心霊体の食い違い

2010/03/06

還元水

 私事、母が脳梗塞で入院中である。幸い倒れる前に病院に行くことが出来て、症状は軽く、いまでは上げ膳据え膳の病院生活を楽しんでいる節さえある(私は振り回されて大変であるが)。どうも神様は、私になかなか楽な道を歩ませてくれないが、最悪な事態だけはギリギリ避けてくださっているようだ。 ……まあそれも、実は長く苦しめるためにやっていることではないか、と疑心暗鬼になりそうなレベルで、であるが、状況に振り回されて自分の霊格を貶めぬことが大切なのは常に自戒するところである。

・・・・・・・

 さて、もう少し説明する。

 事情により一人暮らししている母が、朝起きたとき腰が立たない、と感じて知人の整体師を呼んだ。が、母のろれつの回っていないのを見た整体師が、気がついて病院に連れていってくれたとのこと。

 ありがたい話である。……人によっては「私が治してやる!!」と意気込んだ挙句に、症状を拗らせたり、手遅れにさせたりという話を聞くだけに、良識的な対応をしてくれたこの整体師に感謝せずにはいられない。……が。

 田舎から出てきた伯母とともに見舞いに行ったとき、たまたま、この整体師も見舞いに来てくれた。そしてペットボトルに詰めた「還元水(水素水?)」を母に勧め、おそらくは伯母たちに聞かせたかったのであろうが……

「血液がサラサラになるからいっぱい飲みなさい、血栓がみるみる溶けて行くんだから。」という。 ヘェーっと感心して、なんだか伯母もその気になっている。

『……でもその水、あなたに勧められて、母は脳梗塞で入院する前から毎日飲んでいたんですが。』とは、我が心の声である。

・・・・・・・

 別にこの整体師が悪意の所有者であるとか、母を騙そうとしているなどとは思わないが、健康機器の販売会社に騙されているのでは……と思いつつ、でもそれを指摘するのは慎重でなくては、と自分を戒めている。

 なにしろ、生活の糧を得る根幹部分であろうから。

癒しの原因は?

 まあ、私は整体などにかからぬから、これまた母を通じて得た体験であるが、ある評判の整体師が、より良い治療を目指して機械をいろいろ導入したところ、客(患者)が減ったとか……これまた当の整体家にはなかなか言えない事ではあるが、果たして、今までの治療器具・治療法に効果があって客の評判が良かったのか、それとも、誰かに心配されること、誰かに思われること、もしくは実際に手でカラダに触れて、いたわられることが嬉しくて、健康(というより元気)を取り戻していったのか……つまり機械が良かったのか、人(整体師)が良かったのか、果たしてどちらであろうか?  

…… うちの母の場合、料金が高くて通い切れなくなったらしいが。

 え? 整体師ばかりが悪いのかって? そりゃそうだ、だいたい心霊相談だって、愚痴の聞き役がいるから悩みが解決した、という面が少なくないのも確か。それじゃちっとも心霊研究の役に立たないわけで……

健康機器

 何人もの整体師と知り合いになるぐらいだから、母も所得相応(おそらくは所得以上)に健康機器や健康食品に関心を示すが、果たしてその効果の程は、還元水の話題だけでも知れようものだ。まあ、その散財のおかげで今もまあ、なんとかほどほどに……つまりは寝たきりにならない程度に元気にいられるのかもしれないが。

 とはいえ、私が忙しくて顔も出せないような時程、IP電話と契約したりと、事件を起こすのだけは本当に困る。まるで、子どもが親の気を引くためにグズるのに似ている。自覚が無いだけに治る見込みも無い。そういえば、良く同じ時期に揉め事を起こす相談者もいたっけ。

 ところで母の入院直後、師匠の出迎えに姉弟子等と集まったのだが、母より年下の参加者は私だけなのに、みな元気なんだよね。さすがにほとんど皆、食が細くなって、せっかくの「うな重」を大半の人が残していたけれど。 ……まあ、時代はエコだし、仮に地球温暖化がデマであっても、異常気象と人口増大で食糧難が起こりそうなのは確かだし。……適応?

 まあ、血統よりも霊統の方が親しみを感じてしまうのは決して家庭環境だけの問題ではないと思うが。……これ、重大な話題だけど関心を持つ人がどれだけいるだろう?

 

 下世話な追記

 読み返して表現に難があったのを直したついでに、少々下世話な追記を行う。

 昨年冬の大阪オフ会でも話題になったが、Twitter の人気でも判るとおり、人々は誰かに繋がっていないのだろうと思う。

 繋がっていたい……露骨にいえば「寂しい」ともいえようが……それは決して子どもっぽい感情でも恥ずかしいものでもないはずで、そもそも、人の目を気にするからこそ、人はなおのこと善良に生きようとするのと同様、他者の視点を気にしないというのは立派というより、むしろその人がいかなる道徳性を身につけているのか、気になるところである。……寂しくないと言いながらも、支配欲が強い人のなんと多いことか。

 実のところ、「寂しい」と素直に言える人の方が、姑息なことをしない分だけ、まだ、救われていると思える。

 それゆえに、老いれば人は尚の事、人との繋がりに大きな価値を見いだすように私には見える。

 若い頃には、世話を焼かれることが迷惑に感じて、反抗したりもするのに。……でも、寂しいと素直に言えない人が……もしくは、寂しいというべき相手のいない人は、 一体その思いをどこに向けるのだろう?

 医師や看護師……いたわってくれる相手に老人が群がるのは、若者(?)が、Twitterや携帯サイトに群がるのとどう違うのだろう?

 繰り返すが、寂しいと思うのは恥ずかしいことではなく、むしろ当たり前のことだ、と私も思う。だが、その表現方法、寂しさを癒す方法の中には、いささか恥ずかしい、いや、それどころか極めて悪しき方法があると私は思う。

 とはいえ、問題は、善し悪しではない。……あなたは良い家族、良い友人を持っているか? それこそが大切だと思う。残念ながら家族は選べないが、友人は選ばねばならぬのである。あなたは良い友人を持っているか?……あなたが良いと思う友人の有無をいうのではない。あなたの運命を好転させる友人を持っているのか、というのである。

 

 

3月度: 東京オフ会

2010/03/04
2010年3月20日
09:30to12:00

2010年3月度: 東京オフ会は3月20日の午前中に行います。

参加ご希望の方は E-Mail または フォームメールからお申込み下さい。

カルマ・頑張ってもダメなら!?

2010/02/28

2010年 2月 27日


 入浴中に女性の霊から話しかけられた。興味深いが、概要を聞いているうちに心配になってきた。話を曲解する人が出ないか? ……この通信霊に相談したところ、「半年ほど寝かせておけば」というので、忘れても困るし、とりあえずパスワード保護をして公開することとした。

 とはいえ、勿体振るほどの内容でもない。俗に言う、口伝に属する話題である。

 つまり、当たり前な内容であるのに、気がつかない人は気がつかず、気付く準備の出来ている人にのみ有益な内容なのである。 そして下書き後に気がついた。もとより読み手を選ぶ内容であるから、別に隠すほどの話ではない。というわけで、一時パスワード保護をしたが、一般公開に変更した。


 とても叶えたい願いがあるのに、頑張っても上手くいかない。 ……だからもっと頑張る。

 さらに頑張って上手く行くならそれで良し。だが上手くいかなければ? ……さらに頑張る?

 まあ、口先ばかりの横着者ならば、そういう選択もある。 だが、物事には程々(ほどほど)が有る。のんびりしても、また、焦っても上手くいかないことは決して少なくない。

 さて、果たして努力が足りなかったのか。それとも急ぎすぎたのか。または、焦りすぎたのか。 つまりは、1、もっと頑張るべきか、 2、少し落ち着くべきか……さて、どちらだろう?

  この二つの見極めがとても大切なのは言うまでもない。なにしろ、同じ目標に正反対の二つの選択肢が有るのだから。 だが念のため。

 私は上に例題を掲げたのではなく、ただ単に選択肢の存在を示したのみである。つまり、状況に応じて努力の程度、速度を調節している人であるなら、わざわざ指摘するまでもない話であり、それを例題として受け止め、どちらだろう、等と考えた人であれば、上述の二つの選択、つまり、頑張るか、落ち着くか、という話以前に心に止めて置くべき話がある。……その話こそが本題だ。

   もっと頑張るべき……のんびり屋も

   落ち着くべき……焦り屋も 共に気付くべきことが有る。

あなたは、理・知以外の何に振り回されて ……いるのか?

 さらにいえば、願いの成就に最適な方法を取れないあなたは……果たして何のために努力しているのだろう?

 苦しまない生き方が有るとしても、苦しむ人は苦しむ。結局、自分で選んでいるのである。

「イヤ、私は苦しむつもりなどない!!」と、あえて言う人もいるだろうが、知る人ぞ知る……私が問題として指摘しているのは、「苦しまないようにしようと努力して、でも、苦しむのは何故か?」という、いつもの話題なのである。

最もいつもの通り、結論は出さないが。

 私がここに結論的な意見を書き留めなくても、気付く人は直して不幸を退け、気づかぬ人は私が結論づけても気付くことはない。

 その差は実に、自分の努力で答えを見つけるか、他者の努力、ひいては実力以上の答えを求めるかの違いなのだが……自分の器量・実力を知っているものなら、誤るはずのない選択……端的にいえば、世の中には、得られるはずのないものを追いかける定めの人がいると言うことでもある。 すると、気づいた人には夢との決別が必要であり、気づかぬ人には、さらなる苦しみが未来、いや気づかぬだけで足下にすでに危機があるのだろう。


 

 

 

 嫌味のようで申し訳ないが……もう少し付け加える。 いわゆる苦しみには、(成功に至る道の)過程の苦しみと、(至らぬさ故の)結果としての苦しみがある。……あなたの苦しみは、そのどちらであろう?

 言うまでもなく、過程の苦しみはいずれ報われ、結果としての苦しみは、改めることなければ消えることのなく、地獄の亡者の苦しみと同種のもので、死後も苦しみが続く。

 あなたは何のために苦しむのか……正しい努力の結果として幸せを得るためか、はたまた、姑息・あくどい手段で幸せをつかみそこねるためか?


 まあ、悩むのも青春の内か?

境涯の差。(死後の世界)

2010/02/21

 死後の世界は、階層を成している、という。その階層というのはつまり、性質の異なるものが混じり合うことなく別々に存在する……特に注意すべきはそれら異なる性質の者が主として上下に別れて、上から降りることは容易でも、下から上がるのが難しい、すなわち、混じり合いにくい環境なのである。

 上下関係があり、混じり合いにくいといっても、それは封建制度中の身分の違いや、インドのカースト制度のようなものを想像するとかえって混乱するとおもう。現代日本で喩えるなら、週末に秋葉原のホビーショップ(?)に行きたがる人や渋谷・原宿のファッションショップ(?)に行きたがる人などがいて、それを尻目に、家庭菜園に勤しむ人がいる……それぞれが、人生の余暇を何に費やすか、という関心が違って、それゆえに混じり合わない。

 では、どうして上下の差が出来るか、といえば、それを心霊では「霊格の差」、とか、「境涯の違い」と呼ぶわけだが、わかりやすく、というか、数値化しやすい表現でいえば「共存共栄の配慮の多少」の差で決まる。つまり自分の事のみに関心を持っている人は、環境を利用しきれず、対して広く他を配慮する人はより大きく環境(賛同者を得て)を利用して大事を成すのだ。……しかしながら、いくら上辺だけ「皆のため!」と言ったところで裏や下心があれば、協力者が集まらず(一方、同病が集まって身動きできなくなるかもしれない。)、身動きがとれない、というのに似ている。

 それは、善し悪しの差、というより……(いわゆる高級霊にしてみれば、いわゆる低級霊と十把一絡げに評価されることを喜びはしないが。)……それぞれの目的に対する気持ちの純粋さの差、そう、実は案外その資格の差は小さく、その結果の差は大きい。……ようだ。

 それこそ、大悪党ですら誰かのために真剣に祈ることもあり、世から崇敬を受ける善人ですら、我慢できずに誰かを恨むこともある……というのと同様に。

 結局、救いようのない人がいる、というより、救いようのない考えがあるのであって、その差は時々、大きな違いがあるけれど、大抵の場合はほとんど差がない……故に、時々は考えを省みて、一時の考えに己を貶めないように気配るようだ、とおもう。が、善を貫くには信念が必要で、信念は往々、頑固さに似るように、良く生きながら柔軟であるのは難しく、それゆえ、正しく生きようとする人でさえ、苦悩が避けがたい。

霊査事例: 静岡オフ会(2010年2月13・14日)

2010/02/15

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


2月13日

事例1

  • 『早もう刻の開ける時。急がず、立ち止まらず、前に進む。思いは必ず形になる。』……最初のフレーズは私には意味が良くわかりませんが。まあ順調ということでしょうか。

 

事例2

  • 『・・・その思い無駄にせず。修行を進めよ。』……例えば霊査で「良い」と出たとしても、じつは試行錯誤をしていることを指して、良い、と言われているのかもしれません。でも、それが人が歩むべき必然の道なのでしょう。

2月13日

事例1

  • 他人の子をあやしている姿を指して……『求められているのは、まあ、そういう仕事だ。』……べつに難しいことを要求されているのではないのですね。

事例2

  • 『自分という、一山の主(たれ)』

事例3

  • 『良く生きることを楽しみなさい。その中に修行があります。』……修行というと、苦しいことをすることのように誤解されがちです。でも、目的とするのは善良に生き、悪事は働かぬこと。そうであれば、苦行など不要のはずです。
  • 営業に行く際には……『意気込みすぎです。深呼吸してから顧客を訪ねましょう。』

事例4

  • 『目的を誤らぬことです。過ぎれば必ず我が身に返ります。』……大変であるとか、簡単であるとかで物事を判断しないように。結果として苦労するのでは決して近道とはいえません。

事例5

  • 『せめて顔はおだやかに。』……子育てが大変なのはわかりますが。

Q 「精神統一行の良さとは何か?」

A 『心の落ち着きなかりせば、その味わいはわからず。飢えたるものが好みしものを(普通の)人はもとめず。……くどい。』

保護中: (参加者予定者Only) 4月度・大阪オフ会

2010/02/15
2010年4月11日
13:00to16:00

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保護中: (参加者Only) 静岡オフ会の反省

2010/02/14

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4月度:大阪オフ会

2010/02/10

大阪オフ会は、4月11日(日)午後に開催いたします。参加ご希望の方は、メール、フォームメールなどでお申し込み下さい。おって詳細をご連絡いたします。

霊査事例: 2010年2月6日

2010/02/07

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


霊査事例1 

  • 『梅花は散りて果を残す。人も死を恐れずに結果の残せないことを恐れなさい。』
  • (比喩ですが)『お腹の掃除、汚物を出し切るまでは格好をつけても仕方がない。』……心の汚物、といっても別段、あなたが悪い考えの持ち主、という意味ではありません。でも、世の中必ずしも綺麗事ばかりではありませんし、作用反作用で必然的に汚れをもらうこともあります。さらに深い意味があるのですが、それは後日。
  • あなたの守護霊様が、『華梅』 と名乗られました。前世の名前というのではなく、あなたとの間で使うための名前とのことです。
  • 『一輪の花、一本の(線)香、正座し自分と向き合う。嫌いな人は自分の弱点の象徴です。』
  • 『腹で考え、腹を鍛え、腹を括る。(腹は)肝心要、まよったら自分の腹に聞け。』……あなたの精神統一のコツですね。

霊査事例2

  • 『一意専念に神宿る』……仕事を始める前に、まず、神仏に祈ることです。自分の力だけを頼みにするのではなく、神仏と力をあわせて仕事をするのです。
  • 『(人の苦しみを自分の)体重で受け止めないで、気持ちで受け止めることです。』……人の悩みを聞いている人の体重が増えて行くのはワリと良く聞く話ですが、「気持ちで受け止める」というのはなかなか解釈が難しい話で、むしろ逆に考えるとわかりやすいでしょう。同情心で人の悩みを聞くことが、自分のストレスになるのだとしたら、その気持には何処か無理があるということです。受け止め損なっているのですね。
  • 『結構です』……よい統一をなさっています。
  • 『素直に上手に生きよ。』……あなたは本来素直な人だと思いますが、それが裏目に出て気持ちが萎縮しているのだと感じます。上手に生きましょう。
  • 『知らぬことを学ぶのではなく、知っていることを思い出すために学ぶ。内から出るものは強い。』……特別な教えなどないのです。あるのは当たり前のことを当たり前に出来る実践力。覚えようという圧力に負けぬことです。

霊査事例3

  • 『頭に上る』……エネルギーが頭に上る、とはつまり、雑念・妄想が激しくなるの意味です。
  • 『目標を見失っていらっしゃいます。(挫折する前に)早めに行動することです。』……回るコマは立っているのに、止まったコマは転がる。雑念が湧きやすいのは目標を持たぬからです。
  • 『自信のなさがすべての原因。』……無駄な自己反省が多くありませんか?
  • 『よし行け、大丈夫。』……覚悟を決めて進むことです。後はついてきます。

霊査事例4

  • 『思えば当てが外れる、ただ専心専念、眼前のことを行う。』……こうしろ、というよりも現状追認ですね。
  • 『考えてどうにかなる問題じゃないし……』
  • 『稲を育てるのは大変であるが、実りは多い。楽しめ。』……子育てのことですね。いろいろと不自由はありましょうが、長い目で考えましょう。

霊査事例5

  • お気づきでしょうが……『流されながらも結果は出しています。ただ、それは貯金(ゆとり)に乏しいということです。』
  • 塩分を取りすぎではありませんか。ものすごく具合が悪そうですね。……理由は思い当たらないとのこと。
  • 『(その疲労は)忙しかった時のリバウンドである、休むのが下手だ。』
  • 『腹を括れ。前途洋洋なり。』……これ、質問なかったけど? 今ある問題に突き進め、ということなのか、近日、大事件が起こるのか、どちらでしょう?

霊査事例6 

  • 『感ずるままに行うならば、体調の悪い時には良い思いが湧かない。……理の大切さである。』……これも現状追認だと思います。悪感情に流されずに、でも温情を忘れずに良くやっていらっしゃる、という意味でしょうか。
  • 『家を忘れたら修羅になる。人を助けるなら今の苦しみを取り除くだけでなく、あるべき姿に行くように助ける。』……ここで「家」というのは、帰るべき場所、あるべき立ち位置、の意味です。ぶちゃけいうなら、腹をたてるなら、壊すためではなく、守るためだよ、その目的を忘れてはいけない、ということでしょうか。あなたの持っていらっしゃる行動力が、善の中に留まりますように。
  • 『チャンスには応じてから考えなさい。』……考えすぎてチャンスを逃さぬように。
  • 『なるようになる、道は用意されている。』……頑張ってください。

迷いの解消・前は後ろの正反対(新編集)

2010/01/17

前は後ろの正反対

2004年 06月 17日

 前を見れば欲が出る。あれもしたい、これもしたい。

 前を見るから脇道に入りたがる……一体前ってどっちだろう?

 一生懸命に生きるから、どうしたいのかが判らなくなる。

 そんな時は真後ろを向いてみる。自分が一番イヤな選択肢は何であるか? それを真剣に見つめてみる。そして、その正反対を見てみると……自分が絶対に目をそらしてはいけない前が見る。

 一刻も早く、一歩でも前に。そう思う気持ちが道をそらす。

 真っ直ぐな道より、近道はないというのに。頭で判っても気がつけば曲がっている。曲がっていることに気がつかずに、道が見えないと絶望する。迷っているのではなく自分を信じていないだけ。自分を信じずにいては、自信がなくなるのは当たり前だ。


迷いは万病の元

2004年 07月 13日

「君は迷いが多いね」と指摘されてもピンと来ない人も、設問を逆さにしてみるとわかりやすいもの。「打ち込んでいる物がないでしょう」違いますか?

 何かに打ち込んでいる人は、自分の力の大部分を目的に注ぎ込めます。ゆえに猛烈な力を発揮できる物ですが、迷っている人はいつまでも足踏みを続けます。迷って足踏みをしていると、前に進まないのだから楽なようにも錯覚するけれど、実は泥沼に落ちた自動車宜しく、エンジンを吹かしても車輪は空回りを続けるようなもので、浪費される活力は相当な物なのです。……迷うことに焦るから……迷った時には様子を見る。様子を見るというのは、一念専心休むことが大事なのです。身動きできなければ精神統一するぐらいの気持ちが大切です。それが出来なければ、全力疾走している人よりも心身をすり減らすのが迷いだとおもうべきです。これは全く、迷いを万病の元と呼んでも差し支えないほどです。


衣食足りて礼節を知る

2004年 07月 13日

 衣食足りて礼節を知る――といいます。豊かさと善良さは比例するというのです。これは反対にも働きます。つまり衣食が足らず礼節を失う――というわけです。特に小心な人ほど……と表現されて、「ああ、自分のことか」と思える人は幸いですが、ともかく、僅かな不足、欠乏、不安、などから、衝動的な行動に打って出て、挙げ句の果てに自分の立場をますます悪くする人がいます。

 まずい!――と感じたならば、自分の立場が良くなるように工夫すべきなのに、ますます悪くなるようにがんばってしまう。これはつまり、迷いが迷いを呼んでいる状態です。


迷いの原因

2004年 07月 13日

 知識の不足が迷いを呼ぶ……というのは、ありがちな解釈です。確かに、知識の不足も迷いの原因の一つには違いないのですが、もっと大きな要因は、理想と現実のギャップに求めることが出来ます。つまり、人は理想の実現に困難さを感じると、ついつい、理想と現実を結びつけるような奇抜なアイデア(というより妄想)を弄んでしまうわけです。

 これを業《カルマ》に振り回される等と呼ぶのですが、自分の欲が人を迷わせるというわけです。

・・・・・・・

 穏便とはいいがたい話です。迷いの主たる原因が欲にあるとします。すると、迷いを断つためには、まず欲を断つ必要が出てきます。欲さえ断てれば後は摂理、すなわち自然の法則に任せるだけで、自ずと真理の大道に合流していくわけです。

 ところが、どうしても欲を断てないとすると、迷いも断つことが出来ません。しかし、人は自分の欲の強いことには往々我慢が出来ますが、自分の迷いの強いことは往々我慢しがたいものです。すると、人は迷っていたことを忘れようとします。つまりは、ボーっとしていればいいのですから、迷いを忘れるのは比較的簡単です。

 それでも問題が残ります。迷いは人の活力を浪費するのです。そして、迷いを忘れ、浪費も忘れたとしても……実際に浪費は続きます。疲れた、気力が萎える、めんどくさい、誰かに頼りたい、大事にされたい。更にあなたが相対的な情念を理解できるならこうもいえます。自分が相手を大事にする以上に、相手から大事にされたい。自分が相手を愛する以上に、相手から愛されたい。

 これらは、迷いを忘れた迷い人の症状です。そして魂はゆっくりと堕落していきます。

 迷いの苦しみに欲を断てる人は、すなわち人生の試練をこなせる人です。反対に、欲を断てぬ人は、試練を自らの躓きに変える人です。ある人にとってのチャンスが、別の人の災難となる。人はこうしてふるいにかけられています。これをして無情というのは簡単ですが、宇宙は広くても、人類が使える資源は限られているのです。限られている以上、ふるいがあるのは避けがたいのですよ。


工夫の無さは迷いの証

2004年 07月 13日

 押してダメなら引いてみな――うまく行かないなら、無理をするよりも工夫すべきです。やり方を変えてみたり、ちょっと間をおいてみたり、無理をしても自他共に傷つくだけなのですから。

 ところが、押してダメならもっと押せ――と努力する人の多いこと。それでも開かなければ、人の助けまで借りて更に押そうとする。引いたりズラしたりすれば簡単に開く仕掛けであっても……このような人は無益な苦悩を生み出します。そして、無益な苦悩を人々に振りまきます。

 身近にこういう人がいて、縁が切れなければ……無益な苦悩以前に、自分の因縁に苦悩してしまうのが霊能者の苦労と言えましょうか。


ヒントを遠慮して答えは欲しがる迷い

2004年 07月 14日

 心の迷いが起因する問題について、いくつか相談を頂いております。しかしながら、霊査がなかなか出てきません。では、回答以前に何を語るべきかと探ってみますと、こういう事なのです。

 相談者の方は、気を遣い、ヘルプを乱用しないつもりで、霊媒(老神いさお)に相談するのを堪えている。そして、行き詰まって相談するが、それは結局、問題集に取り組んで回答を見るのと変わりがないというのです。なぜ、ヒントを見ないのか。

 ヒントを見ることを遠慮しながら、でも、答えを見ようとする。その間の相談者の努力とはただ迷いの生み出す苦しみに耐えるだけで、ちっとも成長がない。大事なのはヒントであって、答えではないのです。

 にもかかわらず、皆様は、ヒントは遠慮して答えを求める。……というのも、欲を棄てられず、また迷うことを棄てられないから、ということです。


人の迷いを背負い込む

2004年 07月 14日

 前述、「迷いを忘れた迷い人」――なる者がいたとします。自分自身は迷いを忘れても、迷いを棄てたわけではありませんから、そこにどうしても矛盾が生じます。その矛盾のしわ寄せを一人で背負うのは自滅行為ですが、ありがたいことに、又は、とても迷惑なことに、人は一人で生きられず、家族や社会の中で暮らしています。するとつまり、自分の生み出す矛盾や葛藤を、第三者に押しつけられる場面が往々存在し、それが悲劇の源となっていることを散見いたします。

 迷いの生み出す問題を解決するためには、迷いを棄てるほか有りません。しかし、誰かに押しつけられるなら、迷いが生み出す苦しみからは逃れることが出来ます。そして……苦しくないなら待つことも辛くはありませんね。

 迷いは苦しいからこそ、迷いを棄てようとする……冷酷なようで破滅を避ける仕組みがそこにはあるのに、迷いの苦しみだけを誰かに押しつけてしまえるから、迷いを棄てられずに魂の破滅を招くことが生じるわけです。

 自分の愛しい人の矛盾や葛藤を受け止める……一見、利他的な行為ではありますが、でも、因果応報、自らの迷いは自らが解決せねばならぬのに、迷いの苦痛を逃れたら、迷いを棄てることがますます出来なくなるもの。恋人や親兄弟の業《カルマ》を消すならいざ知らず、ただ苦悩ばかりを預って、利子を付けて返すのでは残酷な話です。

 表面的にいうならば、人は業《カルマ》よりも苦悩を嫌いますから、ただ、苦悩を取り去ることを善として、苦痛を伴い業《カルマ》の消滅は嫌がるのが普通です。そうして人々は愛する人々と一緒に「危地」を進むわけです。――感情的な不安よりも、真実の危険を軽視するなんて、私には耐え難いことですが、それが世間の良識であり、覚者だろうと抗いがたい強制力を持った誤解がそこにあるわけです。


人の迷いをなぞる

2004年 07月 14日

 まったく、まったく。迷いから醒めるには何が必要なのでしょうか? 人類の歴史はおそらくは迷いの歴史。ならば、迷いから抜け出る手だては、いくらでもヒントが見つかりそうな物……ええ、有るのです。ただ、迷える人が考えたことなら、それは迷いをますます深めるような表現を多用しているのが当たり前。

 いや、解脱者もいるけれどね。彼曰く「色即是空、空即是色」

 結局、迷いを棄てた人だけが理解できそうで、迷える人はますます訳の分からぬ言葉に出会ってしまう。

 要するに、迷える人が解脱しようとすれば、人の迷いをなぞることになります。すると、自分の迷いの他に人の迷いまで背負うことになるのです。……勉強で迷いを断つのは難しいものです。


心で、心の迷いは解きがたい

2004年 07月 14日

 前述のように、迷いに関しての相談をいくつか受けました。そして、その霊査はなかなか得られません。それは心の問題を、ただ心だけで解決しようとするから生じるのだと私は思います。

 簡単なことから、行動に移せば、それだけで糸口が見つかり、突破口が広がっていく。案外そういう物なのです。

 ある人の霊査も、なかなか降りずに心配していたら、先方からオフ会参加の打診がありました。すると途端に霊査が降り始めたりして、結局、行動しようとしたことが呼び水になったのでしょうね。もっとも、オフ会の準備に忙しくて、まだ筆記していませんが。

 迷える時は、出来ることから行動を始めるべきです。行動しながら考えることが良い。つまり、人は、考えすぎを防ぐ仕組みを持っているのです。自分を守る仕組みを寝かせておいて、苦しい、助けてというのは、ナンセンスというより、危険なことかも知れませんね。


痛い相談

2004年 07月 15日

 ここ数日、『迷い』をテーマにした更新を続けています。私としてはこんな辛気くさい……でも重要なテーマよりも、取りかかりたいテーマがいくつか出かかっているので心掛かりなのですが、必要な手順を省く事は後々面倒の種となる事を知らないわけではありません。

 迷いの生み出す苦痛について、霊感の鈍い方々は、「苦痛』として自覚していない場合も散見します。ところが、これを霊媒などが共感すると、胃の周囲が痛くなるのでやっかいです。つまり、霊媒能力の強い人が、『あの人、どうしているかな?』……などと思うと、とたんに自分の胃が痛くなるわけです。

 まあ、痛みを感じる事に恐怖するようでは霊媒はつとまりません。本当の交信は、感覚や体験の共有という形で行われるのですから、痛みを表現しようとする霊が居たら、その痛みをそのまま感じるのが霊界での交信なのです。胃が痛くなる相手が何人か居います。

 つまり、交霊で痛みを感じるのは、地上で、痛みに関する話をするのと同じ事です。別段自分の身体に悪いところがあるわけで成し、交信をやめればたちどころに痛みが消えるので、じたばたするほどの事もありません。

 ところが、特に人間相手で困るのは、交霊と比べて話がしつこくなりがちで、しかも、相手の切り替えが下手だから、いつまでも痛みが伝わってくる事です。さらに悪い事に、精神的な痛みの感じ方というのは非常に個人差があり、当人はせいぜいが不平不満の解消程度しか認識していなくても、その話を聞く霊媒には激痛が感じられる場合がある事です。幼少時の体験が原因だったりすると、もう痛みになれて悪夢を見たり、無意識に自傷行為に走ったりする程度で、自分の抱えている問題を適切に認識できない場合があるのです。

 こういう場合、当人にしてみれば、ただ愚痴を聞いてもらいたいだけなのですが、それに付き合わされる霊媒にしたらたまりません。愚痴を聞いているだけなら何年も、何十年もその苦しみを共有させられるのですから、うんざりです。特に、当事者が問題解決に乗り気でなければ、痛みに耐える事が不毛な努力に過ぎないのですから。

 もう一言付け加えるなら、人間の持ち時間には限りがあります。どうせ不毛な事をするなら楽しい事をしたいし、どうせ耐えるなら有益な事をしたいものだ――そうは思いませんか? 私は強く、強くそう思います。

・・・・・・・

 さて、強く痛みを生じる相談が三件ほど寄せられています(中には相談の自覚がないが)。例によって詳細は書けませんし、そもそも痛みを生じるという事は、当人が解決するのに迷いがある事を暗示しています。というわけで、直接のお返事の他に、相談者を想定しつつ、普遍的な回答をする事は、冷静に問題を受け止める良いチャンスかもしれません。

Q「願望成就しない。自分には縁がないと諦めた。」

 適切な譬喩とは申せませんが、良く引き合いに出す話を流用致します。

 「お金持ちになりたい」という願望が成就しない人がいます。障害を明らかにしようと、「なぜお金持ちになりたいのか?」と問うと、「もっとお金を使いたいからだ」と答える。……使っていたら貯まるはずがありません。まして、安物買いの銭失いというわけで、お金の使い方次第では効率の悪い事、おびだたしくもあります。

 この「願望が成就しない」という件も、守護霊様の意見とは別に、私が霊査致しましても、どうも無駄な事に力を注ぎすぎて、肝心な部分に力不足を感じます。

 それは結局のところ、正しい努力をしているというより、自分のカルマに振り回されている状況といえましょう。

 すなわち、自分が幸せになるための願望成就ではなく、自分の欲に引きずり回されている状況での願望成就……すなわち、不幸になるための努力の過程にあるのだと私は判断致します。

 もっとも、あなたの守護霊の判断と私の判断の違いは、視点の違いに過ぎず、問題は縁の有無というより、時機を失して、次の時機がまだ先にあるという事です。待つのもつらいが、待つ間にもすべき事があります。そして、待ち時間を有効に使ったものだけがチャンスに遭遇してそれを無駄にしないのです。

Q「伴侶との行き違いについて。」

 心霊相談を休業する以前から、恋愛相談などはお断りしてきましたが、家族・特に夫婦間の問題や、恋人との間の問題についても、相談したくても相談できずにいらっしゃる方、また、断りの対象になっている事を失念していらっしゃる方などがあります。

 大事な事は、相手の心をどうにかしようとするのは邪である、そして、邪な事を手伝わせようとするのはもっと邪である。という事なのです。

 人生の伴侶に相対するのに、他人の手助けを必要とするなら、それはもう伴侶とは呼べません。つまり大切なのは、どうしたら自分は伴侶たりえるか、という事であり、相手が悪いと思えても、それを補えてこその伴侶、至らぬ同士が助け合うのが伴侶であるとしっかり認識する事といえます。

 もっとも、人生の伴侶に関する悩みの大部分は、「相手が責任を果たそうとしない」という事でして、これがとても難しい。一方的な依存、つまり、夫が、稼がず、かといって家事もせず、あげくに女を作った、なんて話なら、「別れろ……」としか言いようがありません。

 しかし、相談の大部分は、相手の長所を無視して、欠点ばかりが目につくという場合が大部分です。こういう問題は、実は心霊相談よりも整体などの方がよほど効果的な回答を提示できるでしょう。この手の不平不満は、大抵の場合、不健康が理由だからです。

 不健康というのは、病気を意味しません、ただハツラツと生活が出来ず、だるいとか、面倒だとか言って、人の手を煩わせてしまうから、そこに不満が生じ、不満が積もり積もってイライラしてしまい、イライラが高じて感情的になっていく、という悪循環に陥っていると見なすわけです。

Q「親・子との行き違いについて。」

 ここでは、親・子との問題に集約しましたが、縁を切りがたい相手と広く捉えてかまいません。

 特に相手との関係が重荷になるのは、要するに縁を切りがたいからです。で、そこまで問題がこじれてしまうのは、当事者の一方、または双方が、姑息な人間関係の手法を使うからといって良いでしょう。つまり、相手の好意を確認するのに相手を困らせてみる……という事をやるわけです。

 たとえば仕事に行こうとすると病気になるとか、無理難題を吹きかけ、応じなければ泣きわめくとか……こういう無茶な行動に出るのは信頼関係が破綻している……痛みでしか相手の存在感を確認できなくなっているという状況です。

 これは正直辛いし、はっきり言って痛い。そして、解決策もまた無数に見いだせるでしょうが、この手の問題も、やはり、心霊的な解決よりも整体的な解決策の方が効果的でしょう。

 つまり、お互いが不健康だから、不健全な見方・視点で相手を見てしまうのだ、また、不健康だから依存心が強くなり、不健康だから相手の依存心が重荷に感じ、お互い辛いからイライラして和解策もとれなくなっていく。

 この問題の解決は忍耐を要します。また、ここでは不健康と表現しましたが、加齢も、問題の一因となりますね。

抑圧された心

 特に女性に多いのですが、親に対する不平不満から迷っている人が多いのです。もう霊媒だけが分かる痛々しさというより、誰でもこのいびつさに気がつくのではと思えます。

 そして、この問題を大げさにしているのは、親の悪口への病的な嫌悪です。親の悪口をいわず、親の欠点を見まいとする……自分の親を無理に尊敬する為に、自分を騙し、自分をだますから何が真実であるかが分からなくなるのです。

 褒めるの価値観もゆがみ、貶す価値観もゆがみ、何を言わんとしているのかがわかりにくい。こうした事例がすべて、親への不平不満が言えないためとは申しませんが、私の知る限り、こういう事情の持ち主がとても多いのです。

 しかし、赤の他人の行為なら許せる事も肉親の言動ならば許せぬ事もあるはず。他人に冷たい仕打ちをされたところで所詮は他人なのですが、身内が冷たい仕打ちをすれば恨む気持ちも生じますよね。つまり、親だからこそ許せない事の一つや二つ、ないとしたら、それは他人に接するような冷淡さで親と接していると言えなくもないのです。

 大事な事は、親への復讐ではなく、欠点は欠点と正しく認識する事で、適切な……つまりいびつではないフォローが出来るようになる事です。

 ところが……これがなかなか出来ないものです。自分は変われても親を変える事は出来ず、親が変わらなければ悩みは増すばかりですよね。こういう場合、親が死ぬまで治らぬのかな……と思います。

総論

 以上、四点の事例を紹介したわけですが、実はこれらの回答事例は、枝葉末節に過ぎません。こういう回答もしなければ、へっぽこ霊能者が相談者を煙に巻いているようだから書いているだけの事で、もっと簡潔に指摘する事がよほど大切だと私は考えます。

 これら、迷える人は、果たして問題に悩んでいるのだろうか? と私は考えます。むしろ思考過程にだまされて悩んでいるのではないかと思うのです。

 まず、各事例は、自分の大事な人をかばおうとするが故に生じる苦しみです。いわば自分の愛情に苦しめられているようなものですが、なぜかばう事で苦しむのでしょうか?

 その迷いの原点は、物事を善悪で計るところにあると思われます。つまり、善ならば良し、悪ならば拒絶するという価値観と、大事な人に悪いところがあればそれを受け止めようとするところに、矛盾と葛藤の種があるのです。

 善悪で考えるというのは、宗教で言うところの二元論に相当します。つまり、善悪は相対・不離の、たとえば電気にプラスとマイナスがあるように、また、光があれば影が生じるといったように、相対不離で一方には必ず他方がつきまとい、相互に争いを続けるといった思想です。

 しかし、近代心霊思想は、一元論で受け止めます。プラスとマイナスは中性の揺らぎ、光と影はただ濃淡が違うだけ。善とはより高度な存在であり、悪とは未熟な存在を指す。いや、老子の思想を考え合わせれば、影があるから光を認識できるのです。

 悪だから異質の存在……なのではなく、未熟だからあなたが補わなければならない。そう受け止められれば、ここに迷いはなくなるはずなのです。

 つまり、愛しい人に悪があれ、それをどう取り除くかに心を痛めなければなりません。それはつまり、相手の欠点が二人の間の障壁であるという事です。

 しかし、愛する人にあるのが悪ではなく欠点ならば……相手はあなたを必要とするという事、すなわち、欠点があるからこそお互いが、強く結ばれざるを得ないという事です。

 愛する人の、または、あなたの親の欠点を正しく認識しなさい。というのは、あなたが大切に思う人の悪を見つけろ、相手との断絶を直視しろと言うのではなく、あなたがより強く結びつけなければならない点を見つけなさいという事なのです。

・・・・・・・

人生の伴侶がなかなか見つからない

 まあ、以上で終わりにすれば話もきれいなのですが、ちょっと強欲な質問にも答えておきましょう。

 むろん、人生の苦楽をともにするのですから、その相手はなるべく頼りがいがあり、また、迷いや不正の少ない方が良いものです。……で、速やかに伴侶を手に入れる人は、ほとんどの場合、「私がいなければこの人はだめだから……」と、欠点を補うつもりで相手と接しています。(そのくせ、不健康になると、相手の欠点を重荷に感じて不平を言うのだから……いえ、そういうカップルを支える事も友人の勤めですよね)

 対して、伴侶を得がたい人は、「この人がいなければ私はだめだから……」と、欠点を許さぬ態度でいます。

 不幸にして……欠点のない人はいませんから、このような態度では死んでも伴侶を見つけられません。往々、「あの世で伴侶を見つけろ」と怒鳴りたくなるような強欲な人もいるぐらいです。間違って見つけた人がいるなら、人を見る目のない人か(当事者さえ幸せならば、ねえ)――控えめな人なのでしょう。

 いや、いや既婚者から恨まれるような発言は慎みましょう。


迷いは霊感の大敵

2010年1月17日

「霊能者は自分の未来は見えない」・・・等という。なんのことはない、そもそも迷いが生じたとしたら、それは背後霊の庇護を外れたということなのだ。――庇護下に無いのに霊感を使えば、回答者がいないのに良い返事が得られるはずも無い。イヤそれどころか、野次馬な霊にミスリードされる危険もある。

 私もまあ、誰かの助言を欲することもあるが、なんとか自分の霊感内で収まるか、追認程度で済むことが多いのは、ちょっとしたコツがある。

 まず、迷いが生じた事自体を楽観視しない。行き詰まったら元きた道を戻るぐらいの覚悟を決める。

 また、答えが無いのも答えのうち、とも覚悟する。つまり、何も答えがなければ、まあ、何とかなる、ということだ。

 そして要領の得ないメッセージを受け取ったら、それこそ、とことん行かなければならない、ということだ。途中下車は許されまい。

 人生で横着する様々な事態は、所詮、途中経過であって、良いことも、悪いことも、最終結論ではない。つまり、どう転がるか、わからないのである。だから、今は悪くてもジタバタしない。それよりも何よりも、霊媒にとって恐れるべきは、状況・事態の悪さではなく、背後霊らとの絆の有無なのである。それゆえ、たとえ不幸を味わっているさなかでも、自分が愛されていることを信じなければならない。

「人生は、背後霊(守護霊・祖霊)との二人三脚」と思うなら、迷いとは、チーム全体の危機なのです。眼前の事態だけの問題ではありません。それに気がつかなければ・・・視野が狭いということです。ならば・・・運が悪いならそのうち改善するかもしれませんが、自分が悪いなら、決して改善しないことを暗示します。

 それはもう、ただの迷いではなく大問題、いや大問題というより、救いようの無い問題、ではありますが。

船頭多くして船山に上る

2004年 11月 15日

 兎角、気弱な方は、いろいろな方面の意見を求めます。確かに多方面からの情報は物事を立体的に浮き上がらせるものですが、情報が増えれば増えるほど、物事の理解には高度な分析能力が求められるものです。

 特に分析中に難しいのは、取捨選択で、人の意見には主観もあれば偏見もまじり、切り捨てることがなければ、立体的に浮き上がらせるどころか、矛盾だらけで組み立てようがなくなることもよくある話です。

「船頭多くして船山に上る」といいますが、あちこちの意見を聞いて廻り、かえって迷いを増やすのであれば、気弱さから迷うという悪循環に呑み込まれてしまいます。

……さて、気弱さ故に迷ってしまった人が、そこで己を反省したとします。

「なぜ、私は迷ったのだろうか?……そうだ! きっと船頭が悪いからに違いない。今度は別な船頭を頼もう!!」

 しかし、気弱さからまた、たくさんの船頭を雇い入れればやはり船はやはり山に登っていくのでしょう。

……この意見は、迷える者をあまりに見下していないか! そう思われますか?

 智慧あれば助言に頼らず、分別あれば助言に迷わず――智慧も分別も無いから助言を受けて迷うのです。すべての迷える者が救いがたいとは申しません。しかし、間違った助言の受け方をしている人は救いがたいと思います。


お知らせBy老神いさお。

ただいま、メールヘのお返事が遅れています。今しばらくお待ち下さい。

移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

東京オフ会: 3月度の東京オフ会は3月20日(土)午前に開催いたします。参加申し込みは、メール・フォームメールなどでお申込みください。

大阪オフ会: 大阪オフ会は4月11日(日)午後に開催いたします。参加申し込みは、メール・フォームメールなどでお申込みください。
 打ち合わせ用のページを作成しましたが中身はありません。今後参加者の皆様にパスワードをお知らせすると共に内容を追加して行きます。

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