では、一戦交えるか? (補足&こっそり修正)

2010/07/17

(2010年6月26日)

 動かなかったPCが直って、あれやこれやと片付けをしていたとき、友人からメールが届いた。

『最近会社で厄介な問題に巻き込まれて、明日の朝に吊るし上げられるみたいです。そこで、明日の打ち合わせで、冷静に今回の問題で他の人が知らない都合の悪い事をいくつか暴露して、論破すべきではないかと考えています。』

 この友人、冷静に見える風貌の半面、結構、好戦的な言動もまま見られる。メールのタイトル(ブログのタイトルとは若干異なる)もまた、少々、攻撃的な表現であった。が、霊感の強い人にとって、敵意を向けられるのはそれだけで暴力を受けたに等しい。必然的に、勘が強いは、大抵、癇癪も強いもので、勘が強くて、しかも、おっとりしている人もいないではないが、それは奇跡に属すると私は思う。

(一見温厚、言動も穏便、しかも丁寧で、その実、強烈な個性の持ち主、を知ってはいるが、 それは旧家の躾が生み出したものらしい。いやはや、人の有り様というのは・・・)

 つまるところ、友人は私に助言を求めていても、その実、答えは知っているのであって、ただ、それが難しい選択であるが故に、同じ意見を聞いて安心したかったのであろうと思う。

 さもなくば、私の助言を聞いて、無視するか、反発するであろうから。素直な(つまり当人が気付いている場合)にはスムーズに霊査を得ることが出来る。反対に、当人が気付かない、というより、気付きたくなくて真実から目をそらそうとしている場合は、往々、霊たちも言葉に詰まる。・・・(ここ、結構重要)


 さて、私の返答は・・・(多少編集)

 いいんじゃないですか? 

「はあ、そうですか。スイマセン。」て、言っておけば。

 その結果がたとえ悪く見えても、あなたにとって本当に不都合とは限りませんし、あなたにとって良い結果に思えても、長い目で見て本当によかったかどうかは分かりません。(神のみぞ知ること)

 ところであなたは、この人が嫌、とか、得られた喧嘩は買う!、という趣旨で相手を見て・・・相手を色眼鏡で見ていませんか。

 こういう責任転嫁型の人に真実を突きつけても拗らせるだけですよ。結局、感情論から「窮鼠猫を噛む」とも、なりかねませんし。

『相手はおそらく不安なのだ、ならば、殴るよりも、相手が転ぶように仕向ける』とか、「私じゃ出来ませんから・・・」とおだてて、相手に危ない橋を渡らせるとか。やりようには色々あるはず。

 ともかく、このメールを見る限り、相手も悪いでしょうが、あなたにも『試練・暴力的正義感をなんとかせい』と、(守護霊もその必要性を同意した)試練を感じますよ。

 相手を論破するよりも、相手に勝手を言わせて・・・蛇足という言葉があります。蛇の絵を書いている人が、調子にのって足まで画いてしまった。だが足があったら蛇じゃない。つまり自らダメにしてしまうということ。・・・それによって、相手は蛇に足を画くかもしれません。または、あなたは売り言葉に買い言葉で、蛇足を画こうとしていませんか。

『外なる敵は勝ち易く、内なる敵は勝ち難し。』 と、言いますが、あなたは戦うべき敵を間違っていませんか?

 というか。バカの相手をすると、霊界も含めた周囲から、延々とバカの相手を任せられますし、そもそも(いわゆる)霊的波動の異なる人は論破できませんよ。なにしろ、感情論と論理じゃ、拳を握り締め(グーを作って)殴りかかろうとしている人にチョキを出して勝ったつもりでいるようなものです。人間関係において、勝ちを得ようとする人が往々、かえって不利に陥るのは勝利条件に設定ミスがあるからです。

(勝利条件の違い: 周囲や相手が、それを負けと見ていない。むしろ勝ちと思っている。)

 論破するのをやめろ、とは言いません。でも、勝利条件(成功条件)をよく見極めることです。自分にとっての勝利(往々、それは自己満足)ではなく、相手にとっての敗北となるように行動を選択することです。それにはまず、相手を知ることが必要となります。

 敵を知り、己を知れば百戦危うからず・・・これは勝利の方程式(これを「知れない(理解したくない)」人は多い。)ではなく、不敗の方程式であります。不敗の戦略の良さは、つまり、相手の自滅を促すことで勝利を得るところにあります。

 まあ、ぶっちゃけ、周囲が相手にしない人を、あなたひとりが相手にしても色々と面白く無いでしょう? 往々、正義感は、気をつけなければ自滅(蛇足)の道です。 まあ、悪の道もまた、自滅に繋がっているわけですが。

 正義よりも善であるように致しましょう。


補足1 (7月17日)

 その後、友人から後日談が届いた。かの相手は左遷が決まったとのこと。それを伝える友人の態度にいささか想うところがあって伝えたけれど、キチンと伝えられたかどうか。

 そしてまた、友人からさらなる後日談が届いた。

 要約すれば、相手の不正が露呈して左遷が取り止めになり、今は処分待ちだとのこと。

・・・・・・・

 別に終わったことにクドクドと説教臭いことを言いたいわけではないし、この友人を下に見て意見するつもりもない。まあ専門家、とまではいかなくても、それなりに事情通を自認しての意見ではあるが・・・

 我が友人を『直球勝負の剛腕』に喩えるなら、相手は『多彩な変化球を使い分けるマジシャン』です。性格は正反対ですが、性格が反対でも仲の良い人はいます。私が問題視しているのは、我が友人が、直球自慢というより、変化球を投げるのが苦手、な人であるのと、私の見る限り、問題の相手は変化球自慢というよりも、自分の直球に自信がない、むしろコンプレックスを抱いている、点なのです。

 内心、お互いにライバルであると認識していて、たとえ負けてもなおのこと相手に難癖をつけようとする関係と私には見えます。

 例えば水と油ならば、放っておけば分離するのに対して、この二人は同じ縄張りを争う関係です。それゆえに、相手の不幸を知らせる友人の言葉尻に、私は危険な匂いを嗅ぎ取るのです。

 つまり、友人の守護霊や、その上の産土神等が、この欠点を正す、または少なくとも減らすために、互いに切磋琢磨させられはしないか、と思うのです。

 故に、私が最初に、そう、これらの後日譚を知らされる前に送ったメールのサブジェクトは、「争うことの是非より、守られていることの自覚が大切。」としたのです。それは別段、明らかに悪い!、というニュアンスの結果ではありません。どちらかと言えば、キナ臭い、に近いのですが。

 ところで私は、変化球を使い分ける・・・というか、直球に自信のない人はよくよく注意すべきと思います。まあ、露骨にいえば、姑息な人、ということですが。

 まっすぐ生きることの意義はともかく(つまり、知ってはいるかも知れないが)、その価値を知らぬ(つまり軽んじ、疎かにする人は)、往々・・・おそらく大抵、カミソリの刃の上で踊るような人生を歩んできた人でしょうから。ギリギリの人生を自認している人だから、乱暴な生き方が出来るのでしょう。もしくは、ほんとうに大切にされたことがないのか・・・。

 欲の薄い子供時分に助けるならいざ知らず、一通り甘い汁を吸った事のある相手だと、無駄がある豊かさに憧れていて、ムダのない豊かさは生理的に拒絶されるところがあります。

 生まれ変わらないと直せない悪癖を身につけた人なら、周囲は見て見ぬふりしか出来ないものなのです。 あえていえば、ただ拗れ、形が変わっても被害が増えたりする・・・

強く想うな。

2010/07/15

 すっかり更新が止まっていたので、唐突に思われるかもしれないが、当サイトは心霊研究のサイトで、人生相談はついでの話である。が、良い人生が送れなくて、何の心霊研究か・・・。人生に活かせてこそ、生きている最中の心霊研究であろう。でなければ、あの世のことを学ぶのは死んでからで良い。

 ・・・というか、特殊な事例の霊界通信を丸飲みしたりはまだ良い方で、自分の妄想を真理と信じている人も少なくない。とはいえ、何分あの世のこと故、何を持って真実とするか、手がかりに乏しいとは大勢の信じるところである。

 まあ、欲さえかかなければ、それなりに腑に落ちるものだが、判る人は解る一方、判らない人にはとことん判らないところが難である。


 さて本題。

 死後の世界とは、想念の世界であるという。それはつまり、死後の自分の姿は思うがまま・・・若く見せることも自由自在であるという。服装なども同様である。むろん、家の壁なども通り抜け・・・あれ、床は踏み抜かないのか? そう。対象を動かすことは出来なくても、自分が対象と共に動くことは出来る。

 道具類も想念で作る。・・・道具がなくても困らないのが霊界であるが、絵画や彫刻、または建築は、自己表現の手段であって、困る困らないで価値は決まらぬから・・・

 話題をこの世に戻す。

 強く想えば、その想いは世の中に作用すると思っている人は少なくない。『努力すれば』、『頑張れば、』それでもダメなら、『もっと努力すれば』、『もっと頑張れば、』。

 でも、いくら強く想ったとしてもそれが一人の想いであればどうか。大多数の想いが集まってできる社会の中で、それがどれだけの力であるというのだろう?

 強く想う人は、あなただけじゃない。

まあ硬くて強い想念は建材には使えるかもしれない。

 さて、死後の世界とは想念の世界である。例えば光り放つ巨大な彫刻を作るにしても、材料集めや資金集めに走りまわる必要の世界である。・・・そういう世界であれば、価値有るのは、資材か、それとも美の宿るその造形か? どちらであろう。

 強い想いは二束三文。

 柔軟で巧みな想いこそ、人々から賞賛されるに値し、人々の助けを得てこそ、実現に向けての大きな力が生じる。

 強さは必ずしも価値ではなく、むしろ成長阻害要因。

 必要に応じて柔軟に振る舞える人が、一見弱く見えても、徐々に成長して実現に至ると、私は観ずる。

 だから私は「考えることをやめよ」、「思うことをやめよ」、なにより「無理強いはやめよ」と勧め、柔軟であることを美徳として、一歩見を引く人を称える。


 どうも、心霊に関心をもつ人には、その優しさ故か、自分の非を重大視する方が多いと感じる。  妙にコンプレックスが強くて、自分の欠点を常に探している。  他者に小さな傷を与えるよりも、自分の大怪我を選ぶような人が、である。

 その想いは巧みなものだろうか? 

 ・・・なぜ強く想うのか、考えもせず、ただひたすら想い続けていないか。子供の頃からずーっと。

 昔、子供の頃に見上げた街を、大人になってから再び訪れて、その小ささに驚くことがある。子供の頃に見る世界はすべてが大きくて、多くの物に手が届かない。でもそれは、今のあなたが小さくて届かないのではなく、その時分のあなたが小さかった、ということに気がついているだろうか?

 オテンバな女の子だって、年頃になれば慎みを身に付けるし、乱暴な男の子だって、大人になれば分を弁える。

 そうやって人は成長していくのに、往々、その想いだけは成長できずにいる人がいる。

 

 想念の世界なら、建材にでも使えそうな想念が、この世の中ではただの成長阻害要因である。

 

 

霊査事例: 2010年7月10日

2010/07/11

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 重荷を背負っていていると感じました。『オタオタしない!』・・・荷物を持ち上げるには姿勢が大切です。へっぴり腰ではケガをします。
  • 『下手な考え休むに似たり。・・・道は自ずと開く。待て。』・・・待てというのは、その間、遊んで良い、というのではありません。「イケ!」と言われる時のために、備えることが大切です。
  • 『技に深みが足りぬことに、気付いているか? 患者が思うことと、身体の状態は異なる。今のままなら、(治す人でなく)親切な人と思われて終わる。 』
  • 『門が開く前に出ようとするな。』・・・『見捨てていないが、つつしめ』・・・『己一人の世界でなし、良く間を見よ。』・・・周囲に合わせずには何事も変わりません。

事例2

  • 自業自得とは、自らの責を自ら負う、ということです。誰に後ろ指刺される必要もありません。』・・・後ろ指を指される、他人から批判されるべきは、自らの責を自らが負わない、責任から逃れている人です。
  • 『ピシッとする。・・・誰のものでもない己が人生。考えるべきは己がケジメ。』・・・他人への心配は、あなたの助けにはなりません。(おそらくあなたの現実逃避)
  • 『ダメな理由(うまくいかなかった)を自分に問うな。物事は己一人の努力にあらず。』・・・あなたひとりが反省しても世の中は変わりません。
  • 『人によりては、己の良いところだけを見て、人の良い所を見ない。己の悪いところばかり見て人の足りぬところを見ない人あり。身体を自然体に置いたように、物を見る目も自然体に。 』

事例3

  • 『気遣いとは、滅私して人(他者)を思うことなり。故に、己が疎かになるなり。時には己の身も思うように。』 (でも一般論として) 『とはいえ、思い患うがゆえに身を壊すのも人なり。 』
  • 『分を勤めれば自ずと道は開く。』・・・『敵は(己の)不安』
  • 『腰を入れ、腹を据える。仕事や家事や育児で子を背負うよりも大切だ。』 ・・・肉体的な姿勢も大切です。
  • 『不安なくても心配してみせろ』

事例4

  • 『かくなる上は覚悟を持って無心に事に当たる。難なし。』・・・難なし、と聞こえましたが、それにしてもあなたの身体はガチガチに凝っていますね?
  • 「◯◯をしなくちゃ」に頭が支配されています。『必要なこと、待てること、任せること。』 ・・・『あなたは色々知っているはずです。無駄に頭を使わない。』・・・・(効率よく)
  • 『ご無事に!』
  • お身体の状態がだいぶ良く成りましたね。意識することで自己治癒力は上がります。

事例5

  • 『一歩下がって、己が背を見る。(あなたは)頑張ってはいるが、大きさ(包容力)が足りない。包容力。強がる人とは、本当は何かに頼りたいのだ。 』
  • 『論理の勝ち負けより、人としての勝負を考える。負け惜しみの相手をしない。』
  • 『(それは)恋ではなくして、自分の気持が良いようにして、(すんなりといかないと)、自分が苦しまないようにする。あなたは自分が苦しんでいるつもりで、相手を苦しめていることに気付かない。』 ・・・上の二つの霊査をあなたは恋愛問題と受け取ったようですが、そういう狭い範囲の話ではありません。
  • 『反省するより冷静になる。まだ謝ることも出来る。 』

事例6

  • 『血が濃い』 (水分不足?)・・・心臓に負担になっているようです。 でもあなたは水分を摂り過ぎるとお腹をこわす人ですよね。
  • 『想いを鎮めて、成り行きに任かす。だが、歩みは止めない。』 ・・・あなたが、あなたの為すべきことに努力するのは良いことです。でも、人の気持ちはあなたの努力では変わりません。任せることは任せることです。
  • 『仏に頼らず』 ・・・良し。 肩の力が良い具合に抜けていますね。
  • 『野菜から水分を取るのは? きゅうり、大根、人参等をたくさん摂る。』

事例7

  • 『もっと、必要とされる自分を受け入れなさい。あなたがそれを苦手と思うのは、何が必要であるかを知らぬから。求められていることのすべてが必要ではありません。』・・・人々が願うことを叶える事が大切なのではありません。たとえ、その人が必要と思わなくても、大切なことを伝えることが、今の世の中に必要とされている仕事なのです。
  • (老人の声で)『腹は立たぬ(本来は)。立たぬ腹を無理に立てると、身体に悪い。』・・・お大事に。
  • (若い声で) 『放っておいても物事は、なるようになる。ならぬようにならぬ。だが、手をいなければ崩壊する。』
  • 『優しくあるというのは見事である。』
  • 『やさしくあるというのは美徳である。が、情に意識をあわせるな。理に溺れるな、あるがまま。』

7月度・静岡オフ会

2010/07/01
2010年7月7日
15:00
2010年7月17日 11:00to2010年7月18日 11:00

要約: 申込締切・7月7日

静岡オフ会・7月17日・18日。

7月度の静岡オフ会は、17日(土)・18日(日)を予定しております。

宿泊先の手配などの都合がありますので、申し込みは7月7日までにお願いします。

人数確定後に詳細な計画を立てますので、後日メーリングリストを立てます。申込者は原則として全員メーリングリストの参加者として扱わせていただきます。

申し込み、ご質問はメールホームをご利用下さい。

霊査事例: 2010年 6月19日

2010/06/20

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 『問う、とは、無心に、熱心に追い求めることにして、ただひたすら、目に見、耳に聞く、決して「思うこと」ではない。』
  • 『それは必然か、それとも情熱か?』・・・そのやる気は、必然的なものでしょうか。それとも一時の情熱、たとえば、自己顕示欲の表れ、ということはありませんよね。
  • 『逃げるな! 逃げると背中にスキができる。前に進んでこそ道は開くが、あなたは一体どちらを向いているのか?』・・・前に進むつもりで、実は下がってはいませんか。
  • 『絞り込みが足りない。自由だからとあれもこれも興味をひかれる。一心に行わずに開いた運にどれだけ価値があるかを考えない。』・・・安易に得たチャンスにどれだけ価値がありましょうか?

事例2

  • 『人の為に働くなら、人々のことを良く見る、己のために働くなら、居住まいを正して無心に行う。』・・・自分のやりたい事を追求するなら人の真似は行けませんし、人の目を気にするのもいけませんよね。
  • 『(今持っていらっしゃるあなたの夢は)当たり前でつまらない。もっと夢は大きく。』・・・霊たちの助けを得るには、「望画」つまり具体的にイメージすることが大切です。
  • 『他には出来ぬこと、自分にしか出来ぬことが沢山あるのに、それを置いて何を始めるの?』
  • 『「すばらしい」という、言葉の似合う人になって下さい。上手いとか、きれいであるとか、ではなく。そのために必要なは今までの自分を整理することです。あなたの人生に決して無駄はありませんよ。

事例3

  • 『思うようにならない事は沢山あって、人はそれを受け入れて前に進む。』
  • 『己に閉じこもらずに、「すべての中の自分」や「宇宙と自分」ぐらいいの気持ちで聞く。世界を見よう。』
  • 『生きていればこそ、様々な経験が出来た。成長すればこそ、手の届くこともある。・・・詰まらぬことで諦めるな。理想などとごまかすな。共に歩ける人と必ず出会える。』
  • 『己の人となり、自信を持って、胸をはって歩く。うつむいていてはチャンスも見逃す。』

事例4

  • 『歯車のように働く、働く。何も考えず、何も考えず。 考えぬことこそ、あなたの仕事。』・・・『逆に、「考えるべき時は、いつか」というのがあなたの課題です。』
  • 『力を出すのではなく、力を貯める。すると相手も相応じて、力が満ちる。』・・・くれぐれも、上から目線で、エネルギーを与えようとなどしないことです。
  • 『余計なことを考えるより、ありのままから学ぶ。いつもお前に囁きかけているのに。 』
  • 『ピンチはチャンス。そう思える人は勘の良い人、とらわれることの少ない人です。良く見る。広く見る。視野の狭さはその人物の人となりです。』

事例5

  • 思うようにならぬが、都合の良いこともある。自己都合で動くと思うようにならないこともある。意識と無意識の使い分けをもっと学ぶ。無心に、無心に。』・・・例えば、忙しければ、それを口実に断ることも出来ます。一見不幸に見える事態も、時として最悪の中の最善の選択ということもあるのです。
  • 『説教しない。見方が変われば、意見も違い、価値観が違えば求める結果も異なる。』・・・人の助言などというのは、毛曲その人なりの利害や価値観と関わることなのです。
  • 一部割愛・・・『子供に振り回された頭であれこれ悩むな。』
  • 『逃げれば背中にスキができる。不足はチャンス。』

事例6

  • 大小の刀を指した武家の方が 『寝るな! 無心とは休むことに非ず!』・・・精神統一中は油断禁物です。
  • 『(精神統一の姿勢は)よし。強弱、緩急、自由自在。つまり自信。』・・・異なる意見の相手を受け入れるということは、自信なくして出来ません。
  • 『安易に(人に)任すな、意見をいえ。どうでも良くはないのだ。』
  • 『需要を正しく認識してこそ、あなたの研究に深みが出来ます。

チャンスを求めるなら

2010/06/14

 近郊の山寺の手水舎前にて、とある霊から声を掛けられる。

 以前も私に掛かったことがある霊で、手水舎の番係の霊。まあぶっちゃけ、あまり位の高い霊ではない。以前、私に掛かったときには、

『ここ(手水)は、手・口を洗うところじゃなくて、心を洗うところだよ。』・・・と、まあ、無駄とは言わないけれど、あまり面白くもないメッセージをくれた霊だ。

 どうやらその後、伝えんとすることを研鑽していたらしく、にっこり微笑んで・・・まあ、あえて描写をするとまるで神々しさの無い、ごっつくて、デコボコした顔立ちの、いわゆる天狗霊で、微笑まれても、凄まれてもあまり大差ない感のある霊である。いや別に、低級霊であるとか、不細工だから悪い霊だとかいうつもりはない。相手が見せようとする姿と、その心根とは別問題という・・・つまり、肉体を持っていた頃の姿で相手の心境を思ってはいけない、といういささか脇道的な話題である。

 で、本題のメッセージに戻ろう。

『願い事は結構。霊場とはそういう場所です。多くの参拝者にも過ちは見受けられません。なるほど罪悪感を重荷としている人は少なくありません。でも、人は迷うものですし、神仏は救いの手を差し伸べるのです。多少の罪悪感は、社寺で恥じるべきものではありません。

『しかし問題なのは別な人の事です。欲に駆られ、自尊心を抑えず、頼るのではなく自らの運命さえ支配しようと目論む、我の強い人々。傲慢な人々。

『でも、実のところ、傲慢さは罪ではありません。むしろ、傲慢さこそが人を強くする秘訣であります。ある程度の傲慢さを持たなければ、人は無駄に迷い、己の力を発揮しきれずに終わるでしょう。

『時として人は傲慢たれ、だが、時として人は謙虚であれ。・・・だが、神仏の前で、なぜ虚勢を張るのでしょう? 

『強がらなければ、折れそうな心の持ち主たち。

『私はただの手水番です。世間でいうところのトイレの掃除係に過ぎません。でも、手水の前を通る人々を見ていて思うのです。・・・自分の手ぐらい、もう少し丁寧に洗えば良さそうなものを・・・心を清められないなら、せめて手を丁寧に清めれば良さそうなものを。と。 そそくさと手に水をかけ、口をすすいで行き過ぎる人々。・・・いえ、決して多くの人がそうだというのではありません。ただ、救いを求めている人ほど、そそくさと手水を済ませ、または、手水を略して神前・仏前に出るのです。

『お説教臭いことを言いたいのではありません、また、かつてお説教臭くいことを言ったのなら私も反省しています。言い回しが古臭かったことも不味かったではありましょう。ただ・・・

『神仏は偉大ですし、我らが諸先輩たる霊たちも懸命に働いているのです。皆様が真摯に祈るなら、それは必ず助けを得ましょう。(結果は伴わなくても意義はありましょう。とも私には聞こえた。) それゆえに思うのです。

『悩める人々よ、なにゆえ、己の思いばかりを強く念じて、己の過ちを振り返らぬのでしょう?

『せめて、聖地では己が我を抑えて、静かに頭を下げ、改めるべきは改めましょう。今までと違う生き方から、新たなチャンスが開けていくはずです。その為にはまず、手と口を清める時から、無駄な力みを水とともに流して、そう、水に流して神仏の前にい出ることです。

『新たな道に眼を向ける事、今の道とは違う道を求めるなら、まずは、今までの自分を心中の奥にしまうことが大切です。今を改めずにどのような未来があるのか、それを悩むから神仏の戸を叩くのですから。


 以下は私語、

『つまりは、手水舎で見れば、その人の行く末が解る・・・』、と、かの霊と私は互いに目を見てニヤリと笑う。

 つまるところ、本殿にたどり着ける・・・心境的に・・・人は、限られているということ。

7月度: 東京オフ会

2010/06/10
2010年7月10日
09:30to12:00

2010年7月度:

・東京オフ会:  日程は7月10日(土)午前です。参加ご希望の方はフォームメール等でお申込み下さい。

霊査事例: 2010年5月29日

2010/05/29

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

・新しいプロジェクトに取り組んでいる姿が見えます。『やりなさい。』とのこと。足をひっぱる人も小さく見えますが気にしなくて良いでしょう。

事例2

・『「なるようになる、ならぬようにならぬ」とは覚悟をいうのです。人の行く道はすでに決まっています。泣き言は言わぬこと。』・・・ご当人からは質問がありませんでしたが(笑)、どういう道を行かされるのでしょう?

・『何を為すか、よりも、何を期待されているのか。が大切です。』

事例3

・空っぽで座っていらっしゃいます。『大地のエネルギーと共にあれ、というぐらいの気概を持ちましょう。』・・・失敗なさったとか、『頭で考えるから分からなくなる。手に任せておけ。』・・・身につけるとは、頭で考えなくても身体が自然に動くようになることです。

事例4

・(霊視を伴いましたが割愛) 『良縁はあれど、絆が細くて手繰り寄せられない。』・・・考え事の多いあなたは、眼前にチャンスが有っても気付かずにいる恐れがあります。物事は軽視せず、つまらなく思えることでも、じっくり見分けることです。ところでこの霊査ですが、私が帰宅後、改めて思うに、「あなた(方?)にその気がなくても、大切なご縁(将来に価値が出てくる関係)なんだよ。」という意味と感じられたのですが・・・

事例5

・『需要と供給。もしもその町でやって行くなら、その町の需要を良く考え、自分のやりたい事を優先するなら、別な町を選ぶことです。』・・・だめだ、というのではなく、「どうせなら」「がっかり」と思われたようです。もうひとつ。

・やはりまだ、人材不足が見えます。その解消のために多少赤字でも大都市に出店するのも手かもしれません。


アクセル全開?!

2010/05/22

 これは私が直接受けた相談ではなく、行きがかりで耳にした話題。その経緯はそれなりに面白いかもしれないが・・・本題とは無関係である。強いて言えば、どうも関係者全員の守護霊等はこの時を有効活用したのだろう、という話で、いずれ機会があれば。もしくは、暇があれば。

・・・・・・・

 旅先に同行していた友人が、そのまた友人から久しぶりに電話を受けた。なにやらかなり深刻な話、というより、深刻な状況らしい。

 家を出る、の、死にたい、等といった言葉が聞こえてくる。が、知る人ぞ知る、私はそういう話題というより、そういう言葉を乱発する人には無関心である。はっきり言って私には不向きな話題であって、もとより私宛の相談ではないし、返事をする話題ではない。

・・・・・・・・

四路五動

 ところで、このメンバーには大分以前に、『四路五動』という話をしたことがある。これは私の造語ではなく、つまりは受け売りであり、当サイトでも何度か話題に上げている言葉である。(ただし、引越し途中の現時点ではデータが上げてないかも) これは兵法で、軍が行く道(路)は、前後左右にあり、軍の動きには前進後進左折右折の四動に加えて、不動・・・動かぬ、または、待機や待ち伏せ、という選択肢がある、というものだ。

 ところがこの、不動という選択肢は、わかる人にはわかる一方、わからない人にはトコトンわからない。いつもジタバタして、拗らせつくして泣き寝入りか、他人に丸投げして自分は耳目を塞いで、そんなことは無かったと自分を信じ込ませている。

 というか、この問題は、当事者のみのものというより、一種の躾に属して先祖伝来のものらしく、当たり前に思っていて直そうとしないし、問題に気づいてもとかく変えられない。変えようにも周囲がみな邪魔をして変える事が出来ない。

 変えることが出来ない・・・といえば、それこそ不動であるはずが、動かないのは結果だけで、当事者・関係者はとにかくあくせく色々努力して、結果が変わらないのであれば、それは無駄な努力と呼ばれそうなものなのに、無駄な努力と認識する以前に、その努力を「苦しみ」と受け止めるから、辛い・死にたい、と始まる。

本末転倒

 まあ、そりゃ人間いつかは死に至って、その事実には逃げ道が無い。であるから、「死にたい」というのはおそらく是非を論ずる余地なき話題であろう、と、(人々には色々反論もあろうが)私は思う。ただ・・・『死』が避けられぬ話題であろうが、果たして今すべき話題であろうか、とも思う。

 つまり、途中・過程を省みることなく、一足先に最終問題に飛びついて、本当に正しい答えが得られるの? と思うのである。

 噛み砕けば、人が死を免れぬとしても、人は果たして死ぬために生きているか、それとも生きていれば死が避けられぬのか、どちらだろう?

 物理的・客観的に死の瞬間を迎えようとしているならまだしも、五体満足のうちから生きることを諦めるというのは何ゆえか。過程を跳び越して結果に至るのは果たして正しい思索の結果といえようか? それは飛躍と呼ぶべきであろう。その様な思考の飛躍をする人を指して、周囲の人々が気・・・狂い・・・と呼ぶにせよ。

それこそが結論か?

 私は思うのだ。本来至るべき結論とはかけ離れたことを考えていないかと。つまり、最初に飛躍があるなら、着地点がずれるのも仕方が無いのでは? と思うのである。

 たとえば・・・本当に死にたいのか、それとも今の状況(?)を終わらせたいのか、真の悩みは果たしてどちらであろう?

 どうも、そのような人の思想、というか発想には『止まる』という選択肢が見当たらない。 ダメでもともとで何かにチャレンジするとか、いっそ諦めて死んでしまおうとか・・・時期が訪れるまで待つという考えが見えないし、「待て」、「落ち着け」という助言を無視するどころか、腹を立てている。いわば『四路四動』であって、選択肢が無いという思い込みゆえに正しい発想、いわば、ジタバタしない、という選択が出来ないのでは、と思うのだ。

「動かぬ」、という答えに至れないのは、決して頭が悪いからでなく、あえて言えば、その自我を育ててくれた周囲の親族等を疑うことなき素直さの持ち主ゆえであろうと・・・いや、私も、『この世界には愛が足りない』とは思っているが、その一方で、この世界は愛ゆえに拗れてはいないだろうか?・・・どうしても巧くいかないなら、不足しているのは努力や工夫であるのか、反省か、どちらであろう? もしくは、壁にぶつかっているのは、押しが足りないからか、道を選び間違えたのか、どちらであろう? さらには、そういう相談を受けるあなたもまた、生き方に焦っていないか。と。

不動の覚悟。

 放っておけば結果が変わらぬ、どちらか、または双方が動かなければ結果は変わらぬ。

 さてどちらが動くべきか。さて、もしも自分が動かぬ結果に焦れて、相手が動き出したなら・・・相手がこちらの都合に合わせて動いたなら、それはつまり、動かぬことで相手を支配したということではないか。

 動かぬことで相手を支配する術があるというのに、そもそも、人はなぜ動くのか? なんのために待たず、動き・・・いや、なぜジタバタするのか?

 多くの人が、敵や状況を支配することよりも、ただ、ジタバタすること、つまりは状況に支配されること、を選ぶ。

 無思慮で安易な選択である。 往々、その結果に苦しい思いをすることに気づきながらもその生き方を変えない。

 まるで石がただ転がり続けるような生き方である。そういう生き方をしているなら、その人の未来も予測しやすくもあろう。

 

たとえば、「声が聞こえて苦しい」という。

 ジタバタ、といえば・・・なにやら「(人も無いのに)声が聞こえて苦しい」という悩みを良く聞く。端的にいえば聞かなければ良いのである。が、それが出来ない。出来ないから悩んでいるのである。

 しかし、たとえば雨風の音や潮騒、川の流れの音、虫や蛙の鳴き声が煩くても、多くの人は寝る。音が煩くて眠れない人もいるが、果たして周囲に音があふれている人だけが、気になって眠れないのだろうか? 眠れる人と、眠れない人との差は果たして外にあるのか、内(自分の心)にあるのか。

 声が聞こえて煩い、というのは、果たして語りかける人(?)に責任があるのか、それとも耳を塞げない自分に問題があるのかどちらだろう?

 自分の状況が、そのどちらであるか。わかる人はわかる。わからぬ人にはわからない。では、なぜわからないのか?

 おそらくは、ジタバタしているからだ。つまりは、自分を思うようにコントロール出来ずにいるからだ。では、なぜ自分をコントロールできないのだろう?

 

稼ぐより損を避けよ

2010/05/17

『稼ぐよりも損を避けよ』と聞こえた。まあ、いつもの話題である。一見、消極的な話題ではあるが、趣旨は少し違う。(というか、本文は霊査ではなく解説に尽きる)

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」というわけで、時として冒険も必要ではあろう。が、自分の失敗を隠すために大騒ぎしたあげくに損失を拡げ、後で泣きつくな、というのである。

そういう失敗を繰り返す人に対して、「問題解決力を求めるよりも、失敗を避ける工夫(というより冷静さ)が大切である。」ともいうのだが・・・まあ、俗に「救いようの無い◯◯」とか。または、「神も仏もない」とか。

・・・・・・・

「そういうこと(常識論)は百も承知、私は尻拭いが欲しいのではなく、前に進む方法を知りたいのだ。」という人もいる。

 私はそういう人に対して、相反する二つの想いを抱く。

 1、そういうあなたは穴だらけ。・・・どう指摘すれば角が立たないかな。

 2、でも、前に進まなきゃ、自分の欠点が自分で見えるようにならないよな。

・・・・・・・

 人は無力な赤子の姿で生まれ出て・・・という、抹香臭い話は棚に上げる。 たとえば、自動車の免許制度を考えてみよう。日本の現行制度は、完璧な運転技能・知識の持ち主にのみ免許が交付されるわけではない。最低限とされる知識と技能(とその他)の持ち主に交付されているのだ。つまり、運転しながら上達していくことも織り込んだ上で免許が交付されているのである。

 なお、こういう説教臭いことを中継する霊媒ですら、未熟を克服するのに天与の才能だけでなく、努力・精進が求められている。結局、未熟であろうと前に進まずにはいられぬではないか。

 そう思っていると、霊感に『別な相反する二つの視点』が示される。

 1、往々、チャンスを与えたくても、無い袖は振れない。(環境に不足がある)

 2、不適当なことばかり選り好みする者が・・・

  つまるところ、文句を言われてもどうにもならない事情(もしくは文句を言うからどうにもならない事情)がある。ならば、文句を言っても拗れるばかりということだ。

・・・・・・・

 整理する。

 どうにもならなくて、前に進めない(修行ができない、境遇がよくならない)時に、文句を言っても良いことはない。むしろそういう時には、『稼ぐ(前に進む、向上する)より、損(挫折、堕落、脱線、迷子)を避けよ。』というのだ。

 というか、うるさい。黙ってろ。

 ・・・これは意見というより、道理だから。

 

 

お知らせBy老神いさお。

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 動かなかったのは湿気のせいか、RAMを抜き差ししたら無事に再起動しました。

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 7月度の東京オフ会は7月10日(土)
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