類魂説

 進化の道筋

 魂とは、人間に付属する物ではなく、人間の主人なのです。物質的生命が誕生する以前より魂はこの世界にあり、自我の大海を漂っていたのです。時を経て、自我の大海は自らの表現手段として、生物の発達を促した、その過程で得られた最良の手段がいわば人類なのです。そして、自我の大海が表現手段を求めたのは、多様化と複雑化こそが、自身の進化の道筋と理解していたからです。

 しかし、自我の大海にとって、進化とは単に多様化と複雑化を無秩序に押し進めることではありません。もしも、争い、敵を打ち砕くことに、自らの力(時間や努力)を費やせば、その固体の集団の中での地位は向上しますが、集団全体の力はむしろ落ちてしまいます。

 ですが、相手を滅ぼさず、ただ相手を凌駕することに熱心であれば、自身に宿るすべての力を自らの向上に当てる事が出来ます。それこそが自我の大海にとって一番利益となることです。そして、他の魂の知識や体験を吸収すればより早く自らを向上させる事が出来ます。

 われわれは争いを遠ざけ、神の被造物と共存・共栄の道を歩むのであり、その共存・共栄の精神的境地に至る事こそが私たちの霊的向上、そして霊的進化の第一歩なのです。

 知識と体験の共有

 個々の魂は、自我の大海より至ったように、魂の持つ記憶もまた、記憶の大海の一部なのです。それは自我の大海と同じく、宇宙が持つ霊的構造物の一部を成しています。

 人間が人生の中で体験したことは、魂に個性を形成すると共に、脳に記憶されます。肉体が滅んだ後、魂は、脳に収められた記憶を失いますが、人々が知的活動によって生み出した記憶は、すべて記憶の大海に収められていきます。その収納方法には、個性・個体の別がありませんから、特に生前の記憶を引き出すことは容易ではありませんが、同時に不可能に思えるほど困難ではありません。しかし、元来個体の別が無いために、記憶の大海に収められている記憶は、個人の記憶として取り出すよりも、知識として取り出すほうが絞り込む必要がない分、よほど容易なのです。

 このように、すべての魂には生来、共存・共栄、そして知識と体験の共有の手段が整っているのです。それを阻害しているのは個体として生きているときに誤って育てすぎてしまった自我の存在なのです。

 協調と調和

 死後の世界において進歩を遂げるほど、一層この類魂の必要性を感じる事になります。そしてより深く類魂同士の絆を深めて、より多く仲間同士の知識と経験を共有するようになります。霊性の向上が進むにつれて、仲間との協調生活がいかに美しく、またいかに楽しいかがしみじみと判ってくることでしょう。

 人には得手不得手があります。互いに助け合い補い合える仲間のいる幸せ。これを感じる事によって生命の深みと強さとは一段と加わり、共に生きる喜びを感じる事で、地上生活では免れることのできない利己的精神……他の犠牲になしには人は生きていけない……からの解脱が初めて実現するのです。

 類魂

 類魂(グループソウル)というのは、複数の霊の集合体であると同時に、一つの意思を持った存在です。核となる「支配霊」の意思に応じて、類似の精神を持つ「魂」達が作り出す共生体の事を意味します。一つの類魂に含まれる魂の数は二十の場合も、百の場合も、また千の場合もあり、その数は決して一定してはいません。

 人間の意識が複数の精神活動の集合体であるのと同様に、心霊的生活においてもまた、核となる霊によって結びつけられたいくつかの魂があり、そしてそれらの魂は支配霊によって育まれ、成長を続けるのです。そしてある程度の成長を遂げた魂になると、再び現世生活を営もうとは思わなくなりますが、彼らの支配霊は、必要に応じて転生を命じます。 そして支配霊が、霊界から所属する類魂達を指導し、霊的進化の各段階に置かれている、これらの魂達は、知識、体験を共有し互いに影響を与え合い霊性を向上させていくのです。

 地上生活をしている人々も、もちろんある一つの類魂に属しているのですが、人間の本質、意識の中心、支配者としての魂以外の類魂メンバーは非物質世界・霊界で活動しています。そして、もしも皆様が人間の霊的活動を理解しようとするのなら、自らが類魂に属し、その中で活動する事を理解する事が必要になります。例えば、単純な因果律の考え方では説明できない、現世生活の不公平、不平等についても類魂という考えなくしては説明がつきません。

 天才を産み出すもの

 この類魂説は、科学的な法則とは異なり、必然性ではなく合理性によって支配されているので、転生のすべてにあてはまる法則ではありません。しかし、この類魂のあり方を、天才を産み出すための一種の投機と考えると、興味深い事が明らかになります。

 ある特殊な才能に秀でた類魂の内部で、ある特殊の能力が連続的に開拓されたとしたら、最後にはきっとその特殊の能力が、地上の代表者の上に顕著に現れる事でしょう。すなわち数代に渡り蓄積された一切の傾向が、驚嘆すべき無意識的知識となって、地上の代表者の上に発現するのです。非凡な芸術家や音楽家、その他の天才児の出現を最も合理的に説明するものは、この類魂説といえましょう。

 知恵の牢獄

 自らの霊性に気がつき、類魂の必要性を感じたときに、人は一大変化を遂げます。人はそのとき、自ら歩んできた人生の意味と、精神のもつ力を会得したいと考えます。このときに人が陥りやすい過ちがあります。その人が類魂の目指す向上の道に正しく従っているのならば良いのですが、時として、努力や向上の反動として生まれる高慢さや、利便性の反動に生まれる安易さに、囚われてしまう事があります。

 うっかりすると、類魂が内在するこれら暗黒面にはまり込んでしまい、幾千万年にもわたって、一歩もその中から踏み出せない事もありうるのです。この暗黒面とは、卓上の空論的な宗教的信条やオカルトに関する知識であり、すべては迷信的、または現実逃避的空想が生み出した、単なる夢であり、幻でありますから、そこに囚われても何の進歩も発達もあり得ないのです。

 このような心境が進歩の大敵であることは、いうまでもありません。それは一種の知的牢獄で、そこでは過去の地上の考えによって、本来の可能性ががんじがらめに縛られているのです。向上の途にある魂達が、客観的にその宗教論理や哲学を学ぶのはかまいませんが、そのなかに引き留められたり、拘束されたりしてはいけません。物事を学ぶのに言葉の細かな定義に囚われて行いを忘れることなどもってのほかです。

 物質的な世界に住めばこそ、誤った知識は非現実的として退けることが出来ます。しかし学ぶばかりで何も行わなければ誤った知識を学んでいても過ちに気がつかないことでしょう。

 個々は調和を目指す

 単体の霊の力は、非常に微弱である事は、間違いのない事なのです。しかし、その一方で霊の強大な力を感じる事が数多くあります。例えば、心霊を共通の話題とする友人たちとのオフ会などでは、守られている事、霊界の配慮のある事をたびたび感じる物なのです。これはもちろん、信じない人にとっては偶然で片付けられる物でしょうが。

 そして、この強大な力の源は明らかなのです。霊界と地上との接点は、霊妙で、小さく、一つ一つは弱い物です。しかし布の縦糸と横糸が密接に接しているように、非常に綿密で木目細かく接点を有しています。ですから単体の霊、単体の意識に出来る事は小さくても、協力者の霊たちと相互に意志をあわせると驚くほどの作用を及ぼす事が出来る物なのです。

 この事は霊界の望む物を暗示もしています。地上に及ぼす力は、より多くの意志を撚り合わせる事によって強まります。となれば、力の大きさは、より大勢の幸せのために役立つ事によって決まるといっても過言ではありません。そして、この意志をあわせるという事は、類魂という思想に集約されます。

 地上で類魂を得る

 霊界の良い作用を効率的に受ける上で大切な、受け皿作り、つまり人間として周囲の人とどう付き合うかといった事について考えてみたいと思います。大切なのは、霊界に行っても付き合えるような友好関係であり、それは類魂が成立するのと同じ原理によって造り上げるべきです。そして、類魂の目的とは、知識、体験を共有する事によって、独りで学ぶより多くの知識、体験を効率よく吸収し、それをもってより早く霊性向上を目指そうという物です。

 そして類魂を組めるようになるには、ある程度の霊的な成熟さが必要になります。財物を共有するには誠実さが何よりも大切ですし、仲間の失敗に拘らない寛容さも大切になります。共に学ぶという観点からは、非難、中傷、イヤミをいうようでは仲間の資格がないといえます。失敗は最大の教師である以上、失敗を笑い、また、真偽の議論に拘れば、仲間の得た教訓・失敗を自分に生かす事が出来なくなるからです。

 このように、仲良く、そして互いに向上を目指す仲間こそが類魂と呼べるのです。類魂の場合には、内部に派閥が出来る事はありません。もちろん、興味の対象は一様ではありませんから、時々に分裂、結合を繰り返す物ですが、それでも自然と溶け合い、互いに違和感がないのが類魂なのです。なぜなら、真理は一つですし、目指す物は自身の向上ですから争う事も、志を分かつ必然性も無いからです。そこに過ちがあったとしても、志さえ正しければ、自然と道は正されます。

 群魂

 反対に、自己の主張ばかりで、相手に認められないとなると数を頼み、また、相手の誹謗中傷に走るような者が参加するグループは、類魂ではなく群魂と呼ばれます。

 群魂にとっての求心力は、真理の探究でも、自身の向上でもなく、群れる事であり、群れる事の快感の前には、真理の探究も向上心もありません。新しい境地を開く事よりも、重箱の隅を突つく事に終始し、意見の異なる者は攻撃し、賛同者にはおもねり、知識を実際に役立てるよりも人の攻撃に使うのです。

 また群魂に参加すると、霊性の向上は停滞します。仲間に寛容さが無いために、失敗を恐れ、自らの失敗を認める勇気を失い、その結果、向上に対する積極性を失うのです。

 つまり最大(最良ではない)の教師である失敗から学べなくなるのです。


地上生活に生かす類魂説

 

 類魂

……人の経験や知識を自分の経験や知識にする仲間。

 共に苦労を背負える相手がいるのなら、苦しくても不幸ではありません。まして力を合わせて解決すれば、喜びは倍以上ですよね。

 群魂

……たとえ苦しめあっても、寂しさから離れられない仲間。

 ささいな痛みでも、第三者に嘲笑われれば、とても不快で苦しい物になります。ささやかな心遣いの有無で、人は幸せにも不幸にもなります。人は一人では生きられません。たとえ苦しめあいながらでも、仲間を求めようとします。その苦しみの中で共に生きることの大切さと、そのために必要な心遣いを学んでいくのです。


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