させられても文句をいうべきでないと私は思います。まして、私信のやりとりが許されているのですから。
いえ、義務教育が過ぎても同居しない例も知っています。たとえば彼の小桜姫などもそうでしょうが、別にこれは三浦荒二郎と小桜姫夫妻の霊格の問題ではありません。そもそも、男女が惹かれ合うには、互いの精神性が似ているがゆえに求め合い、または、互いの精神性が違うゆえに尊敬し合うと、二通りに分類出来るでしょう。前者の似ているが故ならば、同じ境涯という事で同居に苦はなくとも、違うが故に尊敬し合えるならば、同居することは相互、またはどちらかの忍耐を必要とします。
つまり、同業夫婦ならばいつも一緒だが、大抵の場合、夫婦は分業しているもので、分業しているならば、互いの都合の合う時にだけ一緒に過ごすのが互いに幸せなのです。
というわけで、小桜姫物語に記載された、夫婦は別居が当然というのは、小桜姫の両親についていえば、「おそらく修行中のために別居」であり、小桜姫についていえば「境涯が別なので別居」というわけで、どちらも普遍的事実とはいえません。普遍的でない以上、「(一般則として)夫婦は別居が当たり前」という話には、私は頷けないわけです。
#2009-12-27補足
小桜姫物語には、当時の霊媒を努められた、浅野多慶子夫人による後日譚があり、小桜姫にいろいろな都合が有ったことが明かされていますし、後日譚を読まなくても、太平洋戦争以前の日本において、子供を産めなかった夫人がどのように扱われるかは、容易に想像がつくはずです。実は、小桜姫の夫、三浦荒次郎義意には子孫があり・・・となれば、小桜姫が夫とは別々に住まねばならない、というのは、心霊的必然性が語られてはいても、実際には、家庭の事情によるようです。
この知識が役に立つのか?
無駄な知識とは思いませんが、同時に有益とも思いがたいものです。地上的な理由から熱烈なカップルも、死して事情が変われば水と油が別れるが如く、静かに互いと別れる事もあるし、永遠の共生を実現するカップルもあるでしょう。大事なのは、文章を手掛かりとして、しかし、文章に惑わされず、地上の視点を手掛かりとしても、地上の視点に惑わされず、霊的視点を大切に、そして、自分の霊性を信じて、更に前に進む事が大切だと思います。
夫婦、または恋人同士の絆とは、約束の仲にあるのではなく、互いの誠意の仲にあるのは地上でも同様です。互いがお互いの慰めとして言葉では表わしきるはずのない誠実さを言葉にするのも良いでしょう。でも、自身の霊性を超越した言動……偽善的な言動に意義があると思うのは幻想に過ぎません。恨まず、ただ、自分の誠意をつらぬく。それが出来てこそ、真に恋が出来るのでしょう。
2006-04-14
タグ: 小桜姫