交霊会の参加者
2006-04-14
参加者は観客ではない
能力者の説明に混じって、交霊会の説明を記載したのは、交霊会の参加者は単なる観客ではないからです。交霊会において大切なのは、なによりも参加者の動機で、必要なのは、動機の高尚性なのです。
霊界の叡智を引き降ろすのは真摯な探求心であり、真摯な心が集まるところには、必ず高度な霊界からの使者が同席しているものなのです。反対に、単なる興味本位や、欲心からの参加者がいると、低級霊を呼び寄せ、交霊会を危機に陥れかねません。
霊に対する暴力
もちろん疑問を抱く事は何の問題もありません。ただ、否定の為の否定や単なる感情論は、霊たちに居たたまれないほどの不快感を与えます。私たちの精神活動は肉体に閉じ込められていて忘れがちなのですが、肉体の無い霊たちにとって、暴力とはあからさまな感情をぶつける事なのです。
交霊会は、霊界の参加者があって始めて成立します。そして霊たちの寛容さにも限度があり、互いの立場をいたわれない者は、霊たちから危険人物とみなされて、今後の交際を拒絶されるのが普通です。また、交霊のマナーを守れない人は、その後の霊的な加護を拒絶される事もあります。
ですから交霊会は気のあった少人数のサークルが推奨されるのです。
また、忘れてはいけない事がもう一つあります。霊界・現界という表現は、肉体に囚われている人間たちの便宜上の分類であり、死者も生者もすべては魂であって、霊界に属しているのです。霊媒がいないスピリチュアル・サークルにも霊界からの使者は訪れ、逐一その言行は霊界の司令部に伝達され、そして霊界の真理の普及の足場として組み入れられているのです。
参加者が作る
交霊会の本来の趣旨は、霊界の代表者と、人間の参加者の双方が、霊媒の仲介の元に意志を通わせあう所にあります。結局の所、シルバーバーチの霊訓の成功は、霊界側の準備だけによる成功ではなく、交霊会の参加者全員の協力があって始めて成立するのです。
霊界が、どれほど素晴らしい話者を差し向けようと、受け手である参加者が低俗な会話、例えば、他人の批判や、個人の利益に関する話に終始すれば、会の話題も低俗な話に流れてしまいます。シルバーバーチの霊訓は、話し手であるシルバーバーチの言葉を集めたものであると同時に、数多くの参加者たちが、共に造り上げたものなのです。
以前、近藤千雄氏より、「シルバーバーチは交霊会の参加者を厳選した、そして、利益的な相談は断固として断った旨」をお聞きしましたが、そのような事柄こそ、霊訓集において、明確に記載する必要のある事なのです。このように素晴らしい霊訓をもたらした交霊会こそが、すべてのスピリチュアルな集まりの模範であり、越えるべき目標であるからです。
霊界が、このような素晴らしい話者を地上に降ろしてくれたのは、決して新たな「白亜の墓(すなわち成長を忘れた宗教)」を作り出すためでも、新たな伝説を生み出すためでもありません。スピリチュアリズムは、必要な神の言葉はすでに、2000年前に語り尽くされた(キリスト教)や、1500年前に語り尽くされた(イスラム教)とする、一部の宗教家の奢りを否定しています。
そして、三位一体説や処女懐胎等に拘る事を、それは真理と関係のない漫画であると断じています。スピリチュアリズムは、超常的な存在による救済を求めるのではなく、奇跡を求めるのでもありません。かつてはわれらと同じ人間であり、われらの人生の先達である高級霊たちのアドバイスを受けて、幸せを掴み、霊性を向上させていく道筋を示しているのです。
あなたにも親しい人と死別をした経験がある事でしょう。どうか考えてみてください。「生と死」を別ける淵は、いかに大きく深い事か。生から死へ移行するのは自然の営みですが、死の淵を越えて生者に語り掛けるのは容易ならざる事であるのは、皆様の多くが死者と話せない事で容易に察しが付く事でしょう。
そのような苦難を乗り越えて、素晴らしい言葉を地上にもたらしてくれた、シルバーバーチと霊媒バーバネル氏、その他背後霊団の大事業は賞賛に値すると思います。が、しかし……その努力は果たしてそれは、新たな白亜の墓を造り上げるためでしょうか。
言うまでもなく、その努力は、地上に霊的真理の受け皿を作りあげるための物であり、それゆえにスピリチュアル・サークルや数多くの霊能者たちを激励しているのです。
悲しいかな、人が集まればそこに世俗的な問題が必ず生じます。それは宗教や、スピリチュアルなサークル、ボランティア団体においても同様な事です。そのような問題が生じた時にどうか思い起こしてください。大切なのは動機です。動機を見失ってはいけないのです。